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2019.07.19 Friday

6. 「今出来」のイランのトルクメン絨毯


さてギャッベ熱もそろそろおさまり、O店で最後に買ったのがこの絨毯だった。



「トルクメン絨毯」という言葉を聞くのははじめてだったが、
ギャッベの明るい色合いや「ペルシャ絨毯」の華やかなデザインとはまったく違う絨毯で、
ライティングデスクの下に敷くのに良い、落ち着いた絨毯だと思って購入した。



プニュッとしたウールの質感は、「パイルが垂直に近い角度で立っている」ことにもよる。
一般的に古いトルコ絨毯やバルーチ族の絨毯は、パイルが横に寝たような織りになっているが
それに比べてトルクメン絨毯はパイルが立った感じのものも多い。
そういう意味で、最近織られたこの絨毯は、質感においては古いトルクメン絨毯を継承していると言えるだろう。



以前、経糸の記事でも引き合いに出したが、この経糸は化学繊維もミックスされているようだ。
ウールだけの経糸は、高い織りのテクニックが必要だし、
ウール100%よりも化繊を混ぜたほうが耐久性が増すからかもしれない。



織りはとても正確で、きちんと織られている。
ただ、絨毯にハマっていくうちに、こういった「正確すぎる織り」に違和感を覚えるようになったのも事実である。
アートや工芸を評価するときに、「細かい」「正確無比」を重視する日本人は多いように思える。
もちろんそれはそれで、技術の高さを示すもので大切なことだが、
見た感じが「木で鼻をくくったよう」というのか、生命感を感じられないものも多いように見受けられる。

こんにちの絨毯織りは単純に「お金を稼ぐ」ためのケースが多い。
指示された通りに織りさえすればよいのだ。
けれど、当然というべきか、そのような絨毯に生命はこもらない。

欧米の絨毯コレクターのほとんどは「機械で織ったよう」と言って、そのような絨毯を嫌う。

「書」をかくならともかく、なぜ絨毯織りに織り手の精神状態が反映されるのか不思議なのだが、
見ていて確かに違うのである。



話がそれてしまったが、この絨毯はイランの北東部に住むトルクメンの子孫が織っている。

トルクメン絨毯の本は「アンティーク」を中心に書かれているものが多いが、
左側の本はおもに、第二次大戦後に織られたトルクメン絨毯について書かれている。(1974年発行)
記述とサンプルの写真は、アフガニスタンのトルクメン絨毯が中心だが、
「イラン、パキスタン、インドで織られたトルクメン絨毯」という章もある。

それによるとイランでは、カスピ海沿岸にヨムート支族、北東部にテッケ支族が住んで、絨毯を織っているとのこと。
(ロシア革命後のボルシェビキの統制から逃れるため、1930~40年代に移住してきた人たちも含まれる)



このギュルは、メインカーペットにはあまり見られないが、チュバルによく使われる。



右下のギュルがモデルだと思う。

さて、この本に目から鱗の記述を発見!

「ヨムートはそれまでずっと自分たちの支族の伝統柄を織ってきたが、
第二次大戦後は、テッケ・ギュル・デザインの絨毯も織りはじめた」


なーるほど!
この本を読んで、長年の疑問が氷解した。
ネットなどでもときどき、テッケギュルの絨毯なのにヨムートのものとされる絨毯があって不思議だったけれど
そうだったのか!



右側の本(1962年にデンマークで発行され、翌年英語に翻訳出版された)
のこのページを見たときも首をかしげたものだった。



だってこちらはテッケの絨毯で、デザイン的にはそれほど違わないのだから。

とかく絨毯は、織られた後に国を超えたりして、出自がわかりにくくなるものだが、
1962年出版なので、当時は織りたてホヤホヤのこの絨毯を織ったのがヨムートであると明確だったのだろう。

* * *

左側の本によれば、
イランのトルクメン絨毯は、大きな工場に人を集めて織ったものよりも
村の家庭で織ったものの方が多いという。
ただし政府や絨毯商による統制がゆきとどいているため、
家庭に委託する際に、大きさ、デザイン、色などがきっちりと指定される。
(たぶん糸も大量生産されたものを家庭に渡すのだと思う)

ウールの質は良く、アフガントルクメン絨毯に比べて質感はクニャクニャしている。
二色の赤、黒、紺、白、茶、緑がメインに使われる。

(同じ本からパキスタンのトルクメン柄絨毯について、次回へつづく)

 
2019.07.15 Monday

5. ずっと民藝が好きだった

 

