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2018.06.21 Thursday

続 「トランシルバニア絨毯」の本


「トランシルバニア絨毯」の本の紹介のつづきです。




いわゆる「ダブル・ニッチ」と呼ばれる壁龕が上下に二つ配置された絨毯は、「トランシルバニア絨毯」のなかでも代表的なデザインです。
「カルトゥーシュ」と呼ばれるメインボーダーが特徴的。

このピースは茜、インディゴ、緑、オークル、白の色使いで、トルコ西部の村の絨毯のルーツはここかな、と思わせます。
ただアンティークのトルコ絨毯によく見られる「オーベルジーヌ」(茄子紫)は、この本では見当たりません。

開放的で明るく楽しい気分が感じられますね。 「黒の教会」所蔵の17世紀初頭のもの。



フィールドが黄色のものも多く見られるようです。



こちらは「シングル・ニッチ」で、壁龕がひとつのタイプ。

聖マーガレット教会の17世紀前半のもの。



「シングル・ニッチ」絨毯は、特に宗教的な意味を持たないとされていますが、このタイプは「祈祷用絨毯」に区分されています。

メインボーダーは「オスマン・パターン」と呼ばれています。
「黒の教会」の17世紀末のもの。



やはり黄色のタイプもあります。
もとはトランシルバニアの教会所蔵でしたが、現在は Brukenthal Museum にあります。17世紀後半。



「円柱」が織り込まれた絨毯は、円柱の数で区分されます。
こちらは二本の円柱のデザイン。
17世紀末の福音教会のもの。




「円柱デザインの絨毯」のルーツはオスマン帝国の宮廷絨毯ではないかと考えられています。やはり宮廷絨毯は、どこか漂う雰囲気が違いますね。

こちらはブカレストの国立博物館所蔵のフラグメントで、16世紀末から17世紀初めのもので、織られた場所はカイロだとされています。
カイロはマムルーク絨毯が製作されたところでもあり、その伝統が引き継がれ、糸や染色や織り技術など、この時代もっともレベルの高い絨毯が織られていたのかもしれませんね。



円柱が6本の、「黒の教会」所蔵の絨毯。17世紀後半。
ボーダーにチューリップとカーネーションが配されてエレガント!
暗めの茜をはじめ落ち着いた色合いが素晴らしい。



この時代からはトルコの産地が特定されています。
こちらは17世紀末のギョルデス。 おなじギョルデスでも18世紀に入るとデザインが複雑化してきますが、このピースはシンプルで可愛い感じ。



こちらはクラの18世紀初めの絨毯。
渋い黄色とインディゴが基調で、茜はほんの少ししか使われていません。


駆け足でのご紹介でしたが、「トランシルバニア絨毯」の本はなかなか見ごたえがあります。
古いトルコ絨毯にも色々なタイプがありますが、みなさんのお好みのものはありそうでしょうか?

ではまた〜〜!
2018.06.14 Thursday

「トランシルバニア絨毯」の本


「『トランシルバニア絨毯』と呼ばれるトルコ絨毯」で引用させていただいた本の紹介の続きです。

スマホから投稿すると写真のサイズが小さくなるので、見づらいかもしれませんがご勘弁を…



前回はトランシルバニアの教会内部の写真しか載せなかったのですが、この本には一枚一枚の絨毯の全体写真も載っています。

○「ギルランダイオ絨毯」(画家の名前)
○「ホルバイン絨毯」(画家の名前)
○その他、年代の古い絨毯
○ウシャク絨毯(トルコの地名)
○「ロット絨毯」(画家の名前)
○セレンディ絨毯(トルコの地名)
○オスマン宮廷絨毯
○トランシルバニアグループ
○その他の祈祷用絨毯

このようなタイプの225枚の絨毯が掲載されています。

一番古い絨毯は、ドメニコ・ギルランダイオというフィレンツェの画家の絵に描かれているデザインの絨毯。


新しい絨毯ならいざ知らず、何百年も前に織られたものは、いつ、どこで織られたのかは不明なことが多く、専門家の間でも同定が難しいようです。

絨毯の呼び方は、織られた産地や織った部族など、いくつかのパターンがありますが、それが不明な場合、ルネッサンス以降の絵画を参考にして、絨毯の絵を描いた画家の名前をつける方法があります。

この絵が描かれたのが1480〜1485年なので、これに似たデザインの絨毯があれば、それが15世紀に織られたと推定することが妥当であるとされています。
また、これに近いデザインの絨毯を、ギルランダイオの名に因んで、便宜的に「ギルランダイオ絨毯」と呼びます。



