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2014.03.14 Friday

超一流のコレクター

わたしは、ものを知らない人間である。
なので、偉そうなことをいう資格はないと思っているが
それでも「超一流のコレクター」というのはたぶんこんな人かな、という本を見つけた。

ヨーロッパのアンティークカップ・コレクターの和田泰志氏である。
前回の記事で引き合いに出した『アンティーク・カップ&ソウサー』という本は図書館で借りたのだが、
コレクションの質の高さと、やや辛口の説明文に表れる見識の高さに敬服し、
実業之日本社から出ている『ヨーロッパ アンティーク・カップ銘鑑』という本を購入した。

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私は陶磁器の素人だし、これから集めようという気持ちもないし、
掲載されているコレクションも立派すぎて、「敬してこれを遠ざく」というほかはない。
ただただコレクションの質の高さと、幅広い教養に裏打ちされた説明文に脱帽するのみである。
「序章 磁器の黎明」から始まって、「絵付け」「形状」「文様」「装飾」……と系統だった的確な分析がつづくが、
一番興味深く、また爆笑したのが「第七章コレクターズ・ガイド」である。

「1.コレクションの要件」として、氏はつぎの5つを挙げている。
‖腓さが適当でばらつきが少ないこと。あまり大きなものは保有が難しい。(絨毯はアウトだ!)
▲丱螢─璽轡腑鵑豊富であること。探せば探すほど初めて見るものが出てくるような奥の深さ。(絨毯はセーフだ!)
E玄─Υ嫋泙亡えること。飾って楽しく、見て楽しいものがよい。(OKだけど展示は大変……)
だ源困了期と量が限定されており、現在は作られていないか、現行の類似品とは違うこと。(古い絨毯はセーフ!)
ツ拘に品質を保持できること。(湿気と虫害に気を配ればある程度は大丈夫だと思う)
さらに付け加えれば、集めた物それぞれに妥当な評価額が付き、売り買いに参加できる市場機構が整っていることが理想、
とのことだが、日本ではアンティーク絨毯を正当に評価してくれる市場はない。

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この後、コレクションの構成法やコレクションの仕方など、分野は違っても大変参考になる指南がつづくが、
「8.コレクションの問題点」は、「よくぞ言ってくれました!」と共感を抱く内容である。

「‖膩歃僂半芸術」はフムフム、と襟を正して読んだのだが、「▲罅璽供爾肇灰譽ター」は身に沁みる。
「カップを使う目的で買う人をユーザーといい、集める、飾るを目的として買う人をコレクターという」。
「大抵の人はユーザーでもありコレクターでもある中間的存在だ」けれど、ユーザーとコレクターの間には暗黙の対立があり、
「あんな人のところへお嫁に行ったら、もう二度と使ってもらえず、しまい込まれてしまって、道具がかわいそうだ」
というユーザーに対し、コレクターは
「価値あるものを毎日使っていたら、金彩などは剥げてきて現状はどんどん悪くなり、早晩割れてしまう。文化破壊だ」と反論する。

この部分はアンティーク絨毯やキリムの場合も当てはまるだろう。
だが私が敬服するのは、その後につづく文章にみられる氏の価値観だ。

「『お茶を飲むために大事にしている』のと『アンティークカップだから大事にしなければならない』
と思って大切にしているのとでは、大事にするという結果が同じでも、道徳観念の純粋さが違う。
なぜならば、前者は『古いものを大事にする』というせっかくの徳目を、茶を飲むための手段にしているからだ。
物事は、それを道具・手段にするよりも、目的として考えた方が自分の成長にとってプラスである」

最後の文にピンとこない人もいると思うけれど、わたしはここにグッときた。
この後の「贋作の存在」「雑誌・テレビの功罪」「スージー・クーパーはアンティークではない」などもワクワクして読んだ。
言うべきことは言いながら、しかも品性を失わない紳士でありつつ、でもチョッピリ辛口、というのがスバラシイ。

