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2017.04.06 Thursday

大岡信「言葉の力」抜粋

 

詩人で評論家の大岡信さんが亡くなりました。

 

幅広い教養と深く細やかな洞察力にもとづきながら、さりげなく、

それでいて高い品格を感じさせる言葉の数々は、いまこそ再読の価値があるように思います。

 

「言葉の力」という1977年愛知県文化講堂における講演速記に加筆した文章を読んだとき、

ふだんは使い古されて単なる機能と化している「言葉」が、いのちを持って立ち上がるのを感じました。

長文なのでその中から、染織に興味のある方ならぜひ読んでいただきたい一部をご紹介します。

 

 

 美しい言葉とか正しい言葉とか言われるが、単独に取り出して美しい言葉とか正しい言葉とかいうものはどこにもありはしない。それは、言葉というものの本質が、口先だけのもの、語彙だけのものではなくて、それを発している人間全体の世界をいやおうなしに背負ってしまうところにあるからである。人間全体が、ささやかな言葉の一つ一つに反映してしまうからである。そのことに関連して、これは実は人間世界だけのことではなく、自然界の現象にそういうことがあるのではないか、ということについて語っておきたい。

 

 京都の嵯峨に住む染色家志村ふくみさんの仕事場で話していた折、志村さんがなんとも美しい桜色に染まった糸で織った着物を見せてくれた。そのピンクは、淡いようでいて、しかも燃えるような強さを内に秘め、はなやかでしかも深く落ち着いている色だった。その美しさは目と心を吸いこむように感じられた。「この色は何から取り出したんですか」。「桜からです」と志村さんは答えた。素人の気安さで、私はすぐに桜の花びらを煮詰めて色を取出したものだろうと思った。実際はこれは桜の皮から取出した色なのだった。あの黒っぽいゴツゴツした桜の皮からこの美しいピンクの色がとれるのだという。志村さんは続けてこう教えてくれた。この桜色は、一年中どの季節でもとれるわけではない。桜の花が咲く直前のころ、山の桜の皮をもらってきて染めると、こんな、上気したような、えもいわれぬ色が取出せるのだ、と。

 

 私はその話を聞いて、体が一瞬ゆらぐような不思議な感じにおそわれた。春先、もうまもなく花となって咲き出でようとしている桜の木が、花びらだけでなく、木全体で懸命になって最上のピンクの色になろうとしている姿が、私の脳裏にゆらめいたからである。花びらのピンクは、幹のピンクであり、樹皮のピンクであり、樹液のピンクであった。桜は全身で春のピンク色に近づいていて、花びらはいわばそれらのピンクが、ほんの尖端だけ姿を出したものにすぎなかった。

 

 考えてみればこれはまさにその通りで、樹全体の活動のエッセンスが、春という時節に桜の花びらという一つの現象になるにすぎないのだった。しかしわれわれの限られた視野の中では、桜の花のピンクしか見えない。たまたま志村さんのような人がそれを樹木全体の色として見せてくれると、はっと驚く。

 

 このように見てくれば、これは言葉の世界での出来事と同じことではないかという気がする。言葉の一語一語は、桜の花びら一枚一枚だと言っていい。一見したところぜんぜん別の色をしているが、しかしほんとうは全身でその花びらの色を生み出している大きな幹、それを、その一語一語の花びらが背後に背負っているのである。そういうことを念頭におきながら、言葉というものを考える必要があるのではなかろうか。そういう態度をもって言葉の中で生きていこうとするとき、一語一語のささやかな言葉の、ささやかさそのものの大きな意味が実感されてくるのではなかろうか。それが「言葉の力」の端的な証明でもあろうと私には思われる。

 

「『世界』主要論文選(1946-1995) 」岩波書店より

 

桜咲く季節に逝かれた大岡さん、

美しいことばの数々をありがとうございました。

 

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2017.03.09 Thursday

木蓮が咲いた

団地の木蓮が咲きました〜!