15世紀中葉のものと推定される「福音教会」所蔵の絨毯。



ハンス・ホルバインというドイツの画家の肖像画にも絨毯が描かれています。このようなデザインの絨毯の通称として「ホルバイン絨毯」という名前がつけられています。



15世紀末に織られたとされる聖マーガレット教会所蔵の「ホルバイン絨毯」

次はトルコの絨毯産地ウシャクで織られた絨毯です。



こちらは星のようなモチーフから「スター・ウシャク」と呼ばれるタイプです。推定16世紀前半



ロレンツォ・ロットというベネツィアの画家の1542年の作品。



通称「黒の教会」所蔵の「ロット絨毯」。推定16世紀後半。
産地はおそらくウシャクだろうと考えられています。

次はトルコのセレンディ(ウシャクの40km西)で織られたと考えられている3つのタイプ。



「黒の教会」の17世紀初頭のチンタマーニ文様」絨毯



「福音教会」の16世紀末推定の通称「バード・ラグ」。
文様の本当の意味は不明で、これも便宜的につけた名称。
古い絨毯って、わからない点が本当に多いんですね。



聖マーガレット教会の17世紀中葉の通称「スコーピオン・ラグ」。
このデザインを「サソリ」に例えたわけですが、うーん、どうでしょう?


以上は15世紀から17世紀に織られたと考えられる絨毯でしたが、これらは他の地域でも見つかっているタイプの絨毯です。
これとは別に「トランシルバニア絨毯」と呼ばれるデザインのものがあるのですが、次回にご紹介したいと思います。

それではまた〜!
2018.06.04 Monday

樂美術館のバルーチキリム

 

金曜から日曜日まで母のお供で、京都と奈良に行っていた。

 

母は楽焼の十五代・樂吉左衞門さんの大ファン。

6月1日に樂さんのギャラリートークがあるというので

「あなたもぜひ聞きなさい」と誘われた。

 

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京都市上京区油小路にある樂美術館

 

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入口はこんな感じ

 

 

開館40周年を記念した樂さんのギャラリートークは全5回で、今回は最終回。

事前予約をしていた30名から40名ぐらいがエントランスホールで待っていた。

さすが京都で、和服姿のご婦人や、ちょっと前衛的な感じの若者も混じっている。

 

開催時刻の夕方5時、Tシャツにパンツという出で立ちで樂さんがふっと姿を現した。

すごくエラい人のはずなのに、まるで近所の人が顔を出したような登場の仕方にちょっと驚く。

だが普段着とはいえ、きりっとした身のこなし、体全体から発せられるオーラのようなものを感じる。

ストイック。清明。

修行を重ねている僧侶のようだ、と思った。

 

 

今回は「能と楽茶碗」との関係性を中心にお話があった。

 

* * *

 

楽茶碗は初代長次郎が利休の好みに合わせて焼いた茶碗がはじまりだとされている。

「黒楽」「赤楽」などとよばれる独特の茶碗。

けれどそういうものがいきなり生まれたわけではなく、ものには当然ルーツがあるはずだ。

 

それはおそらく南中国の「素三彩」とよばれるやきものだったのではないか。

「交趾焼」は日本でも見られるが、あれに近い感じだったと思われる。

もともと、緑や褐色や白などの限られた色のやきものだったが

利休の意をくんだ長次郎は、装飾性をどんどん廃していった。

 

装飾性を廃していったという点では、能もおなじ。

歌舞伎や浄瑠璃では、たとえば「泣く」という動作は誇張して演じられるが、

能の「泣く」は、少しうつむいて手をそっと添える、といったわずかな動きで表現される。

猿楽から能楽へと発展する過程において、ある種の装飾性を廃していっていまの形ができあがった。

 

* * *

 

このように楽茶碗と能の類似点などのお話をされた後、展示室へと移動して

実際の作品を見ながら、樂さんが解説される。

 

今回は能に因んだ銘がつけられている茶碗の横に、それぞれ能面が展示されていた。

 

当時茶道を嗜む者はたいてい能も好きで、茶事の際に謡が飛び出すこともよくあった。

茶碗の形や雰囲気からインスピレーションを得た茶人が

能の一場面を思い出して銘をつける。

 

たとえば上の写真は、長次郎の赤楽茶碗だが「道成寺」という銘が付けられている。

その心は「釣鐘を逆さにした形のようだから」。

(能「道成寺」は白拍子が梵鐘のなかに飛びこむシーンがある)

長次郎の赤楽茶碗の横に「道成寺」の能面のコラボレーション。

 

* * *

 

それ以外にも樂吉左衛門さんご自身の作品「砕動風鬼」にまつわるエピソードなど

たいへん興味深いお話がつづき、とても贅沢な時間を過ごせた。

 

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美術館のあちこちにお花が生けてあったが、

ただ「花が飾ってあるな」ではなく、ひとつひとつの花のいのちが輝いていた。

 

* * *

 

さて、ギャラリートークに先立って展示を拝見すると、

熊谷守一美術館とおなじく(?)、樂美術館にもバルーチを発見!

