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2016.08.25 Thursday

「カーネーション」か「二匹のハゲタカをつかむ女神」か

 

前回のフラグメントの全体像はこんな感じです。

 

 

これに似た文様のアナトリアン・キリムがジョン・トンプソン著"ORIENTAL CARPET"に載っています。

 

IMG_3444.JPG

 

氏によると、このキリムはトルコのニーデ地方のもので

「このデザインは、これが織られた2世紀ほど前にオスマン朝の宮廷で流行ったカーネーション・モチーフに由来する」

とのこと。

 

 

「カーネーション・モチーフ」といえば、以前の記事でもう一枚ご紹介したことがありましたが、

「カーネーションと言われてもよくわからない」カンジ。

 

 

これは17世紀のオスマン朝のベルベットとのことですが、

うん、そう言われてみれば、デザインが似ているような気もするなあ‥‥

 

IMG_3433.JPG

 

私のフラグメントの部分1

 

IMG_3432.JPG

 

部分2

 

IMG_3431.JPG

 

部分3

 

IMG_3437.JPG

 

ピンボケで恐縮ですが "THE TRIBAL EYE" by Peter Davies からの引用です。

画像左上がオスマン朝のカーネーションモチーフ、その下がアナトリアンキリムの文様です。

 

「なるほどね」というカンジはしますが、

この本ではさらに、このモチーフが「ハゲタカをつかむ女神」とも解されていることを紹介しています。

 

IMG_3436.jpg

 

図の上下を逆にしたら、こうなるのです。

 

Minoan_Master_of_Animals_jewellery.jpg

 

これは、大英博物館にあるエジプトの"MASTER OF THE ANIMALS"。

 

CH-BirdMan.jpg

 

こちらはマーラ・マレット女史のサイトから拝借してきた壁画のイラストです。

 

古代より多産・肥沃・豊穣の神とされてきた「地母神=エリベリンデ」のモチーフは

アナトリアン・キリムによく使われますが、

地母神信仰は、トルコだけでなく地中海全域にわたって見られます。

 

IMG_3444.JPG

 

上記ジョン・トンプソン本掲載のキリム画像を逆にしてみましたがいかがでしょう?

 

IMG_3430.JPG

 

私のフラグメントの部分1・上下逆バージョン

 

IMG_3429.JPG

 

部分2 逆バージョン

 

IMG_3428.JPG

 

部分3 逆バージョン

 

* * *

 

「カーネーション」か「2匹のハゲタカをつかむ女神」か?

このモチーフをめぐる論争はずっと続いているようですが、なかなか決め手がないようです。

 

古くから絨毯の多くが、売るために織られてきたのに対して、

キリムは一部の例外を除いて、自家用が中心でした。

 

アナトリアン・キリムの文様には「エリベリンデ」がよく使われることもあり、

素朴に考えると、

エリベリンデの一つのバージョンとしての「2匹のハゲタカをつかむ女神」じゃないの?

と思うのですが、

トルコの KILIM AND FLATWEAVING RUGS MUSEUM のカタログに、

遊牧民が織ったというよりは、宮廷用もしくは商品として織られたのではないかと思われる

カーネーション・モチーフのキリムが載っているのです。

 

IMG_3447.JPG

 

「カーネーション・モチーフのキリム」の部分

 

IMG_3448.jpg

 

このピースは620✖️381cmとのことで、

右側が欠損していることからオリジナルの幅はもっとあったはずです。

 

一般のアナトリアン・キリムの横幅はせいぜい1m程度で、2枚はぎにしても2m程度。

ジョン・トンプソン本のキリムは、2枚はぎで307✖️182cmでした。

 

このキリムは写真から見る限りでは一枚ものですから、相当大きな織り機が必要です。

これらのことから専門の大型機材を揃えたプロの製作者による宮廷用のキリムだと思われます。

 

IMG_3449.JPG

 

同じカタログから「カーネーション・モチーフ」とされるもう一枚の部分。

大きさは418✖️83cmですから、遊牧民もしくは村の女性が織ることのできるサイズです。

 

ジョン・トンプソン本や私のフラグメントに近いですが、

「ハゲタカをつかむ女神」の頭部がなく、キリム中央部分の意匠も違っています。

「宮廷用カーネーション・キリム」から「ハゲタカをつかむ女神」への移行期の意匠かもしれませんね。

 

IMG_3450.jpg

 

遊牧民もしくは村の女性が「宮廷用カーネーション・キリム」にインスパイアされて織ったような印象です。

これらのサンプルを見ていると「オスマン宮廷のカーネーション・モチーフが遊牧民によってデフォルメされた」

という説も、一理あるようにも思われるのです。

 

みなさんはどう思われますか?

 

 