花びらは柔らかいけれど、花を包んでいる殻は「産毛」のイメージに反して硬めです。



動物みたい。



レイハンルキリムのトーテミック・モチーフで遊んでみました。



草間彌生センセイ〜!

2016.12.31 Saturday

空は青いぞ

今年もお世話になりました。



いつも散歩する遊歩道から。白鷺か、もしかして白鳥?



枯枝に残る花殻と種が、意外なほどに美しい。



梅には早くも蕾が…



このお家はいつもお花を欠かせることがない。



もう一つの散歩コースは近所の里山。
空が青くて、気持ちがいい。



大きな木の神社にも新しい注連縄。
きちんと手入れをしてくれる人がいるからこそ。



田んぼ、田んぼ、
お空が映ってきれいだなー。



みなさま、よいお年をお迎えください。
2016.12.29 Thursday

TREATY by Leonard Cohen

 

2016年が終わろうとしている。

 

それぞれにとって、どんな一年だっただろうか。

 

* * *

 

1998年に詩人の田村隆一が亡くなったとき、

朝日新聞を見て驚いた。

 

長身でダンディな田村隆一が15段広告のぶちぬきで真ん中に写り、

 

「じゃあ みなさん

これから いろいろ 大変だろうけど

お先に失礼します」

 

と書かれていた。(勝手にリンク

 

* * *

 

今年のノーベル文学賞がボブ・ディランに決まっていろいろ騒がしかったが、

米大統領選に沸く真っただ中の11月7日、

優れた詩人でシンガーソングライターのレナード・コーエンが静かに息を引き取った。

 

「じゃあ みなさん

これから いろいろ 大変だろうけど

お先に失礼します」

 

田村隆一のときよりも、ずっとこの言葉がこたえる。

 

* * *

 

 

最後のアルバムになった "YOU WANT IT DARKER"。

レナード・コーエンの遺書というにふさわしい。

 

ジャケットの写真なんか、泣けるね。

 

彼の身体は、すでに窓の向こう=彼岸に行っちゃっていて、

片手だけが此岸が残っている。

サングラスに映るこちらがわの風景は、どんなふうに見えたのだろう。

 

* * *

 

 

"You Want It Darker"

 

If you are the dealer, I'm out of the game
If you are the healer, it means I'm broken and lame
If thine is the glory then mine must be the shame
You want it darker
We kill the flame

 

Magnified, sanctified, be thy holy name
Vilified, crucified, in the human frame
A million candles burning for the help that never came
You want it darker

 

Hineni, hineni
I'm ready, my lord

 

There's a lover in the story
But the story's still the same
There's a lullaby for suffering
And a paradox to blame
But it's written in the scriptures
And it's not some idle claim
You want it darker
We kill the flame

 

They're lining up the prisoners
And the guards are taking aim
I struggled with some demons
They were middle class and tame
I didn't know I had permission to murder and to maim
You want it darker
We kill the flame

 

難解でよくわからないが、「人間の業」をうたったものだろうか。

 

 

ジャケットを開くと、白い鳥が生と死のボーダーを越えようとしている。

I'm ready, my lord...

 

* * *

 

個人的にいちばん心にしみるのは、この曲 "TREATY" 。

 

I've seen you change the water into wine
I've seen you change it back to water too
I sit at your table every night
I try but I just don't get high with you

 

I wish there was a treaty we could sign
I do not care who takes this bloody hill
I'm angry and I'm tired all the time
I wish there was a treaty
I wish there was a treaty
Between your love and mine

 

They're dancing in the street, it's Jubilee
We sold ourselves for love but now we're free
I'm sorry for the ghost I made you be
Only one of us was real and that was me

 

I haven't said a word since you've been gone
That any liar couldn't say as well
I just can't believe the static coming on
You were my ground, my safe and sound
You were my aerial

 

