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2013.06.06 Thursday

商人の品格 広田不孤斎『骨董裏おもて』


日本でペルシャ絨毯の逸品を見たければ白鶴美術館! と言われています。
でも神戸の閑静な住宅街にあるため、なかなか関東から出かける機会がつかめなかったのですが、
今回念願かなって、絨毯好きの仲間と一緒に白鶴美術館を訪れることができました。

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今回はイベント「知と技で知るペルシャ絨毯」の一環として
吉田雄介氏によるレクチャー「イラン遊牧民と織物文化」があり、
せっかくのチャンスなので、絨毯好きで誘いあって白鶴美術館を訪れたのでありました。

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白鶴美術館の本館は風格のある建物と手入れの行き届いたお庭もすばらしい。

本館には書画骨董、新館には絨毯が展示。
さすが「白鶴」という名を冠するだけあって、白い鶴を描いた日本画がたくさんあるなと思っていたら、
春季展のテーマが花や鳥だったのでした。
「四季花鳥図屏風」を一番の見どころとして、鳥や花を描いた展示品が多く、
絨毯も「絨毯を彩る花と鳥」というテーマに沿った展示がされていました。



今回の旅では白鶴美術館のほかに、何軒かの絨毯屋さんを回りましたが、
私が知っているのは基本的に部族絨毯とキリムだけなので、
工房の絨毯をはじめ、私が日頃見られないタイプの絨毯をたくさん見せていただきました。

また関西絨毯界の大御所A氏のお話もお聞きする機会に恵まれ、
なるほど日本絨毯界のメインストリームはこうなんだな、ということがわかり勉強になりました。
(逆に云うと、自分の集めている絨毯が日本ではいかにマイナーな存在であるかも……)
さすがA氏は日本におけるペルシア絨毯販売の第一人者だけあって、
絨毯ビジネスの世界をほとんど知らない私でも、なにか一流商人のオーラのようなものが感じられました。

* * *

今回の旅で、美術館の絨毯を眺め、絨毯やさんをめぐり、一流商人のお話を聞いたことで
骨董をめぐる人間模様を情感豊かにつづった広田不孤斎『骨董裏おもて』を思い出しました。

広田不孤斎氏(1897-1973)は家庭の事情のために12歳から中道具屋の丁稚奉公にはいり、
関東大震災後、西山保氏とともに古美術店「壺中居」を創業、
西山氏の早世や戦争を挟みながら事業を軌道に乗せ、日本古美術界に大きな業績を残された方です。
事業を後継者に譲る一方で、個人のコレクションをすべて国立博物館に寄贈した翌年亡くなりました。

どんな物でも多かれ少なかれそうでしょうが、とりわけ絨毯は「聖と俗」の境界に位置する品物のような気がします。
日本の古美術界のことはほとんど知りませんが、
この『骨董裏おもて』という本はモノをめぐる人間模様をじつに味わい深く描き出しているのです。
仕入先・同業者・得意先……そのいずれにおいても、
社会的地位や立場に関わりなく、ずるい人間、ケチな人間、横柄な人間もいれば、
人情に篤く心温かい人、清廉で潔い人、細心にして大胆な人……さまざまな人がいます。
清濁まじりあう骨董の世界のなかで、しかし広田氏は謙虚に、誠実に、倦まずたゆまず研鑽を積み重ねてこられたのです。

丁稚として苦しい下働きを積み重ねながら、持ち前の真面目さと勉強熱心とで一家をなした氏の文章を読んでいると、
自分の気持ちさえも洗われるような気がします。

「駅の横口に荷車を置いて、車を盗まれまいと車の上に腰をかけて、寒くても駅の構内に入るわけにもゆかず、
チラチラと雪の降る寒い中に震えながら列車の到着するのを首を長くして待っている時など、つくづく小僧奉公の辛さが身にしみました。
北国から着く列車は屋根の上に北国の雪を積んだまま上野に参ります。
その雪をながめると望郷のやるせない心が湧き、この汽車に乗ればなつかしい故郷に帰れるのにと思い、幾度か逃げて帰ろうかと思いました。
しかし母は私が奉公に出ると同時に家をたたみ、埼玉県のある製糸工場に働きに行っていて郷里にはおりません。
その時もしも母が国にいて、奉公がそんなに辛ければ帰って来い、と暖かい手を差しのべたとしたら、
美術商としての今日の私はないわけです」(P.13)