 

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第三展示室にベンチがあり、その下にバルーチキリム。

これは「たばこと塩の博物館」で展示があった丸山繁さんから購入されたものだと思われる。

 

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"KILIM the complete guide" より

似たタイプのバルーチキリム。

 

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この本によると、ディーラーの間では「バルーチ・マラキ」とよばれるタイプ。

 

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樂美術館のキリムの細部

 

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『芸術新潮』2008年3月号

10年以上前の写真ですが、このかたが十五代・樂吉左衞門さん。

 

トライバルラグの中でも、樂さんが選ばれるとしたら、やはりバルーチだと思う。

ピースによってはトルクメンという選択肢もあるけれど、なんといってもバルーチ。

 

その理由は「闇」。

 

この特集号の中に「闇のなかへ 千利休」というページがある。

ギャラリートークでも「妙喜庵待庵」のお話が出た。

「待庵は茶室のなかでも暗いんですよ。茶碗なんかもやっと姿がわかるくらい」

 

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待庵のにじり口。

奥はほとんど見えない。

 

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広さ二畳の茶室内部。

 

「まるで洞穴のような床。奥の隅柱も、床の天井も土で塗り廻したような室床に、

黒楽茶碗「ムキ栗」を置く。暗闇に黒。これが利休の茶だ。」(左頁のキャプション)

 

* * *

 

黒楽を中心とした楽茶碗を展示するスペースには

アナトリアキリムも、コーカサスキリムも似合わない。

やっぱりバルーチキリムがいちばん、似合う。

 

もっとバルーチキリムの良さが日本に広まるといいなあ。

 

 

 

2018.05.01 Tuesday

「美は乱調にあり」?! 「クルド・バルーチ」と呼ばれる絨毯

 

ぷぎー地方ではいつも、ゴールデンウィークに田植えがはじまります。

 

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きょうは朝早くから近所の里山を歩いてきました。

 

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こちらは田植えはまだこれから。

水を張った田んぼが鏡のよう。

山紫水明〜き(山は紫じゃないけど)

 

引っ越してきた当初はまったく興味がなかった里山。

なにげない季節のいとなみがいとおしく感じられるようになりました。

 

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蜘蛛によるマスターピース!

「くものくも」( 蜘蛛の雲 ) 汗

 

* * *

 

夫がリタイアして家にいることが多くなったので、なかなか絨毯を出して眺める機会がなくなったけれどDocomo_kao18

先日絨毯を日光浴させたついでに何枚か写真を撮りました。

 

今回ご紹介するのは「クルド・バルーチ」と呼ばれる絨毯2枚。

 

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いわゆる「バルーチ絨毯」は、(真正)バルーチ族以外のグループが織ったものも含まれています。

アフガニスタン北西部のティムリーやムシュワニ、チャハール・アイマックなど。

 

これらのグループは、ちゃんとしたトライバルグループなのですが、

それ以外に「クルド・バルーチ」と呼ばれるタイプの絨毯があり、

こちらはそういう名前の部族がいるわけではなさそうです。

不勉強でハッキリしたことは言えませんが「クルド族が織ったバルーチっぽい絨毯」のこと?

 

私にわかることは、以下のとおりです。

 

アンティークのバルーチ絨毯は、総じて糸が細めで、織りもトライバルラグの中では細いほう。

パイルも最初から短めにカットされます。

 

それに比較すると「クルド・バルーチ」と呼ばれる絨毯は、糸は太め、織りはあまり細くなく、パイルも長め。

 

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キリムエンドにこのようなジジムを織り込むことも多いようです。

この他、クルド族はオレンジ色が好き?という印象も。

 

この写真を見れば、糸の太さや織りのざっくり具合がわかりますね。

 

 

ちなみにこれはクルドではないバルーチ絨毯。

縦糸を比較してみてください。

 

そしてクルド族の絨毯やキリムには、やたら色を変えているものが多いのです!

