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2021.12.23 Thursday

絨毯関係の今年の収穫

 

2021年もあと一週間あまりとなりました。

 

日本では秋頃からコロナ感染者がぐんと減り、

危機は過ぎ去ったかのように錯覚することもありますが、

オミクロン株の市中感染が報じられたいま、

もう一度気持ちをひきしめて、感染拡大しないように

自分にできることをやっていきたいと思います。

 

個人的には、今年前半は家族の病気が複数かさなって、

落ち込むことも多かったのですが、

年の瀬を無事にむかえることができてホッとしています。

 

11月から12月にかけては、楽しいこともありました。

絨毯関係では、あたらしい動きに触れ、あたらしい出会いもあって、

ひさしぶりに気分がウキウキしたりして、

生きていればいいこともたくさんある、と思います。

 

 

「バルーチweb展覧会」も、お見せするピースはまだあるのですが、

最近ゲットしたこちらのバッグフェイスで、2021年の締めくくりとしたいと思います。

 

四角をつなげたお花模様がとてもかわいいピース。

バックの茶色をベースに

インディゴの濃淡二色や、やさしい茜色と茄子紫でいろどられた

おだやかで、平和な雰囲気が感じられます。

 

 

知り合いの絨毯屋トライブさんのお嬢さんが立ち上げた

 POP UP STORE でゆずっていただきました。

 

若いエネルギーに満ちあふれ、

謙虚で勉強熱心なところはお父様ゆずり。

 

インスタグラムでは「tribe_2nd」で投稿されていますので、ぜひご覧になってください!

 

新鮮でさわやかな風を、日本のラグシーンに吹き込んでくれることを期待しています。

 

 

そして、「絨毯ならなんでも好き」とフィールドの広いAkikoさんの新居にも

お邪魔させていただきました。

 

さまざまな絨毯のなかでも、いちばんはペルシャ絨毯のコレクション。

こちらはリビングダイニングに敷かれた、とても美しい絨毯。

 

 

トライバルラグ、村の家庭で織られた絨毯、ペルシャ絨毯が

同じスペースに敷き詰められ、

「違和感がない」というより、

むしろ「おたがいを引き立てあって、さらに輝いている」という印象。

 

絨毯だけでなく、インテリアセンスも抜群で、写真もとても綺麗☆

 

インスタでは「akikoyab」で投稿されています。

こちらもぜひ!

 

 

そして、個人的な好みという点で、いちばん衝撃を受けたのが

インスタの「probablyantiques」さん。

 

前にも書きましたが、

わたくしミョーに偏屈なところがありまして、

インスタの存在は知っていたものの、

アカウントを持つことはおろか、

ずーっと見ることがありませんでした。

 

ところが「tribe_2nd」さんの様子を知るにはインスタしかない!ということで

10年遅れでアカウントをつくりました。

 

そこで知ったのが「probablyantiques」さんでした。

 

朝、寝ぼけまなこでページを開いて、飛び上がりました。

 

自分の理想とするバルーチコレクションが、この日本にあったのです!

 

絨毯それ自体の芸術性。

その魅力を最大限に引き出す展示。

 

そこにはバルーチの美の世界がありました。

 

千利休の数々のエピソードにリンクするような審美眼の持ち主。

 

「また、ぷぎーが大げさなことを言っている」としか取っていただけないかもしれませんが、

すでに自分の絨毯遍歴をほぼ終えつつある人間が、

「絨毯好きになって、よかったな〜」と心から思えた瞬間でした。

 

自分は、もう絨毯を集めつづけることができないオワコンです。

 

でもね、終わりが見えているこのときに、

こんなすてきなコレクションに出会えた。

 

こういうことを、まさに「眼福」というのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

2021.12.12 Sunday

バルーチweb展覧会6 不思議なモチーフ&「トルクメンボーダー」

 

きのうはフレデリック・ワイズマン監督の「ボストン市庁舎」を観に行きました。

4時間半の長尺(途中10分間の休憩あり)だったけれど、中だるみを感じさせない秀逸な映画。

 

「分断されている社会は発展しない」という言葉が心に響きました。

うん、きっとそうだろうなって。

 

さまざまな国や地域から集まってきた移民の町。

多様性を尊重しながら、できるだけ不平等をなくして、一緒に生きていくためにはどうすればよいか。

 

ひさびさに感じたアメリカ北東部からの自由の風をうけて、

胸いっぱいに空気を吸いこみたくなりました。

 

 

* * *

 

さて、バルーチweb展覧会の6回目。

 

 

このピースも前回と同じニューヨーク在住のアーティストから譲ってもらいました。

個人的にはかなり気に入っているのだけれど、

写真ではうまく色がでないし、なかなか良さをつたえることができません、、、

 

 

フィールド部分は「八芒星」と「低木のようなモチーフ」を組み合わせています。

濃いインディゴを背景にして渋い茜と茶色が浮き上がり、

どこか不思議な印象です。

 

 

ボーダーはいわゆる「トルクメンボーダー」と呼ばれ、

イラン北東部の古いバルーチ絨毯にけっこう見かけます。

本家トルクメンは、ヨムートなどがこのボーダーを使っていたようです。

 