自分がなぜ「the ペルシャ絨毯」ではなく、
ギャッベから部族絨毯へと進んでいったのかは、
やはりそれまでの好みがそうさせたとしか考えられない。

もともと織物は好きだったけれど、

繊細な刺繍製品などよりは手仕事のぬくもりを感じさせるものに惹かれたし、
生活に欠かせないタオルも厚手のものが好きだった(笑)。

そして「民藝」の手仕事。
上京してからいくつかの美術館を訪れたが、
いちばんホッとするのは、駒場の日本民藝館だった。

IMG_0833.jpg

いちばん右は、倉敷民芸館の初代館長である外村吉之助さんの本。

初版は1984年だが、いまなお本屋でよく見かけるので、ロングセラーになっているのだろう。

 

このなかにトルコのキリムとイランの織物の紹介がある。

 

IMG_0834.jpg

 

左はアイドゥン、中央はアダナかな?

 

IMG_0835.jpg

 

右ページの写真では、小さな男の子が大人と並んで絨毯を織っている。

本文を読むと「(中国の段通は織りが細かいので値段が高くなるが)イランのは

結びが大きくて強い模様になり、早く安くできて人々によろこばれます」とある。

括りがアバウトで完全には同意できないところもあるけれど、

生き生きとした力強い織物を高く評価されている。

 

外村さんは1953年に「倉敷本染手織研究所」を設立され、

「民藝品のように、日夜の暮らしの中で働く健康でいばらない美しさをそなえた品物と、

その工人を養成」することをめざした。

 

IMG_0836.jpg

 

こちらは本の写真の中央『染めと織り』から、外村ひろさんのご自宅兼工房。

椅子とソファーに置かれているのが「ノッティング」と呼ばれる手織り絨毯。

縦糸はタコ糸で、パイルは「150本を束ねたウール」とのこと。

 

ふかふかした感じが座布団サイズのギャッベに似ているが、

ウールの質や糸の製法が異なるため、やや違った印象を受ける。

 

IMG_0837.jpg

 

本の写真の左側の『暮らしの道具カタログ』よりインテリア写真を3枚。

お部屋のオーナーの山崎綾さんは、外村ひろさんの姪にあたり

倉敷本染手織研究所で学ばれた後、アパレルブランドを経てからセレクトショップを運営されている。

床に敷かれているのはルリ族の絨毯だろうか。

トルコのクッションカバーをはじめ、世界の民芸品が調和した美しいお部屋。

 

IMG_0838.jpg

 

民藝運動の中心人物のひとり芹沢げ陲侶神を引き継ぐ

民藝第二世代の吉田桂介さん、泰樹さんのお住まい。

奥の和室にはギャッベ、手前の部屋にはバルーチ?

平織りに手の込んだソマックのようだ。

よく見ると左右非対称? 重厚感のある見事な作品。

 

IMG_0839.jpg

 

お父様が熱心な民藝運動支持者で、こ自身は濱田庄司の流れをくむやきものの道を志し

レンガづくりの登り窯をもつ山根窯を開かれた石原幸二さん。

床にはイランのオールドキリム。左はカズビンで右は、、、?

椅子にはギャッベあり、トルコキリムあり、さまざまなタイプが仲良くまとまっている。

 

* * *

 

こうして見てくると、自分の好みは民藝テイストの延長線上にあることがよくわかる。

 

 

 

2019.07.12 Friday

4. なぜ「the ペルシャ絨毯」とは縁がなかったのか?


ギャッベでお世話になったO店では、いわゆる「ペルシャ絨毯」も扱っていた。
いまではギャッベが主力商品になっているけれど、その頃は比較的手頃な価格の「ペルシャ絨毯」も結構あった。

(ちなみに「ペルシャ絨毯」というのは日本独特の呼称のようだ。
欧米では "Oriental carpet" "Oriental rug" が基本的な呼び方で、それに加えて産地や部族などで区別される)

スーパーの催事場で7000円のギャッベを「高い!」と感じていた私の感覚は麻痺しつつあった。
とにかく絨毯が見たい、手に取りたい、欲しい〜〜!
絨毯中毒のはじまりだった。

なので、O店ではギャッベの他に
「キリム・ギャッベ」とネーミングされた、平織りに模様としてパイルを埋め込んだ織物、
草木を背景に大きな鳥を織り込んだ「ソマック」のほかに、
玄関マットサイズのクム産のシルクのラグを買ってしまったのである。

ワクワクしながら届いた包みを開けると、
白と紺を基調とした、それはそれは精巧な絨毯があらわれた。
織りの細かさ! 絨毯の薄さ! シルクの輝き!
「!!!」である。

「すげー!」

なんて綺麗な絨毯だろう。
小さいながらもお姫さまのよう。
ひとしきり眺めおわると、そうっと大切にしまい込んだ。

それからしばらくは、ときどき出しては眺めていた。

玄関マットサイズではあるが、玄関に置く気にはならなかった。
だって、汚れるじゃん!

