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2016.05.26 Thursday

ヘラティ文様について 4


前回はヘラティ文様がファラハン・パターンとも呼ばれ、
19世紀末にヘラティ文様のファラハン絨毯が西洋で人気を博したことなどを書きました。

そもそもサファヴィー朝の北東部の都市ヘラートで生まれたデザインが、
はるか遠く西部のファラハン平原へ伝播した理由はなんだったんでしょうか?

いくつかの絨毯本によると、
18世紀初め、ヘラートがアフガン人の手に落ちたため、ナーディル・シャーが
ヘラート周辺で絨毯製作に関わっていた人びとをファラハンに移動させたため、と説明されています。

IMG_3105.jpg

P.R.J.FORD "ORIENTAL CARPET DESIGN" より
ロンドンのヴィクトリア&アルバート・ミュージアム所蔵のヘラート絨毯(18世紀)

「同美術館には、これとほぼ同一のデザインの絨毯が所蔵されており、そのピースは
ファラハン絨毯に特徴的な「トルコ結びでシングル・ウェフト」の織り構造」と説明されています。

ヘラート周辺の絨毯職人がフェラハンへ移動して同じような絨毯を織ったのか、
それともヘラート絨毯をお手本にして、ヘラートとは別の職人が織ったのかは判りませんが、
ヘラートとフェラハンとは何らかの関係性がある、ということだけは言えるでしょう。

* * *

さて19世紀以降、ヘラティ文様の絨毯が織られてきたのはファラハンとセネだけではありません。
ペルシャ西部と北西部を中心に、非常に多くの産地で織られました。
それはおそらく西洋でヘラティ文様の絨毯が好まれ、それだけの需要があったからだと思われます。

IMG_3140.jpg

アンティーク・コレクターズ・クラブ発行"PERSIAN"by Erich Aschenbrenner よりペルシャ全域図

この地図でいうと、WEST PERSIA 〜 AZERBAIJAN にヘラティ文様の絨毯の産地が集中しています。

IMG_3132.jpg

さらに詳細な地図を見てみましょう。
"ORIENTAL CARPET DESIGN" よりペルシャ西部の地図

IMG_3139.JPG

同書よりアゼルバイジャンの地図

黄色いマーカーを引いたのが「ヘラティ文様の絨毯産地」です。
あくまでもこの本に絨毯のサンプルが載っている地名を拾っただけなので、実際にはもっと多いと思います。

産地によって織り構造などそれぞれ特徴はありますが、
ヘラティ文様の絨毯の産地を大きく分けてみました。
 
1. クルド人が多いエリア : セネ〜ビジャー
2. ファラハン平原周辺 : ハマダン〜マライエール〜サルーク
3. アゼルバイジャン : タブリーズ〜アルデビル
4. その他の点在する産地 : クム、ベラミン、ヤスドなど

* * *

"ORIENTAL CARPET DESIGN" では、絨毯産地を判別する基準として、次のような点をあげています。

シングルウェフトかダブルウェフトか?
対称結び(トルコ結び・ギョルデスノット)か非対称結び(ペルシャ結び・セネノット)か?
全体の色調(ベースカラー&文様の色)
ヘラティ文様の形状(フローラル的、幾何学模様的、曲線と直線の使い方など)
メダリオンの有無や形状など全体の構図、バランス
経糸と緯糸の色や太さ(ピンク色や青色の緯糸などもある)
どんな絨毯のサイズ(ケッレ、ドザール、ポシティなど)がメインに織られているか?

このような観点を総合しながら、どの産地で織られたものかを判別していく、としています。

* * *

同書掲載の絨毯のサンプルを見ていきましょう。

なお産地の後の「S」「W」は「シングル・ウェフテッド」「ダブル・ウェフテッド」の略で、
「デプレスのない織り」「デプレスの効いた織り」のことです。(明記されているものだけ記載)

また、(  )内は、トルコ結びorペルシャ結び・1平米当たりのノット数で、
たとえば「TK90000」ならトルコ結びで平米のノット数9万、「PK370000」ならペルシャ結びでノット数37万ということ。

1.クルド人が多いエリア
ほとんどが「対称結び(トルコ結び)」


IMG_3106.jpg

写真左から Senjabi(TK90000) S    Bijar(TK85000) W   Hashtrud(TK106000)
Hashtrud はアゼルバイジャンに近い場所のため、アゼルバイジャンの文様の影響がみられます。(四分割の丸い花など)


IMG_3107.jpg

左から Bijar(TK230000) W    Afshar Bijar(TK270000)

ビジャー産が二枚出てきましたが、ノット数が上は8万5千、下は23万と、大きく違いますね。
どちらもデプレスの効いた織りですが、上は村の絨毯、下は専門的機材を揃えた工房のものかもしれません。

著者は下の左側を「クルド族の絨毯の中で最も細かく出来栄えの良い絨毯のひとつ」で
「フローラル・デザインというより幾何学的な印象が強いのがクルドエリアの特徴だ」と説明しています。
(たしかに、この記事の最初に挙げたヘラート絨毯のフローラルな雰囲気とはずいぶん違いますね)

右側は、18世紀にナディール・シャーの移動命令を逃れてこの地に残ったアフシャール族の末裔が織った絨毯。
左のビジャーよりさらに目が細かいですが、よく見るとメダリオンのエッジが左右対称でなかったりします。

IMG_3113.jpg

左から Gogarjin(TK202000)W   Kolyai(TK141000)S

この二枚もクルディスタンエリアのもの。コリアイの絨毯はかなりトライバルっぽいですね。