2016.06.18 Saturday

ヘラティ文様について 6


P.R.J.FORD氏による "ORIENTAL CARPET DESGIN"は、

比較的新しい絨毯のサンプルが多く、アンティーク絨毯の掲載が少な目なので、

じつはこれまであまりページを開くことがありませんでしたが、

ヘラティ文様をきっかけに部分的に読みはじめたところ、なかなか面白いんですね、これが。


16世紀から17世紀にかけて絨毯の黄金期を築いたサファヴィー朝は徐々に衰退をはじめ、

18世紀は「絨毯不毛の時代」だと一般的に言われています。



この本に引用された、Grote Hasenbalg氏の文章が示唆的です。



「サファヴィー朝の宮廷工芸の衰退は、じつは1722年のアフガン人侵攻以前からはじまっていた。

衰退の理由として、職人たちが初期の芸術的コンセプトを理解しなくなったことが言われるが、

それは副次的な問題でしかない。



金に糸目をつけない豊かな財政に支えられた、高いテクニカルスキルや最高級の素材にのみ依拠した

芸術に付随する危険性について、私はこれまでも指摘してきた。

オリエントの専制の一つの表れであるペルシャ芸術は、

極限のゴージャスさと極めて精巧なテクニックによって、

統治者の権勢と壮麗さを表現するものだった。

しかし財政が頂点を極めた後は、かつての工芸の水準を保つ術がなくなり、単純化への道が不可避となる。

作品を注文しても、凝った仕事をするだけの費用がまかなえないケースがしばしば起こる。



これに比べ、17世紀のオランダ絵画の黄金期は、

スペインからの独立を巡ってオランダの財政がしばしば危機に瀕することがあっても、

レンブラントをはじめとする傑作の数々を生み出すことができた。

必要なのは、絵の具とキャンバスと、そして画家の才能だったからである。



財政的基盤の変化は、大都市の工芸美術を滅ぼすことがある。

しかし民衆の芸術は、そんなこととは無関係で、

美術の黄金期の一翼を担うこともなければ、黄金期の崩壊による影響も少なくて済む。

民衆芸術は、アイデンティティーとオリジナリティーを保ち、

文化としてのゆるがぬ地位を守るのである」



正確な訳ではないけれど、大体こういった意味のことが書かれています。




* * *



さて最後に、ヘラティ文様と部族絨毯との関わりはどうなのよ? という問題。


フォード氏は以下の様に考えています。



「近年のホラサン地方から出てくる部族絨毯(トルクメン、バルーチ、クルド)を見ると、

かつてのトルクメン・ギュルのパターンから、ヘラティ文様への逆行が見られる。

だが、それはむしろデザイナーによる精巧なデザインのヘラティ文様としてではなく、

ヘラート周辺で昔から見られた部族絨毯の(菱形が印象的な)デザインとして受け入れられたのではないだろうか」



そういえば、ホラサン地方の比較的古いバルーチやクルド族の絨毯に、トルクメン・ギュルをコピーしたデザインがありました。

たとえばこの記事の最初の絨毯など。


でも近年のものでは、それよりもむしろ菱形デザインが多くなったようです。



IMG_3217.jpg




左はサルーク・トルクメン、左はヨムート・トルクメンのもの。

これはヘラティ・パターンというより、古くからあったトルクメンのギュルです。



IMG_3216.jpg




左上はアフガニスタンに住む「ベシリ・トルクメン」の絨毯。

(注:「ベシール」という呼称は、もともとアムダリア川沿いの小さな村の名前ですが、

19世紀頃にはアムダリア流域で織られる様々なタイプの絨毯群の総称として使われるようになり、

さらに時代が下り、かつてベシール絨毯を織っていたグループの一つが「ベシリ・トルクメン」と呼ばれるようになった、

というのが私の現在の認識です)



右上はホラサン地方で織られるバルーチタイプ、

左下はマシャドからヘラートにかけて住むバルーチのもの、

右下はバルーチ・エリアの中心部に当たるDorukhshという町の工房の絨毯



* * *




ここで、Dorukhsh という聞きなれない産地が出てきましたが、

A. Cecil Edwards という20世紀前半に活躍した絨毯ディーラーは、

「ヘラティ文様は、Qain - Durukhsh - Birjand を結ぶ地域で生まれた」と考えていました。



IMG_3215.jpg




三つの町とヘラートとの位置関係を黄色のマーカーで示しました。

3つの町はホラサン地方の南に位置しています。

ちなみに、オレンジのマーカーはバルーチ系グループ、ピンクのマーカーがトルクメンのグループです。



さて、ヘラティ文様の起源についてはまだまだ謎も多いのですが、

私の力ではここまで追うのがやっと‥です。Docomo_kao8




IMG_3212.jpg




最後の最後に、もうひとつだけ面白い材料を。

The Texitile Museum 発行の"Turkmen -TRIBAL CARPETS AND TRADITIONS" より

1495年にヘラートで描かれた細密画で「テントがトルクメンのもの」。






部分拡大。絨毯の文様をご覧ください。



IMG_3213.jpg




フォード氏の本より

「g」は、15世紀ペルシアの細密画で最も多く描かれた絨毯の文様

なお「h」は、同じ時代のペルシアの細密画に見られる曲線ラインの絨毯の文様






「g」の拡大。

どうです? ヘラティ文様の構成によく似ていると思いませんか?



* * *




今回もダラダラとヘラティ文様を追いかけて、

結局、何がわかったのか、書いている本人もいまだにあやふやなワケですが、

今回は、これでお開きにしたいと思います。



こんなぐちゃぐちゃの記事を読んでくださった方!

本当にありがとうございます〜! ハート




2016.06.07 Tuesday

ヘラティ文様について 5


ヘラティ文様について、これまでの内容を簡単にまとめました。

1. ヘラティ文様の基本形は、菱形に配置された4枚の葉に花があしらわれている。
マヒ(魚)文様とも呼ばれている。

2. サファヴィー朝ペルシアの北東部の中核都市であったヘラートにちなんで命名された。
当時ヘラートは絨毯の集散地で、主にホラサン地方で織られた絨毯が取引されていた。

3. ヘラティ文様のルーツは16世紀の絨毯に見られる連花葉文様や花瓶文様にある。

4. 18世紀初めヘラートがアフガン人に占領されたため、ナーディル・シャーが絨毯職人を西部に移動させ、
ファラハン周辺でヘラティ文様の絨毯が織られた。

5. ファラハン絨毯は欧米で名声を博し、ヘラティ文様はファラハン・パターンとも呼ばれるようになった。

6. 19世紀末以降、ペルシャ西部から北西部を中心に非常に多くの絨毯産地で織られるようになった。
織りの技法の多様化(トルコ結び&ペルシャ結び、デプレスの有無)
文様自体の変化・ヴァリエーション(フローラルな印象〜幾何学文様に近いものなど)

 
これはあくまでもP.R.J.FORD氏など複数の論者の有力とみられる説であり、
特に3と4などは、はっきりと証明されたものではありませんが
ヘラティ文様について、私たちのおおよその理解を助けてくれると思います。

* * *

さて、ヘラティ文様の変遷を自分なりに辿ってくると、
「宮廷絨毯ー工房の絨毯ー村の絨毯」の関連性に興味が出てきました。

「宮廷絨毯」とは、宮廷用・大モスク用・外交のための贈答品として織られた絨毯。
いわゆる「ペルシア絨毯」が大量に織られるようになるのは、19世紀末に欧米へ輸出されるようになってからで、
それまでは一部の例外を除き、絨毯は特別な階層のためのものでした。



たとえば16世紀に東〜南東ペルシアで織られたとされるこの絨毯は、宮廷絨毯だと思います。

イスラム世界において工芸は、宮廷の威信を示すため、非常に地位の高いものであり、
なかでもサファヴィー王朝は、羊の飼育や染色植物の栽培の管理までを徹底して行い、
一流のデザイナーや細密画家、彩飾師が描いた下絵を、最高の技術を持った織り職人に織らせました。