それに、こんなものを足で踏んだら「バチが当たる」がな!
嗚呼、悲しき日本民族の「性」か、いや単に個人的に貧乏性なのかもしれない。
とにかくシルクの絨毯を足で踏む気にはなれなかったのである。

その絨毯は、しばらくウチにご滞在された後、お義母さんのところに移られた。
お義母さんのウチでも丁重にしまわれて、使われることはなかったと思う。

* * *

シルクの絨毯は専門のクリーニング業者でないと洗えない。
日本人は洗うのが好きな民族みたいで、
自分で水洗いして様変わりしてしまったという話を聞いた。

* * *

このほか「the ペルシャ絨毯」は、ウチみたいなインテリアには似合わなかったことも大きいと思う。
ごくフツーの公団の分譲住宅で、家具もナチュラル系が多い。
重厚なマホガニー家具があったり、ゴージャスなインテリアなら似合うだろうけれど、
冬にはいまだにコタツでゴロゴロしているようなウチにはそぐわない。

日本でギャッベが人気になったのも、
比較的普通の家のインテリアにも合うことが一つの理由ではないだろうか。

* * *

このことが分かる前に、じつはO店で
ナイン産のリビングサイズの絨毯を買おうかどうか迷った時があった。

IMG_0831.jpg

これはオークションハウスの「クリスティーズ」のカタログから「カシャーン産」の絨毯だが
デザインはこれを模倣した感じだった。

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もし買っていたら、大きいものなのでなかなか人に譲るわけにもいかず、
庶民的なウチのインテリアの中で、居心地の悪い思いをさせてしまっていたかもしれない。

ついでに同カタログから「the ペルシャ絨毯」を何枚か転載させていただく。

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どう考えても、やはりウチには似合わなかったと思う。


 
2019.07.05 Friday

3. 「安心感」と「目の栄養」


ギャッベに魅せられてからは、ネットショップのサイトをしょっちゅう眺めていた。
新商品が出た場合は、一枚一枚の柄や色をチェックして、欲しいかどうかを考えた。
といってもあの頃は見るものすべてが魅力的で、全部欲しかったのだが、、、(爆)

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ショップのサイトでは、「お客様のお部屋紹介」といった
購入したギャッベをインテリアにどういう風に使っているか、
写真が掲載されているページは見るのがとりわけ楽しみだった。

あの頃わたしは一体、ギャッベのどこにそんなに惹きつけられていたのだろう?

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ひとつには、厚くてモコモコした絨毯に「安心感」を感じていたような気がする。
購入したギャッベを見て、成人した長男が言った。
「あー、オレこんな絨毯の上でレゴ(ブロック)したかった〜!」

なるほどなあ、とわたしは思った。
子どもが部屋で遊ぶとき、ギャッベのようなどっしりした絨毯の上ならば、
なにかに包まれている感覚、といえば良いのだろうか、安心して遊べるような気がするのだ。

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「安心感」は、厚さとモコモコ感だけではない。
やはり素材が羊毛で、「天然素材100%」というところも大きいような気がする。
それまでウチは化繊のカーペットを敷いていた。
使っていると、静電気が起きてカーペットはだんだん黒ずんできて、素材もへたれてくる。
やはり素材の良し悪しは大切だと思う。

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もうひとつは、見ているだけでハッピーな感じがしたことだ。
羊毛の自然な質感、シンプルな柄、赤、紺、黄、緑、茶などの明るい色づかい。

もちろん踏んだときのしっかりした「手ごたえ」ならぬ「足ごたえ」、
どっしりとしたパイルをそっと撫でてみたときの指の感触、
そうして、はじめてその上に座ったときのフワッとした弾力性など、
はじめてギャッベと「触れ合った」体感、触感も忘れがたい。

それらを体験してからは、ギャッベを「見ているだけでうれしくなる」ようになったのだ。

人間は食べ物から栄養をもらって生きている。
いまのわたしは、目からも栄養をもらわないと生きていけないカンジがする。(笑)

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最近は、全般的にすっきりしたインテリアが好まれているようだし、
たいていのミニマリストは「マット類は要りません!」という考えのようだ。
でもそのなかで、ミニマリスト関連の人気ブロガーAさんのお部屋の写真をみると
スコーンとすっきりしたリビングに、ピアノとホジャロシュナイ絨毯が置いてあった。
素敵だなあ、と思った。