「9.アンティーク・コレクションの役割」はシニカルかつユーモラスで大爆笑&大反省!
かなり長いが、割愛できる箇所がない完璧な文章なので、あえて全文を引用させていただく。

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「アンティーク・コレクションを、『失われつつある精神文化を取り戻す』とか、
『手作りのよき時代を偲ぶ製品を使って、生活に潤いを持たせる』などという言辞で表現するのは陳腐すぎる。
アンティークだけに限らず、“コレクション”という行為自体に普遍的な目的解釈を加えなければ、
人生に付属する人間的行為の形成要素としての存続が危うくなる。
モノを集めるというのは、自己表現体を形成することだといえる。

人間は自らの属性のある一部の位相を、言葉や絵や音楽に託して表現するが、これがモノ集めを手段としても可能なのである。
ある程度まとまった数のモノを系統だって収集することにより、それに自分の本質が反映されるからだ。
たとえば、同じ資金力を持った二人の人間が、同じ年月をかけて同じ店でアンティーク・カップを買い集めるとする。
するとカップの数が増えてゆくにつれ、二人のそれぞれのコレクションには明らかな差が見えてくる。
同じ金額を費やしても、その人毎の感性によって、できあがるコレクションは千差万別となる。
だからアンティーク・カップ・コレクションも、10個、20個の段階では、単なるアンティーク・ファンであるに過ぎない。
何百何千個と収集することにより、自分を表現するはっきりした世界ができあがるのだ。
しかしながら、自分の趣向にあったモノだけに囲まれ、
苦言も呈さず反駁もしない愛玩物との対話にのみ埋没すれば、
対人関係に深く傷つくこともないかわりに、閉じられた個の寂寞たる意識ばかりが伸長する。

これが現代人の要求に合致し、また世間の人も、何かのコレクターだと聞くと、
このような隔絶された世界の住人なのではないかと考える風潮があるならば、
個人の収集行為には未来に向けての展望はない。
”コレクション”が肯定され、その披露が普遍的な評価を得て、次代に向けての文化的道標となるためには、
コレクション対象物の選別もさりながら、コレクター自身の性格に、バランス感覚のとれた社会性が求められてくる。
偏らない人格と、良識を備えた社会性があってはじめて、
その性向の表出たるコレクションは万人に受け入れられ、価値あるものとなる


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赤字部分は私が特に秀逸だと思った箇所で「しかしながら……」は大爆笑してしまった。
知りあって間もない人に「私はネクラでヒッキーで……」と自己紹介すると驚かれることが多いのだが、本当なのだ。
いやはや、和田センセイは私のような「モノ集め人間」たちのことを見抜いておられる、というわけだ。

あまりモノを集めたことのない人にとってはピンとこない文章かもしれないが、
和田泰志氏の「コレクション論」は、これまで私が読んだなかで最も鋭く深い内容を持っている。
陶磁器に限らず、何かを集めておられる方にとって、大変意義ある本だと思う。
 
コメント
今回も大変に興味深い本の紹介ありがとうございます。それにてもいつも目からうろこの書籍を見つけてこられますね。

和田泰志氏のコレクターの定義?、特に赤字の部分はまさしくです。
和田氏のコレクション論もさることながら、今回紹介されている3枚のバルーチラグの見れば見るほど素晴らしい!!!
良識とバランス感覚のとれた出来栄えも見事!!!
またそれを見極めたコレクターズスピリットも・・・。
  • tribesakaki
  • 2014.03.16 Sunday 18:06
和田さんの存在を知ることができてラッキーでした。最初、図書館で借りたのですが、文章の中身がとても濃くて「こんなコレクターが日本にいるんだ!」と衝撃でした。