 

経糸が太めなので、うちのバルーチ絨毯の中ではやや厚めの絨毯。

 

 

裏側を見ると、ちょっとデプレスがかかっています。

こげ茶から薄茶色までのグラデーションがきれい。

インディゴや緑の「アブラッシュ」もいいですが、茶色の染めむらも捨てたもんじゃないです。

 

 

上部の濃いインディゴの線も好きなんです。

左右対称ではなく、ちょっとゆがんでいて、

「禅画」のようでもあります。

 

 

左手のボーダーも、目立たない茶色と強いインディゴの切り替えのリズムが非凡で、

見ていると、「怪しい気持ち」になってきます、、、

 

まあ、絨毯を見て「怪しい気持ち」になるヒトって、たぶん「怪しいヒト」なのかもしれませんが、、、

 

 

今回もぜんぜん一般受けしない絨毯で恐縮ですが、

「怪しいヒト」の好きなバルーチ絨毯、

「へえ、こんなものもあるんだ」と思っていただければ幸いです。

 

 

 

2021.11.26 Friday

バルーチweb展覧会5 メムリング・ギュルの古いバルーチ

 

きのうはバルーチのラグを中心に虫干しをしました。

 

秋は夕日が部屋の中まで差し込んでくるので、絨毯がきれいに見えました。

絨毯を片づけながら、あらためてバルーチ絨毯に見ほれました。

 

この数ヶ月、わたしの絨毯遍歴のソフトランディングに向けてぼちぼち取り組んできたけれど、

終章から逆算し始めてみると、あたらしい発見がいくつもありました。

 

「民藝の100年」展を観た後、トライブさんの展示会に行ったのですが、

30〜40代くらいのお客さんがたくさんいて賑わっていました。

この2年間引きこもっていたので、

トライバルラグがちょっとしたブームになっていることを知らなかったのです。

 

時代は動いています。

動いていなかったのは私の感性でした。

 

decade遅れでインスタグラムをのぞいてみると、

みんな写真がむっちゃ上手でびっくりしました。

 

そのおかげでステキな展開がありそうな予感がしています。

 

* * *

 

さて、バルーチweb展覧会の5枚目。

 

 

このラグは、持っているバルーチの中でもとくにお気に入りのもの。

ニューヨーク在住のアーティストから譲ってもらったもので、

さすが「見る目が違う」と思わせるピース。

 

 

メムリングギュル

 

 

ボーダーのモチーフも不思議な形をしています。

 

インディゴの入れ方がいっぷう変わっています。

クルドのトライバルラグのなかに、変わった配色のものがありますが

これは「クルド・バルーチ」と呼ばれるタイプではないと思います。

 

 

フィールド部分のパイルがすり減っていて、

結び目がにぶく輝いていて黄金のようにも見えます。

 

 

メムリングギュルの隙間の「S字」もキリッとしていて渋い!

 

 

近所の人に見せても、ただのボロ絨毯としか思ってもらえないだろうけれど

(いや「絨毯」としてすら認識してもらえないかもしれない)

個人的にはすごい絨毯だと思っているのです。

 

 

キリムエンドはこれだからね〜

 

 

やわらかな茜色やオリーブブラウン、

インディゴのアブラッシュも歳月を経て

おたがいを労わりあっているようです、、、

 

 

なんてすてきな

My Favorite Rug...

 

 

 

2021.11.11 Thursday

バルーチweb展覧会4 薄っ!白い花と風車?

 

バルーチ絨毯の4枚目です。

 

 

ベースになっている茜色がとても美しく、これは屋外で撮りました。

 

 

これは屋内で撮ったのですが、やはり屋外の方がきれいに撮れますね。

 

 

ホラッ、きれいな茜色でしょう!(屋外写真)

 

焦茶色の糸の部分がほとんど朽ちてなくなっていることからも

かなり古い絨毯で、19世紀末よりはもう少し古いような気がします。

 

インナーボーダーのあたりに目立つ補修あり。

 

 

端の部分が欠損していたので、大がかりな"復旧"作業。

もともとの経糸はアイボリーなので、

ピンク色のフリンジは補修によって加えられた糸です。

オリジナルと補修部分の間あたりにピンク色の糸をもぐりこませています。

 

 

これはかなりレアなバルーチだと思っています。

 

理由その1:あまり見かけないデザインであること。

 

バルーチ絨毯にはよく白い花が使われますが、花の形も変わっているし、

構図も「ミナハニ」文様とは言えないタイプで、

花が3輪ついた枝の横には、八芒星を中心にしたフシギな「風車」のような模様。

 

そしてさらにオレンジとインディゴで「唐辛子」のような形のモチーフもあります。

うーむ、いったいなにを表しているのだろう?