絨毯の下絵は、ギリシア数学を用いた複雑な幾何学的作図技術や、写本芸術の影響だけでなく、
大モスクなど当時の最先端技術を駆使した建築芸術などのなかで培われたものです。

IMG_3188.JPG

桝屋友子著『イスラームの美術』(東京美術2009年)より
イラン14世紀後半ジャラーイル朝絵画

ムハンマドが座っている絨毯は、比較的複雑な文様ですが下絵がなくても織ることができそうです。
 
IMG_3163.jpg

前掲書より 大画家ビフザードがティムール朝スルタンのために描いた写本
ヘラート 1488~89年製作

この時代、ヘラートでは建築装飾がここまで発展していたことがわかります。
また「写本」自体も、計算された構図の下絵を描いてから本作を描いたとされています。

IMG_3165.jpg

一部を拡大。逃げる男性の足元にあるのは絨毯のようです。
先ほどのムハンマドの下の絨毯よりさらに複雑な文様で、
このような絨毯を織るには「精密な下絵」が必要になってくると思われます。


この絵を見て、わたくしは考えますた。kyuき

ひとつは、15世紀末には絨毯製作において精密な下絵が描かれるようになっていたのではないか、ということ。

もうひとつは、当時「ヘラティ文様」という言葉が持っていた響きについて。
15世紀末、ヘラートはティムール朝の首都であり、イスラム世界でもとびきりの栄華を誇っていました。
ヘラートには当時「最高の建築技術、最高の写本芸術、最高の絨毯製作技術」があり、
のちに生まれる「ヘラティ文様」という言葉には、いまの私たちが感じるのとはまったく違う、
「大都市の、光り輝く栄華に満ちた、洗練された雅びな文化」という響きを持っていたのではないでせうか?

実際のところ、16世紀に織られた連花葉文様や花瓶文様の宮廷絨毯と、
「菱形に簡略化されたヘラティ文様」とが、直接つながっているかどうかはわかりません。

ただ18世紀か19世紀かわかりませんが、ペルシア西部のファラハン地方に「ヘラティ文様」が伝播したとき、
少し前の日本人が、「パリ」や「二ューヨーク」のデザインよ〜♪ ともてはやした感覚と、
どこか似たところはなかったのかな〜? なんて考えたのでアリマシタ。

* * *

さてさて、「あの大都市の」というイメージを抱かせる「ヘラティ文様」がペルシャ西部に広まっていったとき、
ある程度近代的な設備が整った工房では、このような方眼紙を使った下絵が作図され、
織り手はその下絵に忠実に絨毯を織っていきました。

IMG_3185.jpg

IMG_3186.jpg

"Orental rugs in colour" by PREBEN LIEEBETRAU より

絨毯研究家のジョン・トンプソン氏がカテゴライズした
「宮廷絨毯・(都市)工房の絨毯・村の絨毯・部族絨毯」でいうと、これは主に「工房の絨毯」の手法です。


P.R.J.FORD氏の本から ビジャーの工房の絨毯(再掲)

これだけ複雑な文様は、精密な下絵なしでは織ることができないでしょう。
全体のバランスが見事に取れています。


ビジャーの村の絨毯(再掲)

これはたぶん「ワギレ(織り見本)」を見ながら織ったのではないでしょうか?
同じビジャーで織られた絨毯ですが、文様や絨毯の形が歪んでいるなどアバウトな感じで、上の絨毯とはずいぶん違います。

IMG_3108.jpg

この3枚も、ビジャーの村人が織ったと思われるヘラティ文様の絨毯です。
それほどひどく歪んではいませんが、じっと見ていると左右均等ではなかったりします。

IMG_3182.jpg

これはビジャーではなく、アバデ(カシュガイ族が定住している町の名前)の「ワギレ(織り見本)」です。
織り手はこれを見て色糸の数を数えながら、見よう見まねで織り進めていきます。

方眼紙による下絵は、まず絨毯の全体像をきちんと設定したうえで、全体を分割して下絵が作られます。
織り手は下絵に忠実に織っていけば、織りあがったときも全体がほぼ整った図になります。

ところが「ワギレ」は、部分的な文様だけで、絨毯の全体像はありませんから、
織り手は、すでに頭で諳んじている文様や、ワギレの文様などを自由に組み合わせながら織っていきます。
そういう意味では、世界にたった一枚の絨毯しかできません。

(一方、方眼紙の下絵を使った絨毯は同じ絨毯が複数枚できあがるんですね)

IMG_3181.jpg

同書よりカシュガイ族の絨毯。
上のようなワギレを見ながら織った絨毯だと思われます。
それなりに整った絨毯ですが、細かく見ていくとややアバウトなところもありますね。

ただ、どうでしょう?
個人的な好みかもしれませんが、人の手の温もりが感じられるというか、リラックスできるというか、
精密な下絵を使わない絨毯には、それなりの良さがあると思いませんか?

(つづく)
 
2016.05.26 Thursday

ヘラティ文様について 4


前回はヘラティ文様がファラハン・パターンとも呼ばれ、
19世紀末にヘラティ文様のファラハン絨毯が西洋で人気を博したことなどを書きました。

そもそもサファヴィー朝の北東部の都市ヘラートで生まれたデザインが、
はるか遠く西部のファラハン平原へ伝播した理由はなんだったんでしょうか?

いくつかの絨毯本によると、
18世紀初め、ヘラートがアフガン人の手に落ちたため、ナーディル・シャーが
ヘラート周辺で絨毯製作に関わっていた人びとをファラハンに移動させたため、と説明されています。

IMG_3105.jpg

P.R.J.FORD "ORIENTAL CARPET DESIGN" より
ロンドンのヴィクトリア&アルバート・ミュージアム所蔵のヘラート絨毯(18世紀)

「同美術館には、これとほぼ同一のデザインの絨毯が所蔵されており、そのピースは
ファラハン絨毯に特徴的な「トルコ結びでシングル・ウェフト」の織り構造」と説明されています。

ヘラート周辺の絨毯職人がフェラハンへ移動して同じような絨毯を織ったのか、
それともヘラート絨毯をお手本にして、ヘラートとは別の職人が織ったのかは判りませんが、
ヘラートとフェラハンとは何らかの関係性がある、ということだけは言えるでしょう。