IMG_0821.jpg

家は自分がいちばんホッとできるところ。
そこに自分の好きな「色」があって、自分の好きな「質感」のモノがあることは大切だ。

モノの素材と色が醸し出すオーラ、
見ているだけで幸せになるようなモノ。

絨毯は「目の栄養」なのだ。

IMG_0817.jpg





 
2019.06.24 Monday

2. 販売員が語ったこと


最初の販売のおにいさんから
「遊牧民の女の子は物心がつくと絨毯を織る練習をする」
という話を聞いて感激したことを書いたけれど、
それから数年後に、Jon Thompson "ORIENTAL CARPETS" ("Carpet Magic"という本も内容はほぼ同じ)
という本に、トルクメンの女の子が「絨毯織りのままごと」をしている写真をみつけた。



その後、そのスーパーの催事場の絨毯売り場には3回行った。
毎年秋になると、スーパーと契約している絨毯の会社が社員を派遣しているようだった。

最初のおにいさんは、上記の話のほか染料の話をした。


「この絨毯の色はぜんぶ草木染めなんですよ。
紺は藍、茶色はクルミ、黄色はサフラン。
この赤はなにから染められていると思いますか?」

えっ! 染料のことなんか考えたこともなかったわたしは、その深みのある赤色をじっと見つめた。

(うーむ、この赤と同じ色は、、、。えっと、えっと、、、そうだ!)
「ザクロですか?」

とおそるおそる答えた。

すると、あろうことかおにいさんは
「ピンポ〜ン! 正解ですぅ〜〜!」
と言ったのである。

なにも知らないわたしは、答えをハズさなかったことにホッとしたのだが、
そりゃないよね!
赤の天然染料の材料といったら、基本は西洋アカネでしょう。

なぜおにいさんが誤答を正解と言ったのか、いまだによく分からない。
客の気持ちを傷つけまいとしたのか。
それとも本当に知らなかったのか。
* * *
次の年の販売員はアフガニスタンの人だった。
.
売り場には、売れ行きが良いのか、やはりギャッベがたくさん並べられていた。
そのほかには、リビングサイズのいわゆる「ペルシャ絨毯」があったが
わたしは「きっと高いだろう」と思ってそちらには近づかなかった。
.
そのときは「ギャッベ・マイブーム」がつづいていたので、ギャッベをしげしげと眺めていたら
「こんな絨毯もありますよ」と言って
1.5m×2m前後の絨毯を積みあげているのをめくりはじめた。
.
彼が見せたかったのは、赤地に黒か紺の文様が描かれている渋い印象の絨毯だった。
「これはアフガニスタンの絨毯」
彼は少し誇らしげに言った。
.
へえー、こんな絨毯があるんだ〜!
いわゆる「ペルシャ絨毯」とはぜんぜん違う印象の絨毯を見て、ちょっと驚いた。
.
でもそのときはギャッベに凝り固まっていたので、選択肢には入らず、
「絨毯って、足の油を吸収するって聞いたことがあるんですけど、、、」
とか、どこから仕入れたのか自分でも分からない話題を振った。
.
「お客さん、詳しいね」
と、今回もまた客の面子をつぶさないような返答をした。
.
「これ、何ノットですか?」と尋ねると
「アフガニスタンの絨毯は、ノットはあまり重要じゃない」という。
.
まあ、とにかくギャッベ以外は目に入らなかったので、
またギャッベのコーナーに戻ると、
「ギャッベは死んだ羊の毛を使っている」
というではないか!
.
思い返せば、彼にはきっと自分の好きな絨毯がはっきりとあったのだ。
.
故郷アフガニスタンの絨毯こそが「本当の絨毯」であり、
いま流行りかけているギャッベなんか「本当の絨毯」じゃない!
.
わたしに見せてくれたのは、トルクメンのテッケに似たタイプの絨毯だった。
表面がなめらかで織りもきちんとしていたから、もしかしたらホジャロシュナイだったかも?
.
彼は仕事なのでギャッベも一緒に売らざるを得ない。
にもかかわらず、「ギャッベは死んだ羊の毛を使っている」とディスるなんて!!
.
* * *
.
その後「死んだ羊の毛」については、ずっと謎だったが、
R.D.Parsons "Oriental Rugs Vol.3 The Carpets of Afganisutan" に少しだけ書かれてある。
.
アフガニスタンで商業用絨毯がたくさん織られるようになった過程で
一部の業者が原料価格を抑えるために、
革なめし業者のところで出た「死んだ羊の毛」を混ぜることもあったようだ。
.
それを使った絨毯は、毛がパサパサしていてツヤがなく、
絨毯として使っていても抜け毛が多く、耐久性がないとのこと。
.
一度ヤフオクで買った小さいギャッベで、やはりそういうものがあった。
彼がいった言葉は、完全に間違いというわけではない。
.
でもわたしはほとんどのギャッベを専門店から買ったのだが、
使われているウールの質も良く、
けっして「死んだ羊の毛」は使われていなかったと思う。
.
O店もC店も、奥さんが日本人で旦那さんがイラン人のお店だ。
仕入れのときは、たぶん一枚一枚選んでいるのだろうと思う。
.
そういうことで、彼がいった「死んだ羊の毛」はぬれぎぬの場合が多いと思うが、
きっとなかなか帰れない故郷アフガニスタンで織られた絨毯こそが「本当の絨毯」、
という彼の気持ちには、なんとなくしんみりさせられる。
.
.
(前回から「改行」がうまくできないので『.』でごまかしています。
目ざわりでごめんなさい)