 

 

理由その2:かなりデプレスがかかっている織りであること。

 

バルーチ絨毯はデプレスがかかっていないタイプが多いのに、

この絨毯の裏を見ると「つぶつぶ2個」のうち1個がかなり奥まで入り込んでいます。

 

(web展覧会の1枚目がデプレスの効いたタイプでしたが、あれもバルーチとしては珍しいタイプです)

 

 

理由その3:他のバルーチ絨毯と比べて、かなり織りが細かく、薄いこと。

 

この写真はあまりよく撮れていないのですが、一般的なキリムぐらいの薄さです。

 

 

畳むとこんな感じでペタンとなります。

 

 

薄いけれどデプレスが効いているために、タテ方向に折りたたむのに抵抗があります。

 

 

ボーダーの文様を見ると、ホラサン地方のものかなあ?

 

 

ピシッと織っているようでいて、

ボーダーとフィールドとの境目の「チェスの駒」のようなインディゴの模様、

左下のほうで、一瞬「ヘナヘナ〜っ」と崩壊しています。

 

 

アウターボーダーとインナーボーダーの「S字」なんかキリッと渋いのにね、、、

 

 

白い花もカクカクしていて、かわいい。

3人の少女がポーズを決めているところみたい。

 

 

なんだかお花が「顔」に見えてきた、、、

 

 

それでは、みなさま、ごきげんよう。

 

 

2021.10.21 Thursday

バルーチweb展覧会3 キャメルフィールド 4本のトーテムポール?

 

あまり内容のない記事になりますが、バルーチ3枚目のラグです。

 

 

1枚目と同じキャメルフィールドですが、印象はずいぶん違います。

 

 

1枚目はシックな感じでしたが、こちらはどこか可愛らしい。

 

 

キリムエンドのすぐ下の、横に「十字」が連なっているボーダー部分や

左右のボーダーの「八芒星」の連続が、キャラクターっぽくて好きなのです。

 

 

左右の八芒星のいちばん下を見てください!

「ピョーン!」と跳ね上がっているように見えませんか?

 

キャメル色のフィールドには、二種類のモチーフが交互に、

すこしずつ色を変えながら配置されています。

4本のトーテムポールみたい?!

 

”トーテムポール”の大きなモチーフの周りに配置された、小さなモチーフ、

下側の写真は、ゲジゲジのような「なにやら判らん」物体が散りばめられていますが、

上側の写真を見ると、シッポのある動物へと進化しています。

 

「ゲジゲジから犬へ!」

バルーチ進化論であります。

 

パイルの向きから考えて、

この絨毯は下から上へと織っていますが、

織った人が途中から小さなモチーフを変えたんですね。

 

 

ゲジゲジ部分

 

 

シッポのある動物部分

 

 

絨毯の裏を見るとデプレスのない織り方になっています。

 

すこしだけ残るフリンジは、さすがに撚りが取れちゃっています。

前々回に「バルーチの絨毯は古いものでも経糸の撚りが残っている」

と書きましたが、このピースは違いますね。

 

 

セルベッジは山羊の毛ですが、やっぱり傷んでいます。

 

写真がうまく撮れませんが、紫色やまったりした赤系統の染めが美しいです。

もちろん、インディゴも!

 

 

この写真は実物にちかい色が出ています。

 

ラクダの色も、web展覧会一枚目のキャメルフィールドと違います。

一枚目は明るいキャメル色ですが、こちら3枚目はすこし赤みがかったキャメル。

 

 

"Carpets in the Baluch Tradition" by Siawosch Azadi  からの引用。Plate45

 

これはプレイヤーラグですが、フィールドデザインがほぼ同じです。

 

 

本のピースは、イラン北東のホラサン地方にあるTorbat-e-Djamという町の

 Timuri 族の Yakub Khani グループが織ったとされています。

 

このモチーフは、他のグループも真似をして織ることがあるそうですが、

ウチの絨毯はヤコブ・ハニが織ったものなのかどうか?

 

 

いずれにせよ、個人的にはかなり好きな

かわゆ〜いバルーチ絨毯です。

 

 

 

 

 

2021.10.10 Sunday

バルーチweb展覧会2 カシュガイからコピー? 斜めストライプ

 

バルーチweb展覧会の第二弾!

といっても、やはり地味なバルーチ。

 

 

日中に撮影しました。

 

 

階段状のモチーフのメインボーダーを

ペルシャデザインっぽいサブボーダーが幾重にも取りかこんでいる。

フィールドは斜めのストライプ。

 

 

こちらは DAVID BLACK ORIENTAL CARPETS "Rugs of the Wandering Baluch" からの引用。

1976年発行なので、バルーチ絨毯にスポットを当てた先がけとなる本。

 

 

フィールドデザインは、カシュガイ族由来ではないかと書いている。

おもしろいのは、ボーダーのキャメル色が「モーブ色が褪色したもの」ということだ。

「フクシン」は1858年にホフマンによって発見された染料で、時をおかずに商品化された。

 

 

「フクシンがキャメル色に褪色した絨毯」というのはかなり特殊な例だと思う。

キャメルフィールドのバルーチ絨毯は、基本的に本物のラクダ毛を使っている。

 

この絨毯はおもしろいことに、パイル部分ではなくヨコ糸にラクダの毛を使っていた。

・・・といっても、ヨコ糸はほとんど見えない。

これは絨毯の裏側で、まず目に入るのはパイルを結んだつぶつぶの部分だが

よーく目を凝らして、つぶつぶの隙間に少しだけ見えているのがヨコ糸。

あとはセルベッジの部分に、ヨコ糸がはみ出すように見えている箇所もある。

 