The fields are crying out, it's Jubilee
We sold ourselves for love but now we're free
I'm sorry for the ghost I made you be
Only one of us was real and that was me

 

I heard the snake was baffled by his sin
He shed his scales to find the snake within
But born again is born without a skin
The poison enters into everything

 

And I wish there was a treaty we could sign
I do not care who takes this bloody hill
I'm angry and I'm tired all the time
I wish there was a treaty
I wish there was a treaty
Between your love and mine

 


* * *

 

レナード・コーエンよ、安らかに。
 

 

2016.11.26 Saturday

落ち葉の絨毯

木曜日の雪にはビックリしたけれど、紅葉中の樹々もさぞかし驚いたと思う。



早過ぎる雪の光堂


カサコソという落葉を踏む音に耳をすますのも散歩の楽しみ。



紅葉の絨毯。



銀杏の絨毯。

先週は沖縄に行ってきた。



雲の絨毯。



大浦湾の貝殻の絨毯。



バイクの跡のような線は、ヤドカリの足あと。



無数の、ちいさな生命。



2016.10.28 Friday

追悼

………
先日、
ある絨毯コレクターの方が亡くなられた。

知的で、穏やかで、「日本にもこんなに素敵な絨毯コレクターがいるんだ」と誇りに思えるような方だった。

とても寂しい。


私もとりあえず今は元気だけれど、大きな病気をしたり、目にもダメージが及びつつあったりして、あとどれくらい元気でいられるのかな、と弱気になるときもある。



それでも生きているかぎり、小さくても楽しみや喜びを見つけよう。

しあわせって、「状態」それ自体にあるというよりは、むしろ「しあわせを見つける能力」なんだ。

あとね、「幸せ」と書くけど、「仕合わせ」とも書くんだって、長年ホームレス支援をつづけてこられた奥田知志牧師が言ってたよ。

「おたがいに人に仕えること、仕え合うこと、みんなが人のために自分のできることをするなかに、幸福がある」って。






Advice
by Langston Hughes


Folks, I'm telling you,
birthing is hard
and dying is meanーー
so get yourself
a little loving
in between.


「忠告」 ラングストン・ヒューズ
木島始訳

みんな、云っとくがな、
生れるってな、つらいし
死ぬってな、みすぼらしいよーー
んだから、摑まえろよ
ちっとばかし 愛するってのを
その間にな。


2016.09.26 Monday

神さまとのやくそく

彼岸花とはよく言ったもので、毎年かならずお彼岸の頃に花を咲かせる。
去年もちょうど秋分の日あたりに、彼岸花は咲いたっけ。

花はたいてい樹木だったり、草に咲く花だったりするので、「ああ、もうそろそろ咲くな」とわかるのだが、彼岸花は突如として現れて花を咲かせ、ほどなく色褪せ、そして劇的に消滅する。

今年もまた貯水池のまわりの雑草の緑一色だったところに、ぽつぽつと現れ、あっという間に緑の土手を紅に染め上げた。

桜花とは違って地味な花で、人に褒められることもなければ、色褪せて消えていくことも惜しまれない。


今年の夏はことのほか暑かった。
この秋も連日雨が降り止まず、いったい自然の営みはどうなってしまったのかと人間が危ぶんでも、彼岸花はそんなことはお構い無しに、今年もまた咲くべきときに花を咲かせた。

まるで神さまとの約束を今年もちゃんと果たしましたよ、とでも言うように。

人間は雑念が多すぎて、なかなかこうはいかない。

この歳になって、彼岸花の偉さがわかった。


2016.04.24 Sunday

漱石「思い出す事など 十九」


 余はこの心持をどう形容すべきかに迷う。

 力をあきないにする相撲すもうが、四つに組んで、かっきり合った時、土俵の真中に立つ彼等の姿は、存外静かに落ちついている。けれどもその腹は一分とたないうちに、恐るべき波を上下じょうげに描かなければやまない。そうして熱そうな汗の球が幾条いくすじとなく背中を流れ出す。