* * *

さて19世紀以降、ヘラティ文様の絨毯が織られてきたのはファラハンとセネだけではありません。
ペルシャ西部と北西部を中心に、非常に多くの産地で織られました。
それはおそらく西洋でヘラティ文様の絨毯が好まれ、それだけの需要があったからだと思われます。

IMG_3140.jpg

アンティーク・コレクターズ・クラブ発行"PERSIAN"by Erich Aschenbrenner よりペルシャ全域図

この地図でいうと、WEST PERSIA 〜 AZERBAIJAN にヘラティ文様の絨毯の産地が集中しています。

IMG_3132.jpg

さらに詳細な地図を見てみましょう。
"ORIENTAL CARPET DESIGN" よりペルシャ西部の地図

IMG_3139.JPG

同書よりアゼルバイジャンの地図

黄色いマーカーを引いたのが「ヘラティ文様の絨毯産地」です。
あくまでもこの本に絨毯のサンプルが載っている地名を拾っただけなので、実際にはもっと多いと思います。

産地によって織り構造などそれぞれ特徴はありますが、
ヘラティ文様の絨毯の産地を大きく分けてみました。
 
1. クルド人が多いエリア : セネ〜ビジャー
2. ファラハン平原周辺 : ハマダン〜マライエール〜サルーク
3. アゼルバイジャン : タブリーズ〜アルデビル
4. その他の点在する産地 : クム、ベラミン、ヤスドなど

* * *

"ORIENTAL CARPET DESIGN" では、絨毯産地を判別する基準として、次のような点をあげています。

シングルウェフトかダブルウェフトか?
対称結び(トルコ結び・ギョルデスノット)か非対称結び(ペルシャ結び・セネノット)か?
全体の色調(ベースカラー&文様の色)
ヘラティ文様の形状(フローラル的、幾何学模様的、曲線と直線の使い方など)
メダリオンの有無や形状など全体の構図、バランス
経糸と緯糸の色や太さ(ピンク色や青色の緯糸などもある)
どんな絨毯のサイズ(ケッレ、ドザール、ポシティなど)がメインに織られているか?

このような観点を総合しながら、どの産地で織られたものかを判別していく、としています。

* * *

同書掲載の絨毯のサンプルを見ていきましょう。

なお産地の後の「S」「W」は「シングル・ウェフテッド」「ダブル・ウェフテッド」の略で、
「デプレスのない織り」「デプレスの効いた織り」のことです。(明記されているものだけ記載)

また、(  )内は、トルコ結びorペルシャ結び・1平米当たりのノット数で、
たとえば「TK90000」ならトルコ結びで平米のノット数9万、「PK370000」ならペルシャ結びでノット数37万ということ。

1.クルド人が多いエリア
ほとんどが「対称結び(トルコ結び)」


IMG_3106.jpg

写真左から Senjabi(TK90000) S    Bijar(TK85000) W   Hashtrud(TK106000)
Hashtrud はアゼルバイジャンに近い場所のため、アゼルバイジャンの文様の影響がみられます。(四分割の丸い花など)


IMG_3107.jpg

左から Bijar(TK230000) W    Afshar Bijar(TK270000)

ビジャー産が二枚出てきましたが、ノット数が上は8万5千、下は23万と、大きく違いますね。
どちらもデプレスの効いた織りですが、上は村の絨毯、下は専門的機材を揃えた工房のものかもしれません。

著者は下の左側を「クルド族の絨毯の中で最も細かく出来栄えの良い絨毯のひとつ」で
「フローラル・デザインというより幾何学的な印象が強いのがクルドエリアの特徴だ」と説明しています。
(たしかに、この記事の最初に挙げたヘラート絨毯のフローラルな雰囲気とはずいぶん違いますね)

右側は、18世紀にナディール・シャーの移動命令を逃れてこの地に残ったアフシャール族の末裔が織った絨毯。
左のビジャーよりさらに目が細かいですが、よく見るとメダリオンのエッジが左右対称でなかったりします。

IMG_3113.jpg

左から Gogarjin(TK202000)W   Kolyai(TK141000)S

この二枚もクルディスタンエリアのもの。コリアイの絨毯はかなりトライバルっぽいですね。

IMG_3112.jpg

やっと出てきました Senneh(TK170000) S

「セネ結び」は「非対称結び」の別名になっていますが、実際のセネ絨毯は「対称結び」です。

アンティークのセネ絨毯は、目も細かくエレガントな印象なのに、これはどちらかというと牧歌的。
(「ヘラティ文様について 3」の最後に引用したセネと比べてみてくださいネ)
このピースのヘラティ文様は菱形から六角形に変わり、ほとんど「アニメキャラクター」!

この違いはどうして生まれたんでしょうか。

ひとつの可能性としては、引用したアンティークのセネは専門的な工房で織られたもので、
こちらのセネは村の家庭で織られたもの、という違いとみることもできますし、
さらには、産地や工房の栄枯盛衰、といった点も考える必要があるでしょう。

上に挙げた絨毯産地でヘラティ文様の絨毯が織られたのは、19世紀から20世紀中頃までがピークであり、
今はもう絨毯が織られていない産地もあると思います。くすん。

2. ファラハン平原周辺(ハマダン〜マライエール〜サルーク)
サルークタイプが非対称結び、それ以外はほとんど対称結び


IMG_3143.jpg

左から Malayir(TK115000)S Lilihan(TK109000) S  

ちなみにリリハン周辺はアルメニア人が多く住む地域で、糸質の良さと丈夫さで有名。

絨毯の本を読んでいると、
「時の支配者が政策のために特定の遊牧民やエスニック集団を強制的に移住させた」といった内容がよく出てきますが、
リリハンも17世紀初めにシャー・アッバス一世によって移住させられたアルメニア人の村です。

IMG_3142.jpg

左から  Enjilas(TK185000)    Everu(TK120000)

左のエンジラスはハマダン周辺で最高の品質を誇る絨毯産地で、
デザイン、色調、素材、織り技術のどれをとっても一流とのこと。
右のエヴァルは、エンジラス・スタイルをコピーして大量生産したものの一枚ですが、
「すべての点でエンジラスに劣るが、なんといってもキツイ赤、どんよりした紺、化学染料の緑色がヒドイ」そうです。
写真じゃよくわかりませんけどね〜。