 

つぶつぶの隙間にラクダ色が見える。

質感は羊毛にくらべると、ややボソッとした感じ。

 

 

とはいえ、すべてのヨコ糸がラクダ毛ではなく、

三分の一くらいはグレーっぽい羊毛を使っている。

 

部族絨毯は「手元にある材料でまかなう」ことがよくあるので、

この絨毯のヨコ糸も、たまたま手元にあったから二種類の毛を使ったのだと思う。

 

 

フィールド部分のパイルがけっこうすり減っている。

でも小さいお花がいっぱい。

 

 

メインボーダーにも白と青の小さな花が、、、

 

 

左手上部には、葉っぱをのばした草(木かもしれない)、

その下には、ボテ文様が一個だけ。

 

 

上側はキリムエンドが少し残っている。

 

 

下側はキリムエンドがほとんどなくなっている。

 

 

やっぱりバルーチはタテ糸の撚りが残っている。

 

 

オリジナルのセルベッジが傷んでいたのか、補修で巻き直されている。

 

 

ボーダー部分はパイルが残っているので、こうしてたわませるとツヤツヤ〜

 

このバルーチはインディゴが水色に近く、赤も明るくてオレンジに近い。

ホラサン地方のバルーチの染色は、藍も赤も暗めなので、

この絨毯はもしかしたら南へ下ったシスタン地方のものかもしれない。

ウールの質も、うちにあるホラサンのバルーチとはちょっと違うような、、、

 

いつまでたっても、絨毯はわからないことばかりだ。

 

 

地味なバルーチ、第二弾、いかがでしたか?

2021.10.03 Sunday

バルーチweb展覧会1 キャメルフィールド 八芒星オーバーオール

 

「つぎはバルーチのweb展覧会やります!」なんて意気込んだものの、

実際に写真を撮りはじめたら、ちょっと気持ちがくじけてしまった。

 

理由は、バルーチの写真を美しく撮るのはやはり難しい、ということと

紹介するピースも、「どーだ!」と自慢するほどのレベルではないということ。

 

でもまあそれでも、アンティークのバルーチ自体がいまでは希少になっていて、

古いバルーチの良さを少しでもわかっていただけたらうれしいので、

何回かにわたってバルーチをご紹介します。

 

 

フィールドは「八芒星」がくり返されるオーバーオールデザイン。

薄茶色はラクダの毛なので、こういうタイプを「キャメルフィールド」と呼ぶらしい。

 

パイルはよく残っているが、左右のセルベッジや上下のキリムエンドに傷みがある。

先日この絨毯を水洗いしたら、それほどパイルは抜けなかったのに、キリムエンドがさらに傷んでしまった。

 

 

 

片方のキリムエンドはまあまあの状態。

手の込んだ文様や浮き綾織りのテクニックが使われている。

 

 

浮き綾織りの裏側を見ると、このようにびっしりと糸が通されている。

根気のいる作業にあたらめて敬服する。

 

 

裏側の写真が出たついでにもう一枚。

タテ糸を観察すると、2本のうち1本が交互に浮き上がって見える。

これはデプレスが一定程度かかっているためで、やや立体的な織り構造になっている。

 

 

質感もバルーチのなかでは「どっしりしている」感じ。

 

 

デプレスのかかっていない古いバルーチは、織りがわりと細かいこともあってか、

「踏み心地」はややペタンとした感じなのだが、

このピースは少しデプレスがかかっているので踏み心地が良い。

しっかりと足を受け止めてくれる感じなのだ。

 

そしてセルベッジを見ると、髪の毛のような黒い毛がぴょんぴょん飛び出している。

 

 

これはヤギの毛で、古いバルーチのセルベッジにはよく使われている。

この部分はヤギ毛が残っているが、取れてしまっている箇所も多い。

 

タテ糸はアイボリーのウール。

バルーチの古い絨毯のタテ糸は、撚りが残っているものが多く、

トルクメンの古い絨毯のタテ糸は、撚りが取れてしまってピーン!としたものが多い。

 

 

文様がピシッと配置されていて、とても上手な織り手だと思う。

 

 

バルーチのこげ茶の色は、鉄媒染で劣化して朽ちていることが多いが、

このピースは焦げ茶色の糸がすり減っていないので、羊の原毛のままかもしれない。

 

あとはこのラクダの毛のつややかさに注目してほしい。

 

 

これは別のバルーチのバーリシトのラクダの糸だが、

糸からはみ出した毛があちこち飛び出していて、いかにもチクチクしそう!

しばらく使って遊び毛がある程度取れても、ラクダの糸は羊毛の糸よりもボソボソしていることが多い。

 

 

でもこのラクダの毛はウールみたいにすべらかになり、

ナデナデするととても気持ちがいい。

 

羊毛も、刈り取る部位、夏毛と冬毛、羊の年齢などによって品質の差があるが、

それと同じように、ラクダの毛もいくつかの要素で品質が違うのかもしれない。

これは極上のキャメルヘアー。

 

 

こちらは夜に撮った写真。

最初の全体像に比べて、色合いがきれいだと思いませんか?