 
2019.06.21 Friday

1. それはギャッベからはじまった


「わたしの絨毯編歴」(もしくは物欲編歴)というシリーズの1回目です。
「わたしの絨毯編歴」とエラそうに言っているが、じつはその歴史はたいして長くない。
たしか2005年の晩秋に近所のスーパーの催事場を通りかかったのがきっかけだった。

いまでは新しいものよりもハゲハゲ&ボロボロの絨毯が好きになってしまったが、
最初に購入した手織り絨毯は、新しく織られたギャッベだった。

暖色系の、なにやらほんわかする印象の、厚手の小さめ絨毯がワゴンに積まれている。
赤、黄、紺、茶、白...ざっくりとした太めの毛糸。
模様もシンプルで、単純なボーダーや四角、子どもが描いた絵のような動物たち。

冬に向かうその季節、こんな明るい色のふかふかした絨毯があると素敵な冬が過ごせるかもしれない...
そう思って値段をみてみたが、けっこう高い。
だってそれまで化繊の敷物しか使ったことなかったんだもん、「手織り」なんだからやっぱり高いんだ。

そこで「お買い得品」の座布団サイズの絨毯を見ると7000円ほど。
模様はないけれど、温かみのあるオレンジ色に自然の色ムラがあって、いい感じだった。

購入を決めたのは、販売のおにいさんの言葉。

「これは遊牧民の女性が織ったものなんですよ。
イランの遊牧民の女の子は、物心がついた頃から絨毯を織る練習をします。
上手に絨毯を織れるようになったら、自分の織った絨毯を持ってお嫁入りするんです」

エッ、そうなの!!!
わたしなんか服のボタンをつけ直すのが精一杯なのに、
ヨチヨチ歩きの(?)ちっちゃな女の子が、一生懸命絨毯を織るなんて!

とまあ、おにいさんが語る「物語」に感激して、
「お買い得品」の座布団サイズのギャッベを衝動買いしてしまった。
その後、絨毯編歴を重ねるうちに、
いま日本で売られているギャッベのほとんどは、遊牧生活で使われた本来のものではなく、
販売のおにいさんが語った物語は、すでに過去のものとなったことを知るが、
その後もずっと、わたしはどこか、遠い国の「物語」を探しているのかもしれない。
* * *
イランに行ったこともない。
遊牧民に会ったこともない。
引きこもり系の私が絨毯を買ったのは、ほとんどネットを介してであった。
.
オレンジ色のギャッベを見ていると、なんだかしあわせな感じがした。
「これ、いいかも!」
.
パソコンに「ギャッベ」という文字を打ち込んで検索する日々がつづいた。
やがて、O店とC店というネットショップを見つけ、何枚も購入した。
座布団サイズ、玄関マットサイズ、ルームサイズ。
いかんいかん、ここらへんから物欲が炸裂しはじめている。
.
以前も書いたが、「ギャッベは厚ければ厚いほどイイ!」と思い込んでいた節があったし、
織り方もオリジナルとは違って堅牢に織られていて、硬くて曲がりにくいし、
パイルの量がハンパないから、重い!
.
厚い、硬い、重いの三拍子に負けはじめて逆放出! ギャッベを手放しはじめた。
一体なにをやっているんだか...
親戚や知人に譲るほかヤフオクで売って、現在うちに残っているのは3枚である。
.
.
リビングのイージーチェアの下に敷いたインディゴのアブラッシュのギャッベ。
小さな動物がちょこんと織り込まれている。
.
.
私の部屋に敷いてある、ちょっとモンドリアンっぽいギャッベ。
その下にはベシールの穴あきカーペットが敷いてある。
この上で毎日朝晩ストレッチをしている。
.
.
裏側の織りとセルベッジ(耳)とフリンジ。
パイルに使われているウールはまあまあ良いものだが、フリンジに出ている経糸に注目。
パサパサした毛も含めてさまざまな品質のウールが、機械で混ぜられてできた糸。
.
話がそれるが、絨毯編歴をつづけているうちに、経糸の品質はかならずチェックするようになった。
.
.
北側のパソコン部屋のゾランヴァリ社ルリバフのギャッベ。
特にブランドにこだわったわけではないが、このギャッベはウールも染めも織りも良いと思う。
写真はちょっと寒色系に写っているが、実物はもっと良い色。
.
「ルリバフ」で検索すると似たデザインのギャッベが出てくる。
基本のデザイン画があるのだろうけれど、きっちりした「方眼紙」の下絵ではなく、
ある程度、織る人の感性に任せられている部分があるようで、
模様の線がやわらかく、"生きている"感じがしたので購入した。
.
ちなみにこれはイギリスのKnight Antiquesから。
(いまアンティークが少なくなったせいか、店名が変わってしまったけれども)
.
.
絨毯の端を織り込んであるので経糸が見られない。
緯糸が赤のものは、古いカシュガイ族の絨毯にときどき見られる。
「ルリバフ」は「ルリ族の織り」という意味だと思うが、実際にはそうでないのかな?
織った人の名前なのか、文字が織り込まれているので、会心の作なのかも?
.
そんなこんなで、わたしにとっての「ギャッベの時代」は3年ほどつづいたと思う。
2019.06.14 Friday