* * *

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壺中居創業当時は、資本がないため高い品が買えず、いったんお客に売ってもすぐに下物に出され、まったく儲からない状態がつづいたようです。
思い切って大阪で一流の池田宗三郎氏の店に行き、「何か安物を見せてくださいませんか」「安物で結構なんですが」と恐縮しながら敷居をまたぐと、
池田氏は「サアお上がりなさい」といって丁重にもてなし、何点か譲ってもらったそうです。

名品を見せるだけで「これは非売品ですから……」ともったいぶった業者がたくさんいたようですが、池田宗三郎氏はこう言い切りました。

「お客さんあっての商売人だすから、私の家では女房子供以外に非売品はおまへん。女房子供は買手もおまへんよってな。
土地でも家屋でも何でも売ります。なんぼ非売品かて、死んであの世までは持って行けるもんやおまへん。
お客さんにせいぜい名品を持たせることだす。いくら力んだかて、自分の方にガラクタが残るように
道具屋というのはできてるのやさかい、それで生活をして、なおその上に非売品をつくるとはチト贅沢すぎます。
それではじめてお客さんの人気というものも得られるというものだす。私は常に思うているのだすが、
死んで財産がどれだけ残るだろうではなく、どれだけ足らぬのかというのが落ちだす。
生きてる間にせいぜい商売をして、自分に扱える名品はできるだけ扱うてみたいのや、それが一番の楽しみだす。
非売品など作る必要は毛頭おまへん。名品を数扱い、お客さんにせいぜいすすめておいて、
見たければお客さんに見せてもらえばそれでよろしゅおます。
お客さんの土蔵にある品は、全部自分のものやと思うて、お客さんと一緒に楽しんだらよろしゅうおます」(PP.291-292)

* * *

「世の中には、時勢が悪いために、
悪人や愚人でも、権威を持ったりもてはやされたれりしているのに、一方有為の人才が埋れているように、
私共の業界でも、詰まらない品が高く売れたり、贋物が真物として跋扈したりしています。
その半面、佳品優品が、見てくれる人がいないので、埋れている場合もあります。
それを発見して、その品の持っている真の価格まで引上げて世の中に出してやるのが、
私共業者の儲けでもあり、伯楽としての務めでもあり、誇りでもありましょう。」(P.46)

「名品の高価なことは当然なことですが、しかし高価な品が全部必ず美しいとは言えず、
有名な品が必ず結構とも申されませんから、今後自分が健康と長寿に恵まれたなら、
今言ったような参考になる品物を集めてみたいと思います。(略)金儲け目当てで造られた贋物ではなく、
後世の人が前代の美術品の美しさに憧れてそれを忠実に模造した物と、この模造の手本となった物とを並べて参考にしたり、
(略)又同時代に造られた品物でも、私の目や心に、姿形や釉上りや文様等を美しいと感じた物と、
反対に醜いと思った物と、両種類を買集め、それを並べて観賞審美の参考にしたり、
又安くても結構面白い物や楽しめる物が見当たれば買集め、これを陳列して、金をかけなくとも
鑑識と審美眼を元に時間をかけて努力さえすれば、こういう物が手に入りますという参考にする……」(P.47)

「骨董=金持ちの道楽」と考えられた時代にあって、「美しいものは特定の人の占有物ではないよ」、
「贋作と模造では、どこかにそれをつくる人間の心が反映される。それをあなたも見つけてごらん」、
と私たちに語りかけているような気がします。