IMG_3109.jpg

これまでの絨毯はすべて「対称結び」でしたが、サルーク周辺は「非対称結び」が多いようです。
左から Viss(PK84000)   Ghiassabad(PK370000)
(「ビス」は「マハール」とも呼ばれます)

著者によると、「サルーク」は本来ファラハン・エリアのはずれにある村の名前だったのが、
アラーク周辺で織られる絨毯の総称として使われるようになった、とのこと。

(トルクメン絨毯が「ブハラ絨毯」と呼ばれたり、バルカンキリムがおしなべて「シャルキョイ」と呼ばれたり、
ラグの世界では曖昧な呼び方がよくあるので、「サルーク」もそれに近いのかもしれません)

IMG_3110.jpg

上段 Mashayekhi(PK386000)   下段左から Ghiassabad(PK340000)   Bulgaria(PK250000)

この「Mashayekhi」という産地は、上の地図に地名が見当たりません。
私の貧弱な英語力では本の内容を正確に把握した自信がないのですが、
アラークを拠点として絨毯工場を構えていた”サルーク絨毯”のブランドのようです。

「Mashayekhi」絨毯のコピーがブルガリアやインドでも織られていたというから、結構な勢いだったんでしょう。
下段右側がブルガリアで織られた絨毯です。

3. アゼルバイジャン
「対称結び」

アゼルバイジャンでもヘラティ文様の絨毯が織られたのは、
その「Mashayekhi」がサラブとタブリーズにも工場を建てたことと関係があるようです。

ところが面白いことに、アゼルバイジャンの絨毯は「非対称結び」ではなく「対称結び」なんですね〜。
これは「色とデザインだけをコピーして、織りの技法は地元のやり方を採用した」ということでしょうか?

IMG_3136.jpg

左から Ardebil(TK188000)   Tabriz(TK250000)

4. その他の点在する産地(中部)
多くが「非対称結び」


IMG_3138.jpg

左から Birjand(PK300000)   Qum(PK510000)

この二枚には特徴的な形のメダリオンが使われています。
ビルジャンドはウールですが、クムはオールシルク。さすがに細かいですね。

IMG_3137.jpg

左から Veramin(PK325000)   Yezd(PK158000)

ベラミンのヘラティ文様はかなりユニークですね。(好きかも‥時々ウインクペコちゃん

* * *

このようにヘラティ文様の絨毯は、ペルシャのかなり広範囲な地域で織られていました。

仮に私がヘラティ文様の絨毯に出会った場合、
やはり全体のデザインの印象から産地を思い浮かべると思います。

でも、今回取り上げたさまざまな産地の絨毯を見て、自分にその違いがわかるとはとうてい思えません。
「絨毯ってホントに奥が深い〜!」

(つづく)

 
2016.05.16 Monday

ヘラティ文様について 3


前々回オススメした絨毯本 "ORIENTAL CARPETS" は、小さいながらも写真や地図が多いので、
英語に苦手意識を持たれる方も、眺めるだけで十分楽しめる本です。

でも「産地や年代の推定など、どう判断すればいいの?」といったアナリシスに興味を持たれ、
英文でも読んでみようという方には、この本がオススメ!

IMG_3075.JPG

こちらはもともとドイツ人のHubel 氏が​1964年に出版した本ですが、
Washington International Associates が翻訳して、71年にアメリカでも出版されました。

「続 アートとしての絨毯とは?」という記事でアメリカ人コレクターが薦めていたのを、
ネットでググって買ってみたら、これが当たり! (絨毯でも本でも当たりハズレがありますゆう★

絨毯産地の歴史から、絨毯の織り構造、文様やデザインについて、
深い知見に基づきながら、ビギナーにもわかりやすく解説。

この本の著者も、ヘラティ文様は「大振りの連花葉文」から出発して、
17世紀中に小ぶりな「菱形」へと次第に変化し、
ヘラート周辺からペルシア西部や北部へと広がっていった、と解説しています。



ここにあるように、「ヘラティ文様」は「ファラハン・パターン」とも呼ばれています。
現在では「ヘラティ文様の絨毯といえばセネ!」と連想されますが、
菱形化したヘラティ文様の絨毯で最初に名声を博したのは、ファラハンだったようです。

ペルシャ絨毯に詳しい人でなければ「ファラハン絨毯なんて聞いたことない〜」というのが普通でしょうが、
それもそのはず、遅くとも1930年前後からファラハン絨毯は製作されなくなり、市場にほとんど出てこないからなのです。
その点、セネではずっとヘラティ文様の絨毯が織られてきたため、数の多さではダントツなんですね。

* * *

"ORIENTAL CARPET DESIGN"から、赤い✖️印がファラハン平原。
ファラハン絨毯はこの辺りで織られたようです。

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「ファラハン絨毯」は、1875年前後から19世紀末ごろまで欧米に輸出され、
エレガントで抑制の効いた色とデザイン、良質のウールや耐久性が人気を呼んだ、と言われています。



特にイギリスでもてはやされたようで、左はケントにあるHever Castle のエントランスホール。
左は「ケッレ(大型の長いサイズ)」ですが、右は195 ✖️ 122cmと小ぶりなファラハン絨毯。

* * *

このように欧米で有名らしいファラハン絨毯ですが、何冊かの絨毯本を読むと、
「どうもハッキリしない部分のある絨毯だな〜」という印象なのです。

ペルシア絨毯に全然詳しくない私が、ブログにまちがった情報を書くのはイヤなのですが、
ファラハン絨毯には大きく分けて二つのタイプがあるようです。
(まちがいに気がつかれた方はどうぞご指摘ください)

タイプ1
小ぶり(2✖️1.4m前後)で、非常に薄く、ボーダーに薄緑が使われている。
19世紀末にはすでにレアで高価、擦り減りが激しいものが多かったが
それでも当時のコレクターが蒐集の対象としていた。

タイプ2
デプレスの効いた織りで耐久性がある。大きなサイズも多い。ボーダーに薄緑は使われていない。
このタイプは「ファラハン・サルーク」とも呼ばれている。
また、デプレスのない織りで、タイプ1とも違う「マライエール・ファラハン」と呼ばれるものもある。

オタクな私としては「タイプ1」に興味がありますね〜。
「擦り減りが激しいのに、高額でも買おうとする人がいるって、どんな絨毯やねん?」ってカンジで。moe

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タイプ1について詳しく書かれているのはこの本。1962年発行。