 最も安全に見える彼等の姿勢は、この波とこの汗の辛うじてもたらす努力の結果である。静かなのは相剋あいこくする血と骨の、わずかに平均を得た象徴である。これを互殺ごさつという。二三十秒の現状を維持するに、彼等がどれほどの気魄きはく消耗しょうこうせねばならぬかを思うとき、る人は始めて残酷の感を起すだろう。

 自活のはかりごとに追われる動物として、生を営む一点から見た人間は、まさにこの相撲のごとく苦しいものである。われらは平和なる家庭の主人として、少くとも衣食の満足を、吾らと吾らの妻子さいしとに与えんがために、この相撲に等しいほどの緊張に甘んじて、日々にちにち自己と世間との間に、互殺の平和を見出みいだそうとつとめつつある。戸外そとに出て笑うわが顔を鏡に映すならば、そうしてその笑いのうち殺伐さつばつの気にちた我を見出すならば、さらにこの笑いに伴う恐ろしき腹の波と、背の汗を想像するならば、最後にわが必死の努力の、回向院えこういんのそれのように、一分足いっぷんたらずで引分を期する望みもなく、命のあらん限は一生続かなければならないという苦しい事実におもい至るならば、我等は神経衰弱におちいるべき極度に、わが精力を消耗するために、日に生き月に生きつつあるとまで言いたくなる。

 かく単に自活自営の立場に立って見渡した世の中はことごとく敵である。自然は公平で冷酷な敵である。社会は不正で人情のある敵である。もし彼対我の観を極端に引延ばすならば、朋友ほうゆうもある意味において敵であるし、妻子もある意味において敵である。そう思う自分さえ日に何度となく自分の敵になりつつある。疲れてもやめえぬ戦いを持続しながら、※(「煢−冖」、第4水準2-79-80)けいぜんとしてひとりその間に老ゆるものは、見惨みじめと評するよりほかに評しようがない。

 古臭い愚痴ぐちを繰返すなという声がしきりに聞えた。今でも聞える。それを聞き捨てにして、古臭い愚痴を繰返すのは、しみじみそう感じたからばかりではない、しみじみそう感じた心持を、急に病気が来て顛覆くつがえしたからである。

 血を吐いた余は土俵の上にたおれた相撲と同じ事であった。自活のために戦う勇気は無論、戦わねば死ぬという意識さえ持たなかった。余はただ仰向あおむけに寝て、わずかな呼吸いきをあえてしながら、こわい世間を遠くに見た。病気が床の周囲ぐるり屏風びょうぶのように取り巻いて、寒い心を暖かにした。

 今までは手を打たなければ、わが下女さえ顔を出さなかった。人に頼まなければ用は弁じなかった。いくらしようと焦慮あせっても、調ととのわない事が多かった。それが病気になると、がらりと変った。余は寝ていた。黙って寝ていただけである。すると医者が来た。社員が来た。さいが来た。しまいには看護婦が二人来た。そうしてことごとく余の意志を働かさないうちに、ひとりでに来た。

「安心して療養せよ」と云う電報が満洲から、血を吐いた翌日に来た。思いがけない知己ちきや朋友が代る代る枕元まくらもとに来た。あるものは鹿児島から来た。あるものは山形から来た。またあるものは眼の前にせまる結婚を延期して来た。余はこれらの人に、どうして来たと聞いた。彼等は皆新聞で余の病気を知って来たと云った。仰向あおむけに寝た余は、天井を見つめながら、世の人は皆自分より親切なものだと思った。にくいとのみ観じた世界にたちまち暖かな風が吹いた。

 四十を越した男、自然に淘汰とうたせられんとした男、さしたる過去を持たぬ男に、いそがしい世が、これほどの手間と時間と親切をかけてくれようとは夢にも待設けなかった余は、やまいに生きかえると共に、心に生き還った。余は病に謝した。また余のためにこれほどの手間と時間と親切とを惜しまざる人々に謝した。そうして願わくは善良な人間になりたいと考えた。そうしてこの幸福な考えをわれに打壊うちこわす者を、永久の敵とすべく心に誓った。