お久しぶりです

 


最後の記事が去年の6月28日なので、ほぼ一年ご無沙汰しておりました。

みなさまお変わりありませんか?
 

 

このブログはもともとアクセス数は大したことなかったのですが、

休止中?のあいだも訪れてくださる方がいらして、うれしいなぁと思っていました。

けさ、久しぶりにカシュガイ族のバッグフェイスを出してみました。



最近、カディコットンなど布物を眺めることが多かったのですが、
やはり毛織物の奥行きのある質感はいいですね。



お日様の光が当たって、すこしハレーションを起こしていますが
やっぱり部族絨毯のウール、染め、織りには独特の魅力があります。



いま、自分の絨毯遍歴をふり返る作業にかかろうとしています。

ときどき更新します。

どうぞよろしく〜!


 

 

 

2018.06.21 Thursday

続 「トランシルバニア絨毯」の本


「トランシルバニア絨毯」の本の紹介のつづきです。




いわゆる「ダブル・ニッチ」と呼ばれる壁龕が上下に二つ配置された絨毯は、「トランシルバニア絨毯」のなかでも代表的なデザインです。
「カルトゥーシュ」と呼ばれるメインボーダーが特徴的。

このピースは茜、インディゴ、緑、オークル、白の色使いで、トルコ西部の村の絨毯のルーツはここかな、と思わせます。
ただアンティークのトルコ絨毯によく見られる「オーベルジーヌ」(茄子紫)は、この本では見当たりません。

開放的で明るく楽しい気分が感じられますね。 「黒の教会」所蔵の17世紀初頭のもの。



フィールドが黄色のものも多く見られるようです。



こちらは「シングル・ニッチ」で、壁龕がひとつのタイプ。

聖マーガレット教会の17世紀前半のもの。



「シングル・ニッチ」絨毯は、特に宗教的な意味を持たないとされていますが、このタイプは「祈祷用絨毯」に区分されています。

メインボーダーは「オスマン・パターン」と呼ばれています。
「黒の教会」の17世紀末のもの。



やはり黄色のタイプもあります。
もとはトランシルバニアの教会所蔵でしたが、現在は Brukenthal Museum にあります。17世紀後半。



「円柱」が織り込まれた絨毯は、円柱の数で区分されます。
こちらは二本の円柱のデザイン。
17世紀末の福音教会のもの。




「円柱デザインの絨毯」のルーツはオスマン帝国の宮廷絨毯ではないかと考えられています。やはり宮廷絨毯は、どこか漂う雰囲気が違いますね。

こちらはブカレストの国立博物館所蔵のフラグメントで、16世紀末から17世紀初めのもので、織られた場所はカイロだとされています。
カイロはマムルーク絨毯が製作されたところでもあり、その伝統が引き継がれ、糸や染色や織り技術など、この時代もっともレベルの高い絨毯が織られていたのかもしれませんね。