 

 

ふつうバルーチは日光の下で見るのがいちばんきれいに見えるものだけれど、

このピースは例外で、夜もしくはちょっと暗めの場所で見るほうが良いみたい。

 

 

ボーダーの羊毛もとてもすべらかでツヤがあります。

バルーチの青の美しさには定評があるけれど、この渋い茜系の色もすてき。

「茜」というより「葡萄色」に近く、とてもシックな色。

 

モチーフの四隅の小さな白い花が、ボーダーに清潔感をあたえています。


 

「赤らしい赤」が使われていないため、ちょっと地味な印象ですが、

ながめていて、気持ちが落ち着く絨毯です。

 

ではまた。

 

 

 

2018.06.04 Monday

樂美術館のバルーチキリム

 

金曜から日曜日まで母のお供で、京都と奈良に行っていた。

 

母は楽焼の十五代・樂吉左衞門さんの大ファン。

6月1日に樂さんのギャラリートークがあるというので

「あなたもぜひ聞きなさい」と誘われた。

 

IMG_0633.JPG

 

京都市上京区油小路にある樂美術館

 

IMG_0632.JPG

 

入口はこんな感じ

 

 

開館40周年を記念した樂さんのギャラリートークは全5回で、今回は最終回。

事前予約をしていた30名から40名ぐらいがエントランスホールで待っていた。

さすが京都で、和服姿のご婦人や、ちょっと前衛的な感じの若者も混じっている。

 

開催時刻の夕方5時、Tシャツにパンツという出で立ちで樂さんがふっと姿を現した。

すごくエラい人のはずなのに、まるで近所の人が顔を出したような登場の仕方にちょっと驚く。

だが普段着とはいえ、きりっとした身のこなし、体全体から発せられるオーラのようなものを感じる。

ストイック。清明。

修行を重ねている僧侶のようだ、と思った。

 

 

今回は「能と楽茶碗」との関係性を中心にお話があった。

 

* * *

 

楽茶碗は初代長次郎が利休の好みに合わせて焼いた茶碗がはじまりだとされている。

「黒楽」「赤楽」などとよばれる独特の茶碗。

けれどそういうものがいきなり生まれたわけではなく、ものには当然ルーツがあるはずだ。

 

それはおそらく南中国の「素三彩」とよばれるやきものだったのではないか。

「交趾焼」は日本でも見られるが、あれに近い感じだったと思われる。

もともと、緑や褐色や白などの限られた色のやきものだったが

利休の意をくんだ長次郎は、装飾性をどんどん廃していった。

 

装飾性を廃していったという点では、能もおなじ。

歌舞伎や浄瑠璃では、たとえば「泣く」という動作は誇張して演じられるが、

能の「泣く」は、少しうつむいて手をそっと添える、といったわずかな動きで表現される。

猿楽から能楽へと発展する過程において、ある種の装飾性を廃していっていまの形ができあがった。

 

* * *

 

このように楽茶碗と能の類似点などのお話をされた後、展示室へと移動して

実際の作品を見ながら、樂さんが解説される。

 

今回は能に因んだ銘がつけられている茶碗の横に、それぞれ能面が展示されていた。

 

当時茶道を嗜む者はたいてい能も好きで、茶事の際に謡が飛び出すこともよくあった。

茶碗の形や雰囲気からインスピレーションを得た茶人が

能の一場面を思い出して銘をつける。

 

たとえば上の写真は、長次郎の赤楽茶碗だが「道成寺」という銘が付けられている。

その心は「釣鐘を逆さにした形のようだから」。

(能「道成寺」は白拍子が梵鐘のなかに飛びこむシーンがある)

長次郎の赤楽茶碗の横に「道成寺」の能面のコラボレーション。

 

* * *

 

それ以外にも樂吉左衛門さんご自身の作品「砕動風鬼」にまつわるエピソードなど

たいへん興味深いお話がつづき、とても贅沢な時間を過ごせた。

 

IMG_0631.JPG

 

美術館のあちこちにお花が生けてあったが、

ただ「花が飾ってあるな」ではなく、ひとつひとつの花のいのちが輝いていた。

 

* * *

 

さて、ギャラリートークに先立って展示を拝見すると、

熊谷守一美術館とおなじく(?)、樂美術館にもバルーチを発見!

 

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第三展示室にベンチがあり、その下にバルーチキリム。

これは「たばこと塩の博物館」で展示があった丸山繁さんから購入されたものだと思われる。

 

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"KILIM the complete guide" より

似たタイプのバルーチキリム。

 

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この本によると、ディーラーの間では「バルーチ・マラキ」とよばれるタイプ。

 

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樂美術館のキリムの細部

 

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『芸術新潮』2008年3月号

10年以上前の写真ですが、このかたが十五代・樂吉左衞門さん。

 

トライバルラグの中でも、樂さんが選ばれるとしたら、やはりバルーチだと思う。

ピースによってはトルクメンという選択肢もあるけれど、なんといってもバルーチ。

 

その理由は「闇」。

 

