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2014.01.26 Sunday

19世紀末のカーペットブームは何をもたらしたか 2.オリエンタルカーペット

 

イランで活動した「ツィグラー商会」が19世紀末のペルシャ絨毯界に与えた影響は大きかったにしても、地域的にはイラン西部に限定されていた。ところが、トルコの「Oriental Carpet Manufacturer(以下「OCM」と略)」は、「一九一三年には、アナトリア全体で生産される絨毯の四分の三をおさえるまでになり、ウシャクに代わってオスマン帝国の絨毯の生産と流通をほぼ手中にした」(坂本勉『ペルシア絨毯の道』)というから大変なものである。


前回紹介したドナルド・カータルト著『産業革命時代におけるオスマン帝国の製造業』は絹製品や原材料などについても書かれているのだが、とても読み切れない。絨毯関連の章だけ辞書を引き引き読んだのだが、これが下手なテレビドラマなんかよりずっと面白かった。

OCMがトルコ最大の貿易港イズミルに設立されたのは1908年。だが、それに先立つ実態があって、1830年代後半からイズミルを拠点に絨毯の輸出入貿易をおこなってきたSpartali, de Andria, Habib & Polakoの3つの商社を中心に、バンデルマで紡績工場を経営するSykesも加わり、英・仏・伊の6社でトラストを組んだのである。合併の理由は、ウシャックを拠点とするトルコ系ムスリム商人のドンや、イスパルタで絨毯産業を広げようとしたオスマン帝国官僚兼実業家、そしてイスタンブルをトルコ絨毯の輸出拠点にしようとした別のヨーロッパ系実業家たちとの市場争奪戦を制するためだったのではないかとカータルトは示唆している。19世紀末の染色・ウールの糸・デザインの変化については後日紹介するとして、今回は「絨毯製作の普及」の章からOCMがどんな会社だったのかを考えたい。

坂本勉氏によれば、OCMは「新しい絨毯の産地を中心に十七にものぼる直営工場をつくった。またウシャックのような伝統的な産地には全部で十四もの代理店をおきながら、オスマン帝国各地にくまなく流通と生産のネットワークをはりめぐらせていった」という。「代理店」というのはおそらく、村々をラクダや馬で巡りながら、染色された糸と方眼紙を村人に配って絨毯を織らせ、織り上がればそれを回収する「仲買人」みたいなものではないかと想像している。ちなみに仲買の世界はアルメニア人・ギリシア人なども力を持っており、OCMは彼らの多くを傘下に収めていた。

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"Rugs & Carpets" by Andrew Middleton より アルメニア人が織ったカイセリ絨毯

OCMのすごいところは、バンデルマの工場で紡績した糸をイズミルの染色工場で染め、直営工場だけでなく、各地域の仲買人を通じて家庭で絨毯を織る村人に配り、「それ以外は使わせない」やり方で、アナトリアのすみずみまでを掌握していったことだと思う。(色糸を配る以前は、粗悪なアニリン染料の販売もしていたようだ)。紡績で儲け、染色で儲け、織り工程で儲け、港で儲け、卸で儲け、小売りで儲ける。「色糸と方眼紙を配って絨毯を織らせた点ではツィグラー商会も同じではないか」と言えるかもしれないが、掌握した地域の広さや徹底した合理化とコスト削減をおこなった点など、かなりキワドイ会社だったふうに思えるのである。

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同上より 19世紀末当時は「新しい産地」だったシバスの絨毯
ペルシア絨毯からデザインだけでなく、織りも「非対称結び」が使われているとのこと(トルコ絨毯は一般に「対称結び」)


当時のトルコ絨毯(特にヨーロッパにも輸出されるタイプ)の中心的生産地はウシャックで、これに加えてギョルデス・クラ・ベルガマ・ミラスなども伝統的産地であった。ところが19世紀末のカーペットブームでは、1850年代から1913年にかけて生産量が8倍になったというのだから、ウールや染料などの原材料・糸の紡ぎ手・染め手・織り手などすべてが不足し、それへの対応が求められた。絨毯を織る地域も上記のようなアナトリア西部の伝統的産地だけでなく、中央部から東部へと新しい産地が開拓され、特にシバスとイスパルタにおいて絨毯製作が盛んになった。

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"Ottoman manufacturing in the age of the Industrial Revolution" by Donald Quataert
1906年における各絨毯産地の生産高