円柱が6本の、「黒の教会」所蔵の絨毯。17世紀後半。
ボーダーにチューリップとカーネーションが配されてエレガント!
暗めの茜をはじめ落ち着いた色合いが素晴らしい。



この時代からはトルコの産地が特定されています。
こちらは17世紀末のギョルデス。 おなじギョルデスでも18世紀に入るとデザインが複雑化してきますが、このピースはシンプルで可愛い感じ。



こちらはクラの18世紀初めの絨毯。
渋い黄色とインディゴが基調で、茜はほんの少ししか使われていません。


駆け足でのご紹介でしたが、「トランシルバニア絨毯」の本はなかなか見ごたえがあります。
古いトルコ絨毯にも色々なタイプがありますが、みなさんのお好みのものはありそうでしょうか?

ではまた〜〜!
2018.06.14 Thursday

「トランシルバニア絨毯」の本


「『トランシルバニア絨毯』と呼ばれるトルコ絨毯」で引用させていただいた本の紹介の続きです。

スマホから投稿すると写真のサイズが小さくなるので、見づらいかもしれませんがご勘弁を…



前回はトランシルバニアの教会内部の写真しか載せなかったのですが、この本には一枚一枚の絨毯の全体写真も載っています。

○「ギルランダイオ絨毯」(画家の名前)
○「ホルバイン絨毯」(画家の名前)
○その他、年代の古い絨毯
○ウシャク絨毯(トルコの地名)
○「ロット絨毯」(画家の名前)
○セレンディ絨毯(トルコの地名)
○オスマン宮廷絨毯
○トランシルバニアグループ
○その他の祈祷用絨毯

このようなタイプの225枚の絨毯が掲載されています。

一番古い絨毯は、ドメニコ・ギルランダイオというフィレンツェの画家の絵に描かれているデザインの絨毯。


新しい絨毯ならいざ知らず、何百年も前に織られたものは、いつ、どこで織られたのかは不明なことが多く、専門家の間でも同定が難しいようです。

絨毯の呼び方は、織られた産地や織った部族など、いくつかのパターンがありますが、それが不明な場合、ルネッサンス以降の絵画を参考にして、絨毯の絵を描いた画家の名前をつける方法があります。

この絵が描かれたのが1480〜1485年なので、これに似たデザインの絨毯があれば、それが15世紀に織られたと推定することが妥当であるとされています。
また、これに近いデザインの絨毯を、ギルランダイオの名に因んで、便宜的に「ギルランダイオ絨毯」と呼びます。



15世紀中葉のものと推定される「福音教会」所蔵の絨毯。



ハンス・ホルバインというドイツの画家の肖像画にも絨毯が描かれています。このようなデザインの絨毯の通称として「ホルバイン絨毯」という名前がつけられています。



15世紀末に織られたとされる聖マーガレット教会所蔵の「ホルバイン絨毯」

次はトルコの絨毯産地ウシャクで織られた絨毯です。



こちらは星のようなモチーフから「スター・ウシャク」と呼ばれるタイプです。推定16世紀前半



ロレンツォ・ロットというベネツィアの画家の1542年の作品。



通称「黒の教会」所蔵の「ロット絨毯」。推定16世紀後半。
産地はおそらくウシャクだろうと考えられています。

次はトルコのセレンディ(ウシャクの40km西)で織られたと考えられている3つのタイプ。



「黒の教会」の17世紀初頭のチンタマーニ文様」絨毯



「福音教会」の16世紀末推定の通称「バード・ラグ」。
文様の本当の意味は不明で、これも便宜的につけた名称。
古い絨毯って、わからない点が本当に多いんですね。



聖マーガレット教会の17世紀中葉の通称「スコーピオン・ラグ」。
このデザインを「サソリ」に例えたわけですが、うーん、どうでしょう?


以上は15世紀から17世紀に織られたと考えられる絨毯でしたが、これらは他の地域でも見つかっているタイプの絨毯です。
これとは別に「トランシルバニア絨毯」と呼ばれるデザインのものがあるのですが、次回にご紹介したいと思います。

それではまた〜!
2018.06.04 Monday

樂美術館のバルーチキリム

 

金曜から日曜日まで母のお供で、京都と奈良に行っていた。

 

母は楽焼の十五代・樂吉左衞門さんの大ファン。

6月1日に樂さんのギャラリートークがあるというので

「あなたもぜひ聞きなさい」と誘われた。

 

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京都市上京区油小路にある樂美術館

 

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入口はこんな感じ

 

 