この特集号の中に「闇のなかへ 千利休」というページがある。

ギャラリートークでも「妙喜庵待庵」のお話が出た。

「待庵は茶室のなかでも暗いんですよ。茶碗なんかもやっと姿がわかるくらい」

 

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待庵のにじり口。

奥はほとんど見えない。

 

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広さ二畳の茶室内部。

 

「まるで洞穴のような床。奥の隅柱も、床の天井も土で塗り廻したような室床に、

黒楽茶碗「ムキ栗」を置く。暗闇に黒。これが利休の茶だ。」(左頁のキャプション)

 

* * *

 

黒楽を中心とした楽茶碗を展示するスペースには

アナトリアキリムも、コーカサスキリムも似合わない。

やっぱりバルーチキリムがいちばん、似合う。

 

もっとバルーチキリムの良さが日本に広まるといいなあ。

 

 

 

2018.04.01 Sunday

熊谷榧さんのバルーチ・鞍掛袋

 

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今年は絶好のお花見日和にめぐまれて、桜が存分に楽しめました。

花びらのじゅうたんもきれい。

 

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3月21日まで東京国立近代美術館で開かれていた

「没後40年 熊谷守一 生きるよろこび」がとても良かったので

きのうは池袋西郊の熊谷守一美術館に行ってきた。

 

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画家亡き後、自宅跡に次女・熊谷榧(カヤ)さんが私設美術館として1985年に設立し、2007年に豊島区立となる。

敷地80坪弱のこじんまりとした美術館だが、ここそこに温かさがあふれていた。

 

 

1880年(明治13年)岐阜県に生まれる。

裕福な実業家だった父は、初代岐阜市長から衆議院議員を務めたが、

守一は妾の家で育てられたりと複雑な家庭環境で、

幼い頃から人間のエゴや欲や醜いことに関しては人一倍敏感だったようだ。

 

父の仕事を通していろんなものが見えました。

生糸の仲買人は百姓をごまかして買い叩き、番頭は台秤をごまかして仲買人から安く買う。

それが番頭の忠義心であり、手腕だったわけです。そうやって人の裏をかき、人を押しのけて、

したり顔のやりとりを見ているうちに、商売のこつをのみ込んでいく代りに、

わたしはどうしたら争いのない生き方ができるだろうという考えにとりつかれていったのかもしれません。

(95歳 1975年)

(以下の引用は、『熊谷守一画文集 ひとりたのしむ』求龍堂1998年 より)

 

1900年、20歳のとき東京美術学校入学。同級生に青木繁がいる。

二年後に父が急死して家運が傾き莫大な借金が残る。

「たとえ乞食をしても絵かきになろう」と考えるが、「売るため」の作品が描けず、長く困窮がつづいた。

貧しい暮らしの中で三人の子を亡くしました。

次男の陽が四歳で死んだときは、陽がこの世に残す何もないことを思って、陽の死顔を描きはじめましたが、

描いているうちに”絵”を描いている自分に気がつき、嫌になって止めました。

「陽の死んだ日」です。早描きで、三十分ぐらいで描きました。 (93歳 1973年)

 

やがてコレクターの木村定三氏をはじめとして、作品が徐々に認められるようになっていったが、

欲のない、超俗の精神はそのままだった。

 

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美術館の塀に彫られた蟻の絵とサインの写し。

晩年は家の庭で日がな一日、小さな生きものや草花を観察して過ごしていた。

 

地面に頬杖つきながら、蟻の歩き方を幾年も見ていたんですが、

蟻は左の二番目の足から歩き出すんです。(96歳 1976年)

 

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自宅の庭にひそんでいる熊谷守一

 

いまは見えなくても、そのときおりおり、芽を出して花を咲かせ、実をつけるいろいろな草木があって、

この植えこみのぐるりの道は、ただ歩くものならものの二分とかからないでもとに戻れる範囲ですが、

草や虫や土や水がめの中のメダカや、いろいろなものを見ながら廻ると、毎日廻ったってあきません。

そのたび面白くて、ずいぶん時間がかかるんです。 (96歳 1976年)

 

近代美術館での回顧展もそうだったが、彼の作品を見ているうちにある種の解放感へと向かう。

初期の作品はアカデミックで暗い色調のものだが、やがてフォービズム的な荒いタッチへと変わり、

やがて赤い輪郭線で仕切られた清澄な作風になる。

 

なんというか、心の澱が取り払われていくような気持ちがするのだ。

 

絵は好きで、それなりに観るのだが、詳しいことはよくわからない。

最近はもっぱら、作品からあふれる「気」が好ましいかどうかだ。

 

熊谷守一の作品は見る者の心を浄化する力があるように思う。

 

自由に生きていいんだ。

アリや蝶々やカマキリのように、

そっと花を咲かせる小さな草花のように、

だって自分もおんなじ小さな生きものだから。

 

* * *

 

とまあ、そんな感じで今回も気持ち良く作品を見おわり、

カウンター付近の絵葉書やカタログなど眺めていますと、、、

 

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おおっ!

なんと熊谷守一美術館にバルーチのサドルバッグがぁ〜!

しかも完品!