 

「絨毯好きのつどい」1回目でYさんが見せてくださったクルドのキリムは

驚くほどの種類の色を使っていたし、

手仕事クイーンがトライブさんから購入されたクルドの絨毯も

「これでもか!」というほど色んな糸をとっかえひっかえ使って織ったものでした。

 

(注:おなじクルド族でも、セネやビジャーなど工房の絨毯はそんなことはなく

デザイナーが指定したとおりの色と線を守ってキッチリした絨毯を織るので誤解されませんように)

 

 

最初この絨毯を見たとき、赤の部分になんとなく違和感がありました。

全体に「色むら」があるので、化学染料が不均一に褪色したのかも? と感じたのです。

 

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こういうときこそ絨毯の裏側を見るのが大事!

裏側を見れば解ることも多いのです。

 

写真だとわかりにくいかもしれませんが、

赤い糸をじっくり見ていると、トーンの違う赤を3種類ほど使っています。

つまり赤のトーンが違う糸綛(かせ)をとっかえひっかえ使ってパイルを結んでいるのです。

化学染料を疑ったけれど、どうやら天然染料のようですし。

 

「効率」からいえば、いちいち違う綛から毛糸を使えば、余分な手間と時間がかかります。

でもこの絨毯を織った人は「トーンを変えたほうがスキ!」と考えたのでしょう。

 

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この写真だと、赤のトーンの違いがよくわかりますね。

 

 

ウールの毛質も他の多くのバルーチ絨毯とは違います。

ちょっとゴワっとしているものの、パイルが長めなのもあって、手触りはわりとスベスベしています。

 

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やたらと色を変えたがる他にも、織り模様をわざと崩すことも好きみたい。

右側の絨毯の「ボーダー(外枠の模様)」の赤い部分を目で追ってみてください。

 

あっ、フィールド内部に「茶色のワンちゃん」がいます!

 

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さて次はこちらのボテ絨毯!

オレンジや茜、インディゴはよく残っているけれど、

ボテの背景の薄茶色は鉄媒染を使ったのでしょうか、朽ちてすり減っています。

 

ボテがキャラクターの顔のようにも見えてきます。

ウルトラマンの「シェー!」(←さすが還暦を迎える人の言葉だ・・・

 

ボテも、ひとつとしておなじ形はないし、

インディゴの糸の入れ方も、無作為すぎて泣けてきます、、、(モチロン「うれし泣き」)

 

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ところで絨毯って、どっちから織りはじめているかわかりますか?

 

絨毯を撫でて「抵抗が少ない方向」を感じとってください。

パイルが下に向かうように絨毯をおけば、その絨毯は下から織りはじめているのです。

 

そういうわけで、この写真では下から上に織り進めているのですが、

ボーダーからフィールドに移ってすぐ、かわいい小花模様が織り込まれていますね。

 

うん、ここまでは整然とした感じなのですが、

その後は、気の向くまま思うまま、のびのびと織っていったようです。

 

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フィールドの端っこの小さな花なのか精霊なのか、、、もカワイイ。

 

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「セブン&アイ・ホールディングス」のロゴを思わせるようなキャラクター?

 

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うーむ、この動物はなんだろう、、、

ヤギか、はたまたラクダさえイメージさせるような、、、

 

* * *

 

この絨毯を織った人は、どんな人だろう?

どんなことを考えながら織ったんだろう?

 

そんなことを想像できるのが、トライバルラグのおもしろさの一つです。きらきら

 

 

2018.04.28 Saturday

日光浴〜!

 

きょうはゴールデンウィーク初日で絶好の行楽日和ですね。

 

でも「毎日が休日〜」の私は、あえて人ごみの中に出かけることもないと

愛するラグたちの日光浴のサーバントを務めることにいたしましたw

 

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なんとも生活感あふれる画像でスミマセン〜汗

ベランダ床に見える水色は、除湿シート。

あちこちに白い除湿シートも見えます。

 

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右手に見える木材は保管している絨毯の下に敷く「すのこ」

絨毯の日光浴の際には、スノコや除湿シートも乾かします。

 

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洗濯物干し場には、バッグフェイスや小さめのラグたちを目一杯。

 

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あまりにも天気が良いので写真がハレーション!