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残念ながらモノクロ写真ですが、ボーダーに薄緑が使われているとのことです。

ところがこの薄緑の糸は、擦り減りが一番激しいとのこと。
バルーチ絨毯など「鉄の媒染剤を使った茶色は繊維が朽ちやすい」のは知っていましたが、
薄緑で繊維が朽ちやすいというのははじめて知りました。

一般に緑色は、「インディゴと黄色の染料による二度染め」か、
トルコなどに見られる「植物からの直接染め」のどちらかだと言われています。
どちらも繊維が朽ちるという現象はありません。

「朽ちる緑色って、どんな染料?」とギモンに思っていたら、
上の "The Book of Carpets" に載っているじゃありませんか〜!
isperek (飛燕草)を硫酸銅の媒染剤で染めたもの、だそうです。

まあ、こういう内容が載っていることもあって、この本のファンになった次第です、ハイ。

* * *

さて、タイプ1のファラハン絨毯に出会うことは、今後もまずないと思いますが、
ヘラティ文様を使ったセネ絨毯のアンティークなら、美術館などで出会える可能性はあるかもしれません。

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これぞ第1級のヘラティ文様の絨毯〜! 19世紀のセネのものです。



上の絨毯はこの本からのものです。
写真が大きく鮮明なので、英語が苦手だという人でも十分楽しめると思います〜。
北アメリカ、インド、チベット、中国、ヨーロッパ産の絨毯も載っていますよ。

しつこいけれど、ヘラティ文様について、まだつづけます〜! あ
 
2016.05.11 Wednesday

ヘラティ文様について 2


現アフガニスタンのヘラートは、かつてサファビー帝国北東部の中核都市として、
ホラサーン地方で織られた絨毯の集散地となり、ヘラティ文様の絨毯が数多く取引されました。

さて、手元にある文献で「ヘラートの絨毯」はないかな〜、と探してみたところ、この本にありました。

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2006年に広島県立美術館で開かれた特別展の図録です。

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18世紀初期のヘラートの絨毯 (図録番号12)

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ヘラティ文様について調べていくと、セネ絨毯に見られるような「菱形」以前には、
上の絨毯のように「湾曲した葉文様」「大振りの連花葉文」が代表的な意匠だった可能性があります。

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こちらも18世紀のヘラートの絨毯

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もう一枚は「ヘラートかイスファハンか?」というピース


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この絨毯の中心部に注目すると、縦長ではありますが「菱形のヘラティ文様」に近いラインが見えてきます。

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どうでしょうか。かなり菱形のヘラティ文様に近くなった感じですね。

* * *

つぎに、絨毯デザイン(伝統的モチーフ・パターン・シンボル)に特化して編集されたこの本。

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この本では、ヘラティ文様の源流を「大振りな連花葉文」や「花瓶文様」に探ろうとしています。
そもそも上の絨毯のような「大振りな連花葉文様」は、いつ頃から絨毯の文様として取り入れられたのでしょうか?

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カイロにあるモスクのタイルに、近似する文様が使われています。
16世紀中葉にはこの意匠があったということですね。

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タイルだけでなく、カイロの絨毯にもヘラティ文様を思わせる意匠が‥‥

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こちらは16世紀サファビー朝時代のペルシア絨毯。東部もしくは東南部のもの。
265 ✖️ 195 cmというサイズや流れるような草花文様は、宮廷絨毯か貴賓への贈答用といったレベルの絨毯ですが、
ここから簡略化された「菱形ヘラティ文様」へ変化していったという説は、それなりに説得力がありそうです。

(つづく)
 
2016.05.07 Saturday

ヘラティ文様について 1


ところで私がはじめて「ヘラティ文様」という言葉を知ったのは、
『キリムのある素敵な暮らし』(主婦の友社 2002)というムックだったと思います。

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絨毯の産地としても有名なセネで織られたキリム。
地織りに、セネ特有の花柄のヘラティ文様と、大きなメダリオンが描かれています。
かたくしっかりした現地産の羊毛が使われています。(p.90)

キリムにはいろいろな文様が見られます。
乾燥した高原に住むイランやアフガニスタンの農民や遊牧民にとって、花の咲く庭園はイスラムの楽園なのです。
また、花を中心にして葉をあしらった文様ヘラティと呼ばれています。(p.102)

「花を中心にして葉をあしらった」という箇所をきちんと読めば誤解はなかったのでしょうが、
セネキリムが醸し出す独特の印象が強烈だったため、私は
「なんだかグニャグニャしてつぶれたようなデザインがヘラティ文様なのか〜」と大いなるカン違いをしていました。Docomo_kao8

グニャグニャしているのはセネキリムやシャルキョイキリムに見られるカーブ織りのテクニックのためであり、
つぶれたように見えるのは、セネ特有の細い糸の緻密な織りだからであって、
「ヘラティ文様とはどんなデザインか」がわかったのは、それからしばらく後でした。テヘ。

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こちらは『絨毯 シルクロードの花』(朝日新聞社 1994)から。

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上のイラストは「菱形」とは違う気もしますが、ヘラティ文様のイメージはずいぶん明確になりました。

ヘラティ文様のルーツが、現アフガニスタンのヘラートにあること、
4枚の細長い葉を基本にして、そのまわりが花で飾られていること、
そして「マーヒー(魚)文様」とも呼ばれていること‥‥フムフム。

* * *

セネ・キリムは織りが独特なので、初心者がこれを見てヘラティ文様を理解するのは難しいような気がします。
絨毯ならもっと明確にわかるでしょう。
そこで白鶴美術館所蔵品目録『中近東の絨毯』1995 から、二枚のセネ絨毯を。

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中央にメダリオンが配されたタイプ。

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フィールド部分に同じモチーフが繰り返される、オールオーバー・パターン。

* * *

ところで、「ヘラティ文様の起源がアフガニスタン西部の町ヘラートにある」という上記文章を読んで、
「ヘラティ文様はペルシャ絨毯によく使われる文様なのに、起源はアフガニスタンなの?」と
どうも腑に落ちない気がしました。

でも、特に大陸では「国境」が時代の変遷につれて変わるのは当たり前、
ヘラートもギリシア人、アラブ人、モンゴル族、ウズベク族の支配下に置かれたのち、
1501年、サファビー朝イスマーイール一世によって占領されたのです。