裏側を見るとかなり古いもののようだ。

 

思わず受付職員の方に

「この袋、写真撮らせてもらってもよろしいでしょうか?!」

と訊いてしまった。

 

許可を得てパシャリ!

 

* * *

 

じつはこの横はソファーが並べられており、

熊谷守一の次女であり館長でもある榧さんが座っておられたのである。

 

上記を引用させていただいた求龍堂『ひとりたのしむ』の年譜も、榧さんが執筆されており、

一見淡々と書かれているようでいて、行間にじつに豊かな味わいのある文章に舌を巻いていたのであった。

また館内には、榧さんの絵、彫刻、木彫りなどの作品も展示されており、

さすがは熊谷守一の愛娘というしかなかった。

 

雑誌『婦人之友』3月号のインタビュー記事も読んでいたし、

ホントはちょっぴりお話かけしたかったのだったが、

やっぱいきなり話しかけるのも失礼かなと思って我慢していたのだ。

 

* * *

 

そのあと絵はがきを買い、

「せっかく池袋まで来たんだから、雑司が谷霊園にある永井荷風先生の墓に行くか〜」

とそそくさと美術館を後にしたのであった。

 

しかし!

「なぜバルーチのサドルバッグがあるのか、理由を聞いてくればよかった」

と思いはじめ、

「熊谷守一は晩年ほとんど外出しなかったそうだから、

誰かからプレゼントでもらったか、

それとも榧さんはヨーロッパの山スキーなどに出かけておられるから

榧さんの持ち物か、どっちかじゃないかな?」

と気になりはじめた。

 

家に帰ってからだとタイミングを逃してしまう。

そこで雑司が谷の駅を出たところで美術館に電話した。

 

「あの〜、さっき袋の写真を撮らせていただいた者なんですけど、

差し支えなければ、あの袋の来歴を教えていただけませんか?」

 

「少々お待ちください」との後、しばらく経って

「あれは次女の熊谷榧さんの持ち物です。

中東でラクダなどの背にかけて使う袋ということです」

との返事をいただいた。

 

ラクダには小さすぎるのでロバか馬とは思ったけれど

「はい! わかりました!

どうもありがとうございました!」

と電話を切った。

 

そうか〜、熊谷榧さんがあの袋を気に入られたんだ〜。

 

バルーチのシックな色合いと、しっとりしたウールの質感、丁寧な紐飾り。

 

榧さんがバルーチの毛織物を気に入ってくださったと知って、

とても嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

2017.12.04 Monday

村山和之氏レクチャー「バローチ民族の生活文化と音風景」

 

昨日は都美術館でゴッホ展を観てから、台東区谷中のエスノースギャラリーに行った。

絨毯屋トライブさんが「アフガニスタンの手仕事ーバローチ族とタイマニ族を中心にー」という展示会をされていて

この日はバローチ研究者の村山和之さんのレクチャーがあったのだ。

 

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トライブさん作成の地図と今回の案内ハガキです。

地図の紫部分がバローチのテリトリー。

 

最初にトライブの榊龍昭さんからバルーチ絨毯について説明があった。

 

・最初は部族絨毯を見ても、どこの部族のものかなかなか分からないが、

トルクメン絨毯とバルーチ絨毯はすぐに分かるようになる。

 

・トルクメン絨毯は赤が多いが、バルーチ絨毯は濃紺やエンジ、こげ茶色など暗いがとてもシックな色調が特徴的。

 

・部族絨毯の中でもバルーチ絨毯は流通している数量が多い。これはバルーチの人口が多いためなのか、

人口当たりの絨毯を織る割合が多いのか、そこらへんはまだ分かっていない。

 

・絨毯を織るテクニックに優れている。

パイル織と平織りだけでなく、刺繍のように見える浮綾織りやもじり織りなど多くの技法を使いこなす。

 

* * *

 

その後、村上和之さんがバルチスタンの映像を映しながらレクチャーをしてくださった。

 

バルチスタンの大学の遠足やバルーチ族の結婚式、石焼パンなど調理の過程、

庭園からブドウをとって食べるようすなど、現地の映像をたくさん見せていただいた。

YouTubeでもなかなか見ることのできない貴重な映像〜!

 

その後、現地で入手してきた衣服やマントなどを見せていただく。

 

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バローチの女性の衣服。

襟元や袖に細かい刺繍がしてある。

参加者は帽子やターバン、マントなどを実際に身に付けたり写真を撮ったりしながら

なかなか訪れることのできない土地のありさまを想像することができた。

 

* * *

 

会場ではバルーチの音楽CDも聞かせていただいたが「悪魔払い」的な意味の音楽らしい。

レクチャーの中でも、ヤギ料理を食べたあと出てきた骨を見て、ある種の占いをする風習があるとのことだった。

 

「わりと日常にシャーマニズム的なものが残っている」というお話は、

部族絨毯で「この文様はどんな意味があるのだろう」と思うことがよくあるので、

とても好奇心をそそられる。

 

バルーチ絨毯には「ニワトリのモチーフ」がよく出てくる。

「先生、今のバルーチ族の中でニワトリってどんな存在なんですか?」と質問してみた。

 

「ニワトリは食用のほか、

暗闇を破る鳴き声を上げる吉鳥とされ、尊ばれています」

 