開館40周年を記念した樂さんのギャラリートークは全5回で、今回は最終回。

事前予約をしていた30名から40名ぐらいがエントランスホールで待っていた。

さすが京都で、和服姿のご婦人や、ちょっと前衛的な感じの若者も混じっている。

 

開催時刻の夕方5時、Tシャツにパンツという出で立ちで樂さんがふっと姿を現した。

すごくエラい人のはずなのに、まるで近所の人が顔を出したような登場の仕方にちょっと驚く。

だが普段着とはいえ、きりっとした身のこなし、体全体から発せられるオーラのようなものを感じる。

ストイック。清明。

修行を重ねている僧侶のようだ、と思った。

 

 

今回は「能と楽茶碗」との関係性を中心にお話があった。

 

* * *

 

楽茶碗は初代長次郎が利休の好みに合わせて焼いた茶碗がはじまりだとされている。

「黒楽」「赤楽」などとよばれる独特の茶碗。

けれどそういうものがいきなり生まれたわけではなく、ものには当然ルーツがあるはずだ。

 

それはおそらく南中国の「素三彩」とよばれるやきものだったのではないか。

「交趾焼」は日本でも見られるが、あれに近い感じだったと思われる。

もともと、緑や褐色や白などの限られた色のやきものだったが

利休の意をくんだ長次郎は、装飾性をどんどん廃していった。

 

装飾性を廃していったという点では、能もおなじ。

歌舞伎や浄瑠璃では、たとえば「泣く」という動作は誇張して演じられるが、

能の「泣く」は、少しうつむいて手をそっと添える、といったわずかな動きで表現される。

猿楽から能楽へと発展する過程において、ある種の装飾性を廃していっていまの形ができあがった。

 

* * *

 

このように楽茶碗と能の類似点などのお話をされた後、展示室へと移動して

実際の作品を見ながら、樂さんが解説される。

 

今回は能に因んだ銘がつけられている茶碗の横に、それぞれ能面が展示されていた。

 

当時茶道を嗜む者はたいてい能も好きで、茶事の際に謡が飛び出すこともよくあった。

茶碗の形や雰囲気からインスピレーションを得た茶人が

能の一場面を思い出して銘をつける。

 

たとえば上の写真は、長次郎の赤楽茶碗だが「道成寺」という銘が付けられている。

その心は「釣鐘を逆さにした形のようだから」。

(能「道成寺」は白拍子が梵鐘のなかに飛びこむシーンがある)

長次郎の赤楽茶碗の横に「道成寺」の能面のコラボレーション。

 

* * *

 

それ以外にも樂吉左衛門さんご自身の作品「砕動風鬼」にまつわるエピソードなど

たいへん興味深いお話がつづき、とても贅沢な時間を過ごせた。

 

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美術館のあちこちにお花が生けてあったが、

ただ「花が飾ってあるな」ではなく、ひとつひとつの花のいのちが輝いていた。

 

* * *

 

さて、ギャラリートークに先立って展示を拝見すると、

熊谷守一美術館とおなじく(?)、樂美術館にもバルーチを発見!

 

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第三展示室にベンチがあり、その下にバルーチキリム。

これは「たばこと塩の博物館」で展示があった丸山繁さんから購入されたものだと思われる。

 

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"KILIM the complete guide" より

似たタイプのバルーチキリム。

 

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この本によると、ディーラーの間では「バルーチ・マラキ」とよばれるタイプ。

 

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樂美術館のキリムの細部

 

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『芸術新潮』2008年3月号

10年以上前の写真ですが、このかたが十五代・樂吉左衞門さん。

 

トライバルラグの中でも、樂さんが選ばれるとしたら、やはりバルーチだと思う。

ピースによってはトルクメンという選択肢もあるけれど、なんといってもバルーチ。

 

その理由は「闇」。

 

この特集号の中に「闇のなかへ 千利休」というページがある。

ギャラリートークでも「妙喜庵待庵」のお話が出た。

「待庵は茶室のなかでも暗いんですよ。茶碗なんかもやっと姿がわかるくらい」

 

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待庵のにじり口。

奥はほとんど見えない。

 

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広さ二畳の茶室内部。

 

「まるで洞穴のような床。奥の隅柱も、床の天井も土で塗り廻したような室床に、

黒楽茶碗「ムキ栗」を置く。暗闇に黒。これが利休の茶だ。」(左頁のキャプション)

 

* * *

 

黒楽を中心とした楽茶碗を展示するスペースには

アナトリアキリムも、コーカサスキリムも似合わない。

やっぱりバルーチキリムがいちばん、似合う。

 

もっとバルーチキリムの良さが日本に広まるといいなあ。

 

 

 

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