* * *

最後に「好みの違い」という文章からの引用です。

「人はまず己の力の足らざることを謙虚な気持ちで自覚せねばならないと思います。
しかし大抵の場合に、多くの人は自分の見方が絶対正しいと過信しているようです。
その自信は結構ですが、一層深く奥義を究めた相手にとっては、まことに迷惑千万なことです。
自分の好みに合わぬ物はすべて美術的価値は零と考える人をよく見受けますが、これは例えば、
茶器とか、観賞陶磁とか、仏教美術とか、民芸品とか、狭い一部門だけを好きから専門に研究したり
蒐集されたりする方によく見受ける所です。例えば茶器を好まれる方は、侘び寂びの簡素な物を好むために、
手の込んだ美術品や彩色彩釉の派手な物を余り好まず、茶器として使えぬ物は駄目だと思い込み、
芸術価値も市場価値もないかのようにいわれる方があります。
また官芸品を好まれる方の中には、民芸品を下手物で田舎家や台所に使う物で、観賞価値などない物と思っておられる方もあります。
一方民芸品を好む方は、結構な蒔絵物や京焼や有田焼のような派手で手の込んだ彩釉物や、
清朝の三彩五彩を好まず、特に清朝官窯の五彩釉物はあくどいと嫌い、値の高いことも手伝って
反感さえ抱かれる方もあります。(略)
しかし、いずれもその時代時代の文化の結晶として、生れ出たもので、(略)
朝鮮でも中国でも、その国の時代精神や皇帝の好みやその時代の民族の生活や風俗をよく研究した上で、
事実その時代の特徴を最もよく表した器物なら、その製作地や製作年代は何であっても、それはそれなりに良いと思います。
(略)如何なる国の製品でも、時代や民族性等をよく研究して好き嫌いにとらわれず、
愛情をもって見ればその国や時代の美点がよく判り、それぞれに長所のあることが判ってきます。
何でなければならずと決めず、古美術をこだわりなく常に広く新しい心で素直に見ることです」(PP.361-363)

特定の分野にちょっと慣れてくると、うぬぼれの心が生じるのはどの世界でも同じでしょう。
今回の旅で、いろいろ考えたことはありますが、なによりも常に謙虚であらねばならないと思いました。
『骨董裏おもて』は国書刊行会から発行されているので、興味があるかたはぜひ読んでみてください。

コメント
謙虚。
時々,頭を垂れひれ伏すしかないラグに出会いますね。
(我々より遥かに長生きなんだから当然か)
ラグにも人格があると,確かに感じられる瞬間です。
  • April
  • 2013.06.10 Monday 19:41
こんばんは、日本人はレッテルに弱いですからね、その者のクオリティーを観てくれれば。
 ところで、私の知り合いの骨董商が[骨董商は、悪意のない詐欺師だ]と言ってましたが、言いえて妙ですね!?
  有難う御座います。
  また、愉しみにしています。
  • K Ikeuchi
  • 2013.06.10 Monday 19:52
Aprilさま、今回の旅で思ったのは、「スピリットが感じられる絨毯」が自分は好きなんだなあということでした。
どんなに完成されたデザインでどんなに高い技術をもっていても、それが「ルーティーンワーク」に堕してしまったときには絨毯の魅力は半減するし、その逆に下手くそでも思いを込めて織った絨毯には「人格(ラグ格?)」が生まれる……そんな気がするのです。
「謙虚が大事」って言いながら、ゴーマンかましてしまいました。(汗)
  • ぷぎー
  • 2013.06.11 Tuesday 06:26
Ikeuchiさま、骨董もコレクションなさっているのですか?
骨董は贋作と切っても切り離せない世界のようですね。
『骨董裏おもて』では「物を買う前に人を買うべし」として、まず信頼できる骨董商をみつけることが大切だと言っています。
おっしゃるように日本人はブランドが好きですね。でも最近の若い人の中には「自分の目でものを見て判断する人」が増えてきているような気がして、期待しているところです。
こちらこそコメント有難うございます。これからもよろしくお願いします。
  • ぷぎー
  • 2013.06.11 Tuesday 06:38
 骨董は、骨董商が本物だと思えば〔言えば〕本物?
よほど目がないと。
景徳鎮の職人が造った、贋作を日本の学者が真作と鑑定したそうです。
絨毯もイランの知人にサンシャインなどで時代をつけた物に気をつける様教わりました 。
骨董市に行きますとラグ・テキスタイルなどは、分野違いの業者さんが、格安で出しているときが有ります^;^
 ところで、最近の若者は、約束事にとらわれず自分を出している子が多いですね。
服装でも、柄に柄、色の使い方とても新鮮です。
 とりとめもなく、失礼しました。
  • k.Ikeuchi
  • 2013.06.11 Tuesday 18:49
骨董の鑑識は本当に難しいときがあるようですね。上手く出来た贋作と、下手に出来た真作は、しばしば評価が逆になるようです。『骨董裏おもて』でも、魯山人が下手な真作を見て「これが真作であるはずがない」と憤慨するくだりがあります。
骨董市も面白そうですね。時間ができたので、いろいろ行ってみたいです。
  • ぷぎー
  • 2013.06.12 Wednesday 07:14
骨董を、本物か贋作か、で鑑賞するのはまったくもって愚であると私は思っています。