ウイキペディアより引用。サファビー帝国の北東にHeratが位置しています。

サファビー朝のもと、ペルシャ絨毯がデザイン・染色・織りの技術を飛躍的に発展させたことはよく知られていますが、
16〜17世紀にかけ、ヘラートはホラサーン地域の中核都市として機能しました。

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もし私が「絨毯の本で一冊だけ推薦するとしたら?」と訊かれたら、まずはこの本をお勧めします。
もちろんトライバル・ラグなど何かに特化した良い本なら他にもたくさんありますが、
絨毯の基本を知りたい場合、まんべんなく解説されており、写真も比較的鮮明で、
なによりも「どういう絨毯が良い絨毯か」という点で、非常に参考になると思います。

おっと、横道にそれました。

この本によると、ホラサーン地方は、15世紀のティムール朝の時代から細密画や絨毯製作を発展させてきたが、
ペルシャ絨毯がヨーロッパに輸出されるようになった最初期には、
紺色のベースにヘラティ文様が織られた細長い絨毯が盛んに織られて輸出されていった、とのことです。
また、現存するサファビー朝の絨毯も、当時のヘラートとの関連性を指摘する声も多いとか。

* * *

ということで、ヘラティ文様がヘラートの町自体で生まれたというよりは、
当時のホラサーン地方で織られた多くの絨毯にヘラティ文様が使われており、
それらの絨毯の集散地として機能したヘラートの名前を冠するようになった、と考えるのが妥当なようです。

(つづく)
2015.10.16 Friday

「トルクメン・ボーダー」と水面下の龍



バルーチ絨毯にも使われる「トルクメン・ボーダー」のつづきです。

(「トルクメン・ボーダー」と言っても、トルクメン絨毯に使われるボーダーには色々あります。

記事で取り上げている「ムカデのような文様」は、あくまでもその一つなので、誤解のないようお願いします)



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何度もおなじ写真で恐縮ですが、わたしはこの絨毯が大好きです。

「インテリアに使える」というよりも「骨董として眺める」形になっちゃいますが‥‥



いわゆる「トルクメン・ボーダー」のキリッとした線には、良い意味での緊張感が感じられますし、

下の方の絨毯は、「濃紺から渋茶」という驚くべき色の切り替えが柿色のベースから浮き上がっているように見えて、

バルーチならではの美意識が表現されているように思えるからです。



この絨毯を見ていて思い浮かぶのが、

重森三玲が作庭した「龍吟庵」の西庭(龍門の庭)。



龍吟庵_01.JPG

(画像はウィキペディアから拝借しました)



稲妻文様が施された竹垣を過ぎると、龍が海から顔を出し黒雲に乗って昇天する姿が石組みによって表現され、

その大胆な発想とダイナミックな空間には圧倒されます。



天才作庭家をもちだすのはちょっと調子に乗りすぎかもしれませんが、

この「トルクメンボーダー」をじっと眺めていると、

海面スレスレを泳ぐドラゴンのようにも思えてきたりして‥‥



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「アレ? 龍の脚って4本じゃなかったっけ?」‥‥てなことは訊かないでね。Docomo_kao8



* * *



「龍吟庵」に比べるとずいぶん庶民的になりますが、うちの近所にも「龍門の庭」があるのデス。♫



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わたしのお散歩コースに、顔を出している龍さんがいるのですが、

石柱の上には「ドラゴンボール」らしき球が載っかっていたりして。



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この龍さん、けっこうイケメンでして、いつ見てもホレボレします。moe

散歩でここを通りすぎるとき、「よっ!イケメンさん、こんにちは!」と挨拶しております。



この彫刻のすごいのは、顔がイケメンだというだけでなく、

敷地全体を眺めると、龍がとぐろを巻いていて、「水面上」に4箇所「ウロコ」が出ているのです。



つまり龍さんの「胴体は、敷地の下に隠れている」ってことなんですね。

頭の周辺の地面には、曲線で「水面下の胴体」を暗示させているってところがニクい!



最初わたしは、この彫刻はこの敷地だけなんだろうと思っていましたが、

約500m離れたところに、ドラゴンボールが載った石柱が2本あり、

「あっ、龍さんはこんなところまでつづいているんだ!」とビックリ。




そこからさらに500m離れたところに‥‥



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おなじ彫刻家の作品と見られるオブジェをハッケン!



「でも、これ、なんでちゅか???」



もしかして、龍さんの卵!?

そしてもしや、この卵は孵化しているところで、子龍の脚が殻をつきやぶっている最中???



すげーっ!

龍さんの胴体は約1キロにも及んでいた〜〜



うれしいことに、この子龍は子どもたちの絶好の腰かけ場になっていて、

放課後ここを通りかかると、子どもたちがワラワラと子龍に群がっていたりするのです。



このへんでも団地や街のあちこちにいろんな彫刻がありますが、

そのなかでもこの親子の龍の彫刻は、庶民に愛されつづけているピカイチのアートです。



これをつくられたアーティストのお名前はわかりませんが、

発想は、あの重森三玲さんに負けていないと思うよ、ウン! 手


2015.10.08 Thursday

絨毯のボーダー・デザイン


前回につづき、
いわゆる「トルクメン・ボーダー(トルクメン・ライン)」とはなんぞや? 
を考えていきましょう。

『シルクロードの華』(朝日新聞社1994年)から以下に3枚の画像を引用させていただきます。

まず絨毯各部の名称をおさらい〜!