 

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古いバルーチの命は、艶やかなウールと深い色です。

 

みなさま、よい休日をお過ごしくださいませ〜Docomo80

 

 

2018.04.01 Sunday

熊谷榧さんのバルーチ・鞍掛袋

 

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今年は絶好のお花見日和にめぐまれて、桜が存分に楽しめました。

花びらのじゅうたんもきれい。

 

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3月21日まで東京国立近代美術館で開かれていた

「没後40年 熊谷守一 生きるよろこび」がとても良かったので

きのうは池袋西郊の熊谷守一美術館に行ってきた。

 

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画家亡き後、自宅跡に次女・熊谷榧(カヤ)さんが私設美術館として1985年に設立し、2007年に豊島区立となる。

敷地80坪弱のこじんまりとした美術館だが、ここそこに温かさがあふれていた。

 

 

1880年(明治13年)岐阜県に生まれる。

裕福な実業家だった父は、初代岐阜市長から衆議院議員を務めたが、

守一は妾の家で育てられたりと複雑な家庭環境で、

幼い頃から人間のエゴや欲や醜いことに関しては人一倍敏感だったようだ。

 

父の仕事を通していろんなものが見えました。

生糸の仲買人は百姓をごまかして買い叩き、番頭は台秤をごまかして仲買人から安く買う。

それが番頭の忠義心であり、手腕だったわけです。そうやって人の裏をかき、人を押しのけて、

したり顔のやりとりを見ているうちに、商売のこつをのみ込んでいく代りに、

わたしはどうしたら争いのない生き方ができるだろうという考えにとりつかれていったのかもしれません。

(95歳 1975年)

(以下の引用は、『熊谷守一画文集 ひとりたのしむ』求龍堂1998年 より)

 

1900年、20歳のとき東京美術学校入学。同級生に青木繁がいる。

二年後に父が急死して家運が傾き莫大な借金が残る。

「たとえ乞食をしても絵かきになろう」と考えるが、「売るため」の作品が描けず、長く困窮がつづいた。

貧しい暮らしの中で三人の子を亡くしました。

次男の陽が四歳で死んだときは、陽がこの世に残す何もないことを思って、陽の死顔を描きはじめましたが、

描いているうちに”絵”を描いている自分に気がつき、嫌になって止めました。

「陽の死んだ日」です。早描きで、三十分ぐらいで描きました。 (93歳 1973年)

 

やがてコレクターの木村定三氏をはじめとして、作品が徐々に認められるようになっていったが、

欲のない、超俗の精神はそのままだった。

 

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美術館の塀に彫られた蟻の絵とサインの写し。

晩年は家の庭で日がな一日、小さな生きものや草花を観察して過ごしていた。

 

地面に頬杖つきながら、蟻の歩き方を幾年も見ていたんですが、

蟻は左の二番目の足から歩き出すんです。(96歳 1976年)

 

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自宅の庭にひそんでいる熊谷守一

 

いまは見えなくても、そのときおりおり、芽を出して花を咲かせ、実をつけるいろいろな草木があって、

この植えこみのぐるりの道は、ただ歩くものならものの二分とかからないでもとに戻れる範囲ですが、

草や虫や土や水がめの中のメダカや、いろいろなものを見ながら廻ると、毎日廻ったってあきません。

そのたび面白くて、ずいぶん時間がかかるんです。 (96歳 1976年)

 

近代美術館での回顧展もそうだったが、彼の作品を見ているうちにある種の解放感へと向かう。

初期の作品はアカデミックで暗い色調のものだが、やがてフォービズム的な荒いタッチへと変わり、

やがて赤い輪郭線で仕切られた清澄な作風になる。

 

なんというか、心の澱が取り払われていくような気持ちがするのだ。

 

絵は好きで、それなりに観るのだが、詳しいことはよくわからない。

最近はもっぱら、作品からあふれる「気」が好ましいかどうかだ。

 

熊谷守一の作品は見る者の心を浄化する力があるように思う。

 

自由に生きていいんだ。

アリや蝶々やカマキリのように、

そっと花を咲かせる小さな草花のように、

だって自分もおんなじ小さな生きものだから。

 

* * *

 

とまあ、そんな感じで今回も気持ち良く作品を見おわり、

カウンター付近の絵葉書やカタログなど眺めていますと、、、

 

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おおっ!

なんと熊谷守一美術館にバルーチのサドルバッグがぁ〜!

しかも完品!

裏側を見るとかなり古いもののようだ。

 

思わず受付職員の方に

「この袋、写真撮らせてもらってもよろしいでしょうか?!」

と訊いてしまった。

 

許可を得てパシャリ!