馬上青年老。 鏡中白髪新。
幸生天子国。 願作太平民。

2016.03.19 Saturday

"I WENT" ー39年目の東京見物


1977年に上京して39年が経った。
いま住んでいるのは千葉県で、たまにしか東京には出かけず、いまだに東京のことをよく知らない。

健康をとりもどすために食事と運動と冷えとりに精を出しているが、
運動といっても散歩程度しかできない。
近所の遊歩道を中心に歩き、ちいさな季節の変わり目などを楽しんではいるのだが、さすがに飽きてきた。
そうだ、もうすぐ上京40年じゃん、と思い立ち、あらためて東京見物をすることにした。

手にしたのは岩波ジュニア新書『歩いて見よう東京』(五百沢智也著)。
1994年発行で、なんたって20年以上前の本だから、内容は相当古い。
この本の内容とは違ってしまった場所もあるだろうけれど、
その変化も含めて楽しいかもしれないと思い、この本を片手に街に出ることにした。

第1日・日本の核心部を歩くー皇居と都心の山手台地
第2日・経済の中心部を歩くー都心の下町
第3日・教育と文化の基地を歩くー山手台地北東部
第4日・神田川の谷を歩くー山手台地北西部
第5日・若者の街を歩くー山手台地南西部

ほかにオプションコースも載っているが、とりあえずこのコースを歩いてみようと思っている。

「モランディ展」を観た日に、第1日目コースを歩いたのだった。

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東京駅ー皇居東御苑ー(本の内容を少し端折って)イギリス大使館ー国会議事堂ー霞ヶ関
ー虎ノ門(方向音痴の私はここで道を間違えて引き返した)ーアメリカ大使館ー東京タワー
ー増上寺ー(力尽きて竹芝には回れず)大門駅で電車に。

ふつうどこかに出かけるときは、最寄り駅まで電車で行って、そこから目的地に向かう。
東京タワーに行きたいなら、私の場合は大門駅で降り、タワーに行って、また大門駅から電車にのる、というふうに。

だから、東京のいくつかの「部分」は知っているけれど、どこがどうつながっているのかは意識しない。
こうやって一定の距離を歩いてみると、「部分」と「部分」がつながっていく感覚があって、とても面白かった。

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あとは、歩いてみると土地の高低差がよくわかる。
国会議事堂から霞ヶ関はすこし下り坂で、虎ノ門からアメリカ大使館にかけては上り坂になっている。

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本には、イギリスは明治政府とコネクションが強かったので一等地に大使館を建てた、と書いてあって、
なるほど〜、と思ったり、
初めて見たアメリカ大使館は「霞ヶ関の省庁より立派じゃん!」と写真を撮りたかったが、
あたりは「テロ警戒中」の看板と、緊張感あふれる警官の多さにビビって撮らずじまい、とか、
まあ、いろいろ飽きませんでしたよ。

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スウェーデン大使館はとてもモダンな建築で、さっすが〜!
サントリーホールにも近い場所、森ビルが建てたマンションの豪華さには、「住む世界が違う〜」。
ここ、どんな人たちが住んでるのかな?