「闘鶏ってやりますか?」

 

「やります。小型のチャボが多いですね。」

 

とのことだった。

 

レクチャーはとても面白く、帰りの日暮里駅に向かう道ではスーパームーンがとても美しく見えた。

 

* * *

 

部族絨毯の「文様」は非常に面白いテーマだが、異論がたくさんあってなかなか「これが正しい」と言い切れない。

このブログの記事に「文様」の話が出てこなくても、決して興味がないわけではないのだ。

ウソを広めてはいけない、と思っているだけなので、興味はあるんです、ハイ。

 

以前の記事「バルーチ絨毯のデザインについて」で、次のように書いたことがある。

 

バルーチには「ニワトリ」や「トサカ」の文様が多いのですが、
1913年発行の"Encyclopedia of Islam" には
"Baloc" (バルーチのこと)はペルシャ語で「トサカ」を意味するとの記述があります。
当時のバルーチは「トサカのような被りものをしていた」という証言もあるそうです。

 

ニワトリがバルーチの象徴的存在であることを知ったとき、正直「???」な印象だった。

私の頭のなかでニワトリは「お肉」であり「卵」であり、

姿かたちも白い羽根に赤いトサカの「白色レグホン」しか思い浮かばなかったからである。

嗚呼! 貧困なる想像力! ゆう★

 

改めてJeff W Boucher "BALUCH WOVEN TREASURES" を開いてみた。

 

 

このルコルシ(ソフレ=食卓布)の四隅に配されている鳥は、バウチャーは「オンドリ」だと説明している。

「遊牧民にとって、オンドリは闇夜を取り払い、家庭を悪魔から守る、栄光と勝利の象徴である」

 

コケコッコー!

これは非常に説得力がある説明だと思う。

 

ところが同じバウチャーコレクションでも

 

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このピースの鳥は「クジャク」と説明されており、

 

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これも「クジャク」と書かれてあるんですよ。

 

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これは JAMES OPIE "TRIBAL RUGS" のカシュガイ族のホースカバーの一部。

これは形状からして、確かにクジャクだと思いますが、

上のバルーチの二枚を「クジャク」とするなんらかの根拠があるんでしょうか。

 

確かに「クジャク」はペルシャ文化においても伝統的に「霊鳥」とされているようなので

バルーチもクジャクを尊重したって不思議はありません。

 

でも、このカルチャーラジオを聞いてからは

「ニワトリ」について、もっともっと可能性があるんじゃないか?!と思っているのです。(笑)

 

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たまにNHKのラジオ第2を聞くのですが、

今年の4月にこのテキストを本屋で見かけたときは

「世の中にはヒマな学者がいるもんだなあ」と思ってしまいました。

(申し訳ありません! 矢野晋吾さん!)

 

ところがあるとき、たまたま放送が聞こえてきたら、むっちゃ面白いではありませんか!

<ニワトリ=「肉」「卵」「白色レグホン」>方程式が、木っ端みじんに破壊されました〜ゆう★

 

まずは上のテキスト表紙、伊藤若冲の絢爛豪華なニワトリをごらんください!

なんと美しい鳥でしょう!

 

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テキストより、ニワトリの先祖と考えられている「セキショクヤケイ」。

鮮やかに輝く赤・黄・青・緑・茶・白!

 

そしてこのテキストでは、バウチャーが言うとおり

 古代ペルシャ民族のひとつ、ツェンダ族の場合、雄鶏は「夜の悪魔を追い払ふと云ふ警戒の象徴として尊重せられ」(『家畜系統史』)警戒心の強い雄鶏に対する崇拝観念は高まり、神聖なものとされ、特に死体置き場に見かけられたという。当時、火と犬と雄鶏がペルシャ人の守り神の偶像だった。

 ローマ人は「この神霊を有った鳥を『鳥占ひ』として過度に尊重した」(同)。誰も責任をとれないような重大な事件の場合には、「鶏の番人」は鶏を使って占いをしたという。(中略)

 このほかにも、アンドリュー・ロウラーは、ゾロアスター教のペルシャ人は「雄鶏は悪霊と魔術師に対峙させるために創造され、「雄鶏が鳴くと、災難の‥‥発生が防がれる」(『ニワトリ 人類を変えた大いなる鳥』)と考えている点を指摘している。

 

これはごく一部の引用ですが、

ニワトリはかつては世界的に「霊鳥」とされていたことが縷々語られるのです。

 

このほか「闘鶏」がその社会の文化にとって大きな位置を占めていたことなども語られます。

ニワトリは「勇敢さ」「強さ」の象徴でもあったのではないでしょうか。

 

* * *

 

今回はこのくらいにしておきますが、

振り返って、上のバウチャーの「クジャク」とされるバルーチ絨毯モチーフ、

しつこいですが、「ニワトリ」である可能性はないんでしょうか?

 

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注目はこの「ケヅメ」の形と、全体像の中での尾羽のバランスです。

2枚のピースのモチーフの足の形や全体のシルエット、

「クジャク」よりも「オンドリ」に似ていると思うんだけどなあ。あ

 

 

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