 

* * *

 

じつはこの横はソファーが並べられており、

熊谷守一の次女であり館長でもある榧さんが座っておられたのである。

 

上記を引用させていただいた求龍堂『ひとりたのしむ』の年譜も、榧さんが執筆されており、

一見淡々と書かれているようでいて、行間にじつに豊かな味わいのある文章に舌を巻いていたのであった。

また館内には、榧さんの絵、彫刻、木彫りなどの作品も展示されており、

さすがは熊谷守一の愛娘というしかなかった。

 

雑誌『婦人之友』3月号のインタビュー記事も読んでいたし、

ホントはちょっぴりお話かけしたかったのだったが、

やっぱいきなり話しかけるのも失礼かなと思って我慢していたのだ。

 

* * *

 

そのあと絵はがきを買い、

「せっかく池袋まで来たんだから、雑司が谷霊園にある永井荷風先生の墓に行くか〜」

とそそくさと美術館を後にしたのであった。

 

しかし!

「なぜバルーチのサドルバッグがあるのか、理由を聞いてくればよかった」

と思いはじめ、

「熊谷守一は晩年ほとんど外出しなかったそうだから、

誰かからプレゼントでもらったか、

それとも榧さんはヨーロッパの山スキーなどに出かけておられるから

榧さんの持ち物か、どっちかじゃないかな?」

と気になりはじめた。

 

家に帰ってからだとタイミングを逃してしまう。

そこで雑司が谷の駅を出たところで美術館に電話した。

 

「あの〜、さっき袋の写真を撮らせていただいた者なんですけど、

差し支えなければ、あの袋の来歴を教えていただけませんか?」

 

「少々お待ちください」との後、しばらく経って

「あれは次女の熊谷榧さんの持ち物です。

中東でラクダなどの背にかけて使う袋ということです」

との返事をいただいた。

 

ラクダには小さすぎるのでロバか馬とは思ったけれど

「はい! わかりました!

どうもありがとうございました!」

と電話を切った。

 

そうか〜、熊谷榧さんがあの袋を気に入られたんだ〜。

 

バルーチのシックな色合いと、しっとりしたウールの質感、丁寧な紐飾り。

 

榧さんがバルーチの毛織物を気に入ってくださったと知って、

とても嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

2018.03.18 Sunday

「トランシルヴァニア絨毯」と呼ばれるトルコ絨毯

 

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前回と同じ場所の梅の花。満開です。

 

さて、前回取り上げたうちのトルコ絨毯がいつごろ織られたものなのか?

というと19世紀後半から20世紀はじめではないかと思います。

 

「アンティーク、アンティーク」と騒いでいても、

それより前の時代の絨毯を入手するのは非常に難しい。

 

そんな私があこがれる絨毯といえば

「トランシルヴァニア絨毯」と呼ばれるトルコ絨毯です。

 

 

現在のルーマニアの一部ですが、

このトランシルヴァニアの教会に古〜いトルコ絨毯が残っているのです。

 

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"ANTIQUE OTTOMAN RUGS IN TRANSYLVANIA" by Stefano Ionescu 2005年

以下の写真はこの本より転載

 

トランシルヴァニア地方は昔から豊かな土地で、

12世紀ごろからドイツ・ザクセン地方の人びとが入植をはじめた。

 

トランシルヴァニアは中東とヨーロッパを結ぶ交易路の重要な中継地として栄え、

富を蓄えた地方の名士やギルドなどが

当時はたいへんな贅沢品であった絨毯を教会に寄進した。

 

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ブラショフという町にあるトランシルヴァニア地方最大の「黒の教会」(正式名称は「聖マリア教会」)。

高さ65mの塔を持つ後期ゴシック教会で、ルーマニア最大級のパイプオルガンも備えている。

 

1477年完成当時はカトリック教会だったが、1544年にプロテスタント・ルター派に改宗したという。

 

去年は「宗教改革500年」にあたり、

ルターが「95ヶ条」の提題でキリスト教会の改革をはじめたのが1517年。

以後、カトリックとプロテスタントの長く壮絶な争いが始まるのだが、

ドイツからかなり離れたトランシルヴァニアの教会が、ルター派に早期に改宗したというのも面白い。

 

ルターはザクセンの修道士だった。

トランシルヴァニアの人びとは、もとはザクセンの人びとだ。

遠く離れた故郷での新しい大きなうねりに無関心でいられるはずがない。

トランシルヴァニアの宗教改革を率いたヨハネス・ホンテルスはじめ、

故郷との人的交流などによって、いち早く反応したのかもしれない。

 