骨董に接するとき、自分の審美眼を信じて、手元において愛でたいか、他人(ひと)様に預けてもかまわないか、この二つしかないのではと思います。(そう、好みと違うと思ってスルーする場合もですが、手が出ないほど高額な場合、美術館に預けてある、と思うことに=調子よすぎ?)

骨董を愛でる「目」とは、知識ではなく、それを美しいと言えるかどうかの審美眼ではないでしょうか。また、作品にしても、素晴らしい作品は子どもにもわかる普遍的な美しさを兼ね備え、贋作はどことなくすねたような、品性を欠くところがあるように思います。

ラグも、そんな感じがします。謙虚な気持ちで、たくさんの「いいもの」を見たいと思いますね。そんななかから、自分の手元に置きたいお気に入りに出会えたら、幸せ! お互い、奥が深いトコに迷い込んでしまいましたね!!

  • April
  • 2013.06.12 Wednesday 22:07
>素晴らしい作品は子どもにもわかる普遍的な美しさを兼ね備え、贋作はどことなくすねたような、品性を欠くところがあるように思います。

本当にそうですね!良い作品には「のびやかさ」や「良い緊張感」があります。「本物」でもそれがないものは駄作だし、○○作ならすべて評価されるような風潮は(ブランド信仰も含めて)無くしていきたいですね。

自分の目でものを見、自分の頭で考える。
それを経て、自分が本当に良いと思えるものをずっと大切にする。
深いところでのMy Favorite Thingsを見つけたいです。
  • ぷぎー
  • 2013.06.13 Thursday 07:53
最近、テレビでプロの歌手とアマチュアがカラオケで競う番組を観ましたが、歌の上手さは、点数でなくその上にあるテクニック、感性だとつくづく感じました。
骨董品、工芸品は、その作品が、如何に仕事をして有るか、その上に意匠があるのでは?
基礎の技術が確りなく意匠先行、また、技術のみ先行の作品が多いかと。
中島氏ではありませんが、〔良い仕事しているね〕の目を持ちたいですね。
 
  • k.Ikeuchi
  • 2013.06.13 Thursday 12:56
そうですね。そして絨毯の場合は織り以前の問題として、艶のある良いウールをしっかり紡ぎ、良い染めがされていることも大切だと思います。
素材・染色・織りの技術・意匠、さらに付け加えるなら「ものづくりのスピリット」、これが揃ってすばらしい染織が生れるのでしょう。
  • ぷぎー
  • 2013.06.13 Thursday 16:08
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