バルーチの3枚はぜんぶ「対称結び」なので、バルーチタイプの中でも同じグループの可能性があります。こうして3枚並べると、1枚だけのときとは違って、お互いが響きあう感じがします。こういう点が「複数持つ」面白さかもしれませんね。お褒めいただいてうれしいです。(*^_^*)
  • ぷぎー
  • 2014.03.17 Monday 07:32
絨毯に限りませんが、何点かを同時に比較する事で見えてくる事がありますね。
今回も似ているが非なる3枚を並べた事で違った世界が広がった感じがしました。
3枚とも『対象結び』となるとバルーチ族の中でも最も絨毯織りがうまいと称される『The Bahluri』かもしれませんね。ドフタレ・カジィの部族です。特に真ん中のバルーチとは思えない飛びぬけたセンスには驚きです。
同時にこれを選ばれた心眼にも敬服します。
  • Tatsuaki Sakaki
  • 2014.03.17 Monday 22:49
真ん中の絨毯、じつは届いたとき「失敗した〜!」と思っていたんですよ。写真では分らなかったんですが、赤が最初期のアニリン染料みたいで糸の表面が褪色しています。裏の一部にボンドのようなものがついていますし……

ところがこうして3枚並べて写真を撮ってみると、不思議なハーモニーが醸し出されるし、特にまん中の絨毯の配色センスと曲線が優れていることに気がつきました。文様が浮き上がって、絨毯が何かメッセージを送っているようにも思えてきます。

「今年は文様をやる」とか言いながら全然できていませんが、この手のバルーチ・デザインは商業用絨毯の影響を受けていないような感じがします。

この文様はどこから来たのか?――解明できる手がかりも少ない、でも知りたい!というジレンマで悩ましい「絨毯学」でアリマス。(>_<)
  • ぷぎー
  • 2014.03.18 Tuesday 05:53
和田です。
書籍をおとりあげいただきありがとうございました。
黒い本の出版から十八年を経ましたが、いまだ四十路を右往左往しています。
この本は私の手持ちのコレクションの中から3点ずつの類似品比較で作品を選んでいます。
八年前の青い本では、西洋陶磁器のデザインは、コピー・模造と切り離せないこと、二元的対立と分離から長く逃れられなかったことをテーマとし、本の中の全採録作品について、どこかに対比されるべき鏡が隠されています。
そしてHPを構成する主眼は、手持ちのコレクションを通じて、人生の哀しみと人間の苦悩を述べることに統一しています。長文ですし、安直な読み物ではありませんが、お手すきの折にお立ち寄りください。
HPの作品は書籍未掲載品です。今年の更新は延々と風景画が続きます。お楽しみいただければ幸いです。
吟味と位置づけに一頭地を抜いた絨毯を拝見いたしました。
今後も蒐集の拡充を期待しております。
じぇじぇじぇ〜!
「あまちゃん」ブームを横目でみていたのに、思わず口を突いて出てしまいました。
コメントありがとうございます!
50代半ばにして気分はアドレッセンス中葉女子なので、ファンレターを書いたアイドルからお返事をもらった気分です。

またホームページをご紹介くださり、ありがとうございます。
http://www.antiquecup.com/index.html
2冊のご著書とHPのテーマへの理解は、現在の私の能力では遠く及ばないと思いますが、すぐれた著作というものはどんなレベルの者にもなんらかの形で良い影響を与えてくれると思っています。
「人生の哀しみと人間の苦悩」――これも私のような凡人には到達できない境地ですが、「ものがよく見える」「見えすぎる」ことは必ずしも“幸福”ではないのかもしれないとも思いました。けれど悲しみと苦悩の先、口もとにほほ笑みを浮かべることができればいいな、その手もとにMy Favorite Thingsがあればいいな、と思います。

黒い本、私の友達も「読んでみたい」と購入したようです。ご説明くださったテーマが実感できるようになれるかどうか自信がありませんが、私も青い本とHPをじっくり拝読したいと思います。

ありがとうございました。
  • ぷぎー
  • 2014.03.19 Wednesday 08:11
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