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そこにまた、イスラム教の祈祷用絨毯がずらりと飾られているのが衝撃的なのである。

 

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上段は通常の意匠の絨毯だけれど、下段はミフラブのついた祈祷用絨毯。

 

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しかし、ルター派がどうの、キリスト教会にイスラムのお祈り絨毯がどうの、と言っているよりも、

写真から伝わっているこの美しさは何物にも代えがたい。

 

このレヴェルの絨毯は、いまでは博物館でしか見られないものだが

博物館で見るのと、このような「祈りの場」で見るのとでは全然ちがうと思う。

 

日本でも、おなじ仏像であっても、博物館で見るのと本来のお寺で見るのとでは、ずいぶんちがう。

 

こちらは「異教」ではあるものの、敬虔な祈りの場に安置され、何世紀にも亙って大切に手入れされつづけてきた絨毯である。

絨毯にたくわえられてきた「気」というか「power」が違って当然だと思う。

 

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パイプオルガンのある身廊は通常の絨毯がほとんどのようだ。

 

トランシルヴァニア地方には、「黒の教会」以外にも古いトルコ絨毯を飾った教会がある。

 

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聖マーガレット教会。

中央は「ホルバイン絨毯」、左右は「ロットー絨毯」である。

(「ホルバイン絨毯」「ロットー絨毯」というのは画家の名前を冠した通称で、これはまた機会を改めて)

 

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ハルマンの福音教会にある「ロットー絨毯」

 

 

 

* * *

 

「ホルバイン絨毯」や「ロットー絨毯」は、16〜17世紀と非常に古いものが多いが、

「黒の教会」に見られる祈祷用絨毯は、それより後の時代のもののようである。

 

「黒の教会」は1689年に大火事でパイプオルガンさえもが焼ける被害を受け、絨毯もほとんどが焼けたようだ。

 

教会再建の過程で、教会員や支援者があらたに絨毯を寄進したわけだが、

そのなかで18世紀に織られた祈祷用絨毯の割合が多くなったことも考えられる。

 

 

2018.03.12 Monday

うちのトルコ絨毯

 

近くの里山では梅の花が見ごろをむかえ、桜は着々と開花に向けて準備中。

 

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ギブスが取れたあとも左手はなかなか思うように動かなかったのですが

ようやくブログを書く余裕ができてきました。

 

* * *

 

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きょうは天気が良かったので、ひさしぶりに絨毯を干しました。

 

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冬は乾燥しているとはいえ、しまいこんでいると空気が淀んで絨毯にはよくありません。

 

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きょうはトルコ絨毯だけですが、日に当てて風を通すことができました。

 

* * *

 

1月にミラス絨毯の記事を書いたとき、

その源流とでも呼ぶべき「トランシルヴァニア絨毯」について

写真だけでも絨毯好きの皆さんにご紹介したいなあ、と考えていました。

 

アンティークのトルコ絨毯は、宮廷用の巨大な絨毯もありますが、

多くはタタミ1畳ほど「セッジャーデ」と呼ばれる大きさのものです。

「トランシルヴァニア絨毯」もセッジャーデ・サイズ。

 

すでにブログにアップしてきた絨毯ばかりですが、

うちにあるトルコ絨毯をもう一度、眺めてみたいと思います。

 

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この二枚はトルコ西部のミラス絨毯。

右側は、よく絨毯の本に登場する独特のミヒラブを持った代表的なデザイン。

左側も祈祷用デザインですが、あまり本では見かけないタイプ。

ひとまわり小さいですね。

 

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縦糸は染めていないウール、緯糸が茜で染めたウール。

パイルはもちろんウールです。

 

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トルコ中央部の絨毯。

左はムジュール、中央と右はクルシェヒールの絨毯です。

 

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ミラスと同じく、縦糸は染めていないウール、緯糸は茜で染めたウール、パイルもウールです。

 

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左はクラ、右はギョルデスの絨毯。

トルコ西部でも、ミラスの北、イズミールの東になります。

 

「トルコ結び」の別名が「ギョルデス結び」と呼ばれるように、

ギョルデス絨毯は18世紀から19世紀にかけて、さかんに欧米に輸出されました。

 

このギョルデス絨毯は、緯糸と白いパイル糸がコットンです。

初期のギョルデス絨毯はすべてウールでしたが、19世紀になると緯糸がコットンになりました。

 

右のクラ絨毯は「輸出用」というよりも、自分たちで使うタイプの村の絨毯です。

20世紀に入ってのものだと思いますが、ウールも染めも素朴な味わいがあります。

 