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坂本勉『ペルシア絨毯の道』より

余談になるが、この地図に載っている「デミルジ」が絨毯の産地になった理由が興味深い。カータルトによれば、1880年に町が大火で壊滅的な被害を受け、およそ2万人が家を失った。生活の糧を求めて数百人がギョルデスに移住し、そこで手にした絨毯製作の技術を故郷に戻って広めた、ということらしい。

 

イスパルタの闘い(「オスマンのお役人、絨毯屋になれず」の巻)

あるオスマン帝国のお役人が1888年にコンヤ近郊のラディックを旅行したとき、紋章を織りこんだセッジャーデサイズの絨毯を注文した。「絨毯、イケるかも」と思ったのか、これをきっかけにひとつ自分の故郷イスパルタで絨毯の商売をはじめようと思い立ち、クルシェヒルからベテランの織り手、フェサネから染め職人などを雇ってみたがどうも上手くいかない。ウシャックに代理人を遣って絨毯製作の秘訣を得ようとしたが、トゥルトール・メフメット氏(絨毯売買により一代で財をなしたウシャック絨毯界のドン)の妨害を受けて挫折。1891年にもう一人の地方官僚と組んで株式会社を立ち上げ、セッジャーデサイズの絨毯をつくってイズミルに送った。すでにイズミルにあった商社を通さずに、直接ロンドンに売りこもうとしたが、販売網の弱さと資本力の不足により上手くいかずに、やがて解散した。

 

シバスの闘い(OCM前身の2社による「商売はこうやるもんやで」の巻)

それまでは周辺で細々と絨毯が織られているにすぎなかったシバスで、1890年に知事が300機の織り機を導入しシバスの町に絨毯産業を興そうとした。シバスの絨毯は当初からトルコ独自のデザインと色づかいではなく、ホラサン絨毯とペルシア絨毯のデザインが採用され、また一般的なトルコ絨毯に比べて二倍の細かい織りであった。1900年、3人のアルメニア人(アメリカで絨毯ビジネスを学んできた若者含む)が会社を立ち上げ、町に20台の織り機(おそらく大型)と80人の織り手を擁する工房をつくった。ここに絨毯を買いつけに来たイズミルの商社マン(おそらくOCM前身のAliotti)は、その色とデザインに満足できず、どうせならシバスに散在する絨毯工房を統合してやろう、売れるデザインを支給し、専門の染め職人を配置してやる、ということにした。言う通りにすれば、絨毯の買い取りを保障してやる、その代わり「必要かつ適切な賃金引き下げ」を呑め、と言ったのだ。その結果、Aliotti Spartali も巻き込んでシバスの主要な工房と1000人の織り手を傘下に収めたのである。これに加えて問屋制家内工業として、周辺の350の村と約1000台の織り機を傘下に置いた。

 

イスタンブルの闘い(「OCMをなめたらいかんぜよ」の巻)

シバスがイズミル商人に押さえられる一方で、イスタンブル商人がコンヤを傘下に収めようとした時期があった。ヨーロッパ出身のKeunという人物(英国人か?)が、1887年にはオスマン銀行の代表として、1897年までにはイギリスの副領事としてコンヤで暮らしていた。その一方で絨毯ビジネスをはじめ、近郊のSilleという村に工房を建てた。イスタンブルの Giustiniani という会社を代理店に、Keunは品質の高い絨毯をつくるネットワークを広げていった。絨毯の質の良さと事業の順調な発展の甲斐あって1900年には知事が、アンティーク絨毯と新しい絨毯を並べて展示する展覧会を行なってくれるまでになった。コンヤに工芸の学校が建てられ、伝統産地であるクルシェヒルの権威も事業を後押ししてくれた。1902年には品質管理システムを確立し、合格した物にデザイン・色・織り技術を保証する、市の標章を彫った鉛の印をつけることにした。1906年には、コンヤ地方で1200台の織り機と5000人の織り手が確保されていった。

カータルトの本ではこれ以降の具体的事実についての記載はないが、「イズミルで独占的な地位を占めていたOCMの前身にとって、上記のコンヤ生産者とイスタンブル商社の成功は脅威であったに違いない」と述べている。OCMの流通販売ネットワークによる業界からの締め出しや価格ダンピングなど、あくまでも推測の域を出ないのでなんとも言えないが、結果として上記コンヤ&イスタンブル組は敗北した。その後、コンヤに残った織り機や織り手はOCMの傘下に入り、1912年、織り機は4000台、織り手は1500020000人にまで膨らんだという。

 (つづく)

コメント
とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!
こんにちは、コメントありがとうございます。
興味をそそられるハンドルネームですね。またぜひ遊びにいらしてください。(^^)
  • ぷぎー
  • 2014.06.06 Friday 17:03
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