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要は、絨毯中央部分が「フィールド」、その周りを「ボーダー」が囲んでいるわけですが、
今回の話題は、その「ボーダー」部分のデザインについて。

前回記事に引用した
このギザギザの蔦のようなデザインは、しばしば「ボート」パターンと呼ばれるが、
ペルシャやコーカサスやトルコ絨毯でも使われている「パルメット」もしくは「クラウド・バンド」の変形である

という箇所ですが、『シルクロードの華』によると

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これがパルメットで、次のような説明があります。

「棕梠や椰子の細長い葉型文様。放射線状にのびる花弁・葉型を伴うハート形頭状花。
葡萄の葉、チョウセンアザミ等に似ているが、多数のヴァリエーションがある。
一例として、最初に16世紀インド・ペルシア絨毯に使われたパターンで、
後にヘラーティ文様に発展した内反り、外反りのパルメットがある」


雲文がつながった「クラウド・バンド」は上の図のようなライン。

「雲文(うんもん)とは、中国起源で種々の形がある。
帯状の雲が三つ葉状に、あるいは雄ヒツジの角のように表されたり、
霊芝(万年茸状の)雲のように表されることがある。
多くはボーダー内にみられる」(前掲書)

さて、前回引用したトルクメン絨毯のボーダー部分を拡大してみましょう。

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ヨムートのボーダー

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チョドールのボーダー

‥‥これらのボーダーが「パルメットやクラウド・バンドの変形」と言われても、
「変遷を経てこうなった」とも取れるし、「ずいぶん違うじゃん」とも言えるような‥‥ Docomo_kao8
文様が苦手なのは、イマイチ「決め手に欠ける」論が多いからなんですね。

* * *

まあ、そうやって食わず嫌いをつづけていても進歩がないので、
絨毯デザインに詳しい "ORIENTAL CARPET DESIGN" by P.R.J.FORD をみてみました。

この本にはちゃんと「ボーダー・デザイン」の章があり、
著者はボーダーを4つの基本タイプに分けています。
(あくまでもこの筆者の区分方法です)

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A ヘラティー・ボーダー
B ロゼット(バラ飾り)を連ねたボーダー
C カルトゥーシュ・ボーダー(上記ミヒラーブ絨毯の図を参照のこと)
D 雷文(方形の渦巻状文様)

この四つを具体的に見ていくと、

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A ヘラティー・ボーダー

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B ロゼットを連ねたボーダー

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C カルトゥーシュ・ボーダー

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D 雷文もしくは渦巻状文様のボーダー

というふうに説明されています。

* * *

さて、このボーダー・デザインの分類法に照らし合わせても、
この間みている「トルクメン・ボーダー」がどれに当てはまるのか?
あえて言えば、A か D になるでしょう。

A も D も大雑把な言い方をすると、
「モチーフとモチーフの間を斜め状の線が走っている」タイプです。

「C カルトゥーシュ・ボーダー」だけはモスクや宮廷絨毯などに使われたであろう「特別なデザイン」ですが、
あとの3タイプは、結局「便宜的な区分方法」といっても差し支えないような気がしますが、いかがでしょう。

わたしは、むしろそれより、
さまざまなタイプの文様が、特定のグループの絨毯に取り入れられた後の個性を重んじたい。

今回の「いわゆるトルクメン・ボーダー」は、
おなじトルクメンでも、ヨムート・チョドール・キジルアヤクなど支族によって、それぞれ持ち味が違うし、
そのデザインを取り入れたバルーチの絨毯には、トルクメンにはない個性が加わっています。

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そのそれぞれの個性を愛でることが、部族絨毯をあじわう醍醐味のような気がするのです。

‥‥ナーンチャッテ! 
2015.10.02 Friday

バルーチ絨毯にも使われる「トルクメン・ボーダー」


前回のバルーチ絨毯に使われている「ムカデのような線」は、"Turkmen line"とも呼ばれています。

主にトルクメン絨毯に見られるボーダーの一種が、バルーチ絨毯にも使われていることから、
便宜的に「このバルーチ絨毯にはトルクメン・ボーダーが使われている」というようです。

Siawosch Azadi 著 "Carpets in the Baluch Tradition" という本にも、このボーダーの絨毯が載っています。

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イラン北東部ホラサン地方のもので、推定年代は1840年ごろ。
279✖️179cm の比較的大きな絨毯。

面白いのは、ボーダーに「トルクメン・ライン」が使われているだけでなく、
フィールド中央の縦ラインに7個並んでいる「宇宙人キャラクターのような文様」も
「ケジェベ・ギュル」と呼ばれるトルクメンがよく使うモチーフです。
トルクメンの文様の影響が強いバルーチ絨毯だと言えるでしょう。

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これもホラサン地方のものですが、「非対称結び」の技法の「バールリ」部族のものということ。
推定1850年ごろで、140✖️95cmで小さめの絨毯。

* * *

では、本家トルクメン絨毯の「トルクメン・ボーダー」を見てみましょう。
FINE ARTS MUSEUMS OF SAN FRANCISCO の
"Between the Black Desert and the Red Turkmen Carpets from the Wiedersperg Collection" より。

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トルクメンはいくつかの支族に分かれていますが、これはヨムート支族のもの。
19世紀初めということで、かなり古いものです。
白のボーダーにムカデのような線がうねっていますが、ギザギザが少ないせいか、ゆったりした印象。

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これもヨムートですが、どことなく可愛らしい印象のボーダーですね。

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日本ではあまり馴染みがありませんが、「チョドール」という支族の絨毯。

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こちらは「キジル・アヤク」支族の絨毯。
アフガニスタンでは「キジル・アヤク」は「エルサリ」支族の一部とされているようですが、
Bogolyubov というトルクメン研究者は、彼らはむしろ「テッケ」に近く、Merv に住むTekkeの縁戚ではないかと考えています。

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この写真は、 ANTIQUE COLLECTORS' CLUB "ORIENTAL RUGS Vol.5 TURKOMAN" からの引用です。
上の絨毯とデザインがよく似ているのですが、この本では「エルサリ・グループ」の絨毯とされ、
その中でも「チョー・バシ」か「キジル・アヤク」か、決めかねている説明になっています。

* * *

さて、市場に流通しているトルクメン絨毯は、圧倒的にテッケのものが多く、
つぎにヨムート、エルサリ、たまにサリーク、、、という感じだと思います。
ただ手持ちの本を見る限りでは、Tekke でこのボーダーを使っている絨毯は見当たりませんでした。



こちらは前掲本のヨムート絨毯ですが、このボーダーについての説明があります。

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それによると、
このギザギザの蔦のようなデザインは、しばしば「ボート」パターンと呼ばれるが、
ペルシャやコーカサスやトルコ絨毯でも使われている「パルメット」もしくは「クラウド・バンド」の変形である、
というのです。

うーむ、あるときは「トルクメン・ボーダー」、
あるときは「ボート・パターン」、
そしてまたあるときは「パルメット」や「クラウドバンド」の変形、、、
本当に「文様」って、雲をつかむような話で、なにが真実なのかよくわかりません。

正直なところ、文様は大の苦手の領域なのですが、
とりま、次回もボーダーデザインをめぐる記事をつづけます。
 
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