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トルコ東部の「濃ゆーい」絨毯です。

トルコ東部の絨毯は「クルド」なのか「ユルック」なのか、判別に困りますが

左側のいかにもワイルドな印象に比べて、右側はきちんとして可愛い感じですね。

 

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ウールの質も違います。

どちらもセルベッジ(耳)にこだわりがあります。

 

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やはりトルコ東部の絨毯。

どちらもクルドのようです。

 

左は色使いがすばらしく、モチーフにも可愛さが感じられます。

コンディションはよくないけれど、本に載ってもおかしくない絨毯だと思います。

 

右はオレンジは天然だと思いますが、かなり化学染料が入っている模様です。

形もずいぶん末広がりだし、品がいいかといえば「うーん、、、」ですが、

とにかくパワフル! こういう絨毯もアリ!なのではないでしょうか。

 

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あんまりお行儀が良くなくても魅力的な人がいるように、

ケミカルが使われた「横紙破り」の絨毯だって、織った人の息づかいが感じられていいなあと思うんですよ。

 

2018.02.23 Friday

ギブスが取れました〜

 

1月中旬のインフルエンザにつづき、

下旬に思わぬ左手首骨折!

不自由な生活でしたが、本日めでたくギブスが取れました〜!手

 

ところでみなさん、ギブスって種類があることをご存知ですか?

 

骨折した直後は、添え木に包帯を巻く形の「ギブス・シーネ」。

しばらくは患部が腫れて膨張したりするため、ある程度伸び縮みに対応するギブスのようです。

 

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これが肘上まであるギブス・シーネで、腕を吊り下げたまま一週間過ごしました。

 

患部の腫れも引いたところで、ガッチリと固定するギブスに変わりました。

こちらは肘より下なので肘が曲げられますし、肩から吊り下げなくても大丈夫です。

 

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「抜け殻」の図。

特殊な素材の包帯を、水に濡らして腕に巻きつけていくと

巻きつけた形状に合わせてガッチリ固まります。

 

巻きつけ方に不具合があると、腕が圧迫されて神経を痛めたりすることも稀にあるので

ギブスを巻くのは翌日が診療日の場合だけだそうです。

万が一、腕が痛くなっても休診日だと対応できないから、とのこと。

 

最初のギブス・シーネの「添え木」も、腕の形状に合わせて変形する素材でした。

添え木を当てて包帯を巻いてもらっていると、なんだかじんわり温かいのです。

 

「先生、なんだか温かいんですけど、これ温熱湿布ですか?」と訊くと

「骨折は冷やさなくちゃいけないのに、バカなことを言っちゃいかん。

これは素材が固まるときに放熱しているんだ」とのことでした。

 

知らないあいだに医療用品って、どんどん進化しているんですね。クローバー

 

あと2、3日、寝るときは「抜け殻」をしておいたほうが良いとのこと。

しばらく動かしてなかったので、寝返りなどの拍子に痛むことがあるそうです。

 

骨折した経過はお恥ずかしくて話せません。

これに懲りて、今後は慎重に行動しなければ、、、

 

みなさま、どうぞご自愛くださいね。

 

2018.01.28 Sunday

トーベ・ヤンソンのアトリエのオリエンタル・ラグ

 

私のパソコンは北側の部屋にあります。ゆう★

 

寒すぎて長い時間パソコンに向かっていられないので

今回はミラス絨毯から離れて、短い記事を、、、

 

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今年のセンター試験の「ムーミン」に関する出題が物議を醸していますネ。

 

トーベ・ヤンソンのアトリエの写真です。

『ムーミンとトーベ・ヤンソン』より(実業之日本社 2015年)

 

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もう一枚、同じ本より。

少し見づらいけれど、カウチチェアの下にひかれている絨毯に注目。

 

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最初のキリムはたぶんトルコのアイドゥンのもの。

もちろん同じキリムではないけれど、これと似たデザイン。

"FLATWEAVES OF TURKEY" by AREND BANDSMA & ROBIN BRANDT より

 

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下の絨毯はたぶんトルクメンのエルサリ支族スレイマン・グループのもの。

アフガニスタン領内で織られたものだと思います。

似たものを "Oriental rugs Vol.3 The Carpet of Afghanistan"  by R.D.Parsons から。

 

ヤンソンはアーティストなので、当然かなとも思いますが、

やっぱりキリムや絨毯はヨーロッパのインテリアに合いますね〜! 

 

 

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