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このコースはけっこうアップダウンがあったし、何回か道に迷って無駄に歩いた距離もあり、
このあとは東京タワーを経て、大門駅で終了! 
疲れたけど、地形のイメージがつかめてきた感覚がとても嬉しかった。
「おのぼりさん」、楽しい〜! きらきら

* * *

さて、先週は第2日目。
やはり本のコースをすこし端折って、東銀座ー築地ー佃島ー八丁堀ー日本橋ー浅草を歩いた。

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このコースは、かつて江戸だった頃の東京の商業が、「水路」によって成り立っていたことを実感できた。
お江戸は「水の都」だったんだな〜。
鉄道や自動車が発達する前は、物流は水路が中心だったけれど、いまは「そんな昔のこと‥」になっている。



まもなく移転してしまう築地市場は、外国人観光客にも日本の若者にも人気みたいで、大変な人出だった。
「場外市場」はもちろん「魚がし横丁」なども一般客OKで、とても賑わっていた。

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鮮魚の匂い、潮の匂い、ゆりかもめが空を舞う。
なによりも、力強くはたらく人びとの姿が、まぶしかった。

同じ「市場」でも、株式市場で働く人たちを見ても(個人的には)元気は出ないが、
築地市場で一所懸命はたらいている人たちを見ていると、細胞が活性化するような感じがした。
なんたって、毎日の食卓にのぼる魚や野菜など、自分のいのちとつながっているんだもんね。

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またまた個人的な偏愛の対象(笑)。
がんばって、一生懸命働いたんだよね! ァンパンマン

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古代インド建築っぽい築地本願寺から隅田川沿いへとすすむ。

今回歩いた隅田川沿いの土地は、明暦の大火(1657)を機に江戸の人口密集を解消するため、
低湿地帯を埋め立てて、大名屋敷や寺社、町人地を置いたところ。

いまでも瀟洒な雰囲気のある聖路加ガーデン周辺は、大名屋敷や外国人居留地があったようだが、
関東大震災で建物のほとんどが失われたという。



佃大橋で隅田川を渡る。
「佃煮」発祥の地、くらいまでは想像がつくが、
住民の先祖が徳川家康に招かれて移住してきた摂津国(大阪)西成郡「佃」村の漁民、と聞いて「へーえ」である。

橋を戻り、かつて「鉄砲洲」と呼ばれた土地を川沿いに歩く。
鉄砲洲は、画家・麻生三郎の生家の炭問屋があった場所。
関東大震災でここら一帯は灰塵と化し、水運を利用して賑わった商業の町の面影はない。

そういえば、魚市場はもともとは日本橋にあったのだけれど、
関東大震災で焼けてしまったので、1923年に築地に移転したということで、
東京って、明暦の大火、関東大震災、大空襲などで、何度も焼けているところなんだ。

土地の風景は、変わりつづけている。

そのあと私には縁のない兜町を通り、
それなりに縁のある日本橋でランチを取ったあと、
浅草めざして
繊維の町・馬喰町や、
ちょいと粋な芸者衆の町だった柳橋や、
オモチャ&人形の町・浅草橋などを通ったけれど、
時代は変わり、街も少しずつ姿を変えている。



年々歳々花相似
歳々年々人不同

というが、「人」だけでなく「土地」も変わりつづけていく。

またもや何度か道を間違えて無駄な距離を歩き、ようやく浅草までたどりつく。
本当は、さらに合羽橋を通って上野が終点だったのだけれど、浅草でギブアップ。

ヘロヘロになってスタバで一息ついたあと、電車に乗っておうちに帰った。

* * *

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私の好きな河原温の仕事のなかで、"I WENT" というシリーズがある。
毎日、起きてから眠るまで、自分が歩いた土地を地図の上に記していく。

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北米・南米・欧州・日本など、いろんな国のいろんなところへ行っている。

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移動距離が短いときもあるし、長いときもある。

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これなんか面白い。
陸路から港に出て、船に乗ったのだろうか。

* * *

この年になって、歩くことが面白いことにやっと気づいた。

『歩いて見よう東京』は、あと3コース残っているし、
今回の体験を基本にして、自分でコースを考えて「歩いて見よう」と思っている。

歳々年々人不同。

自分もいつかいなくなってしまう。

でも、生きているうちに、見るべきものを、いっぱい、見たい。

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2016.02.16 Tuesday

春泥



俳句の季語となっている「春泥」。
なかなかいいなあ。



いつの間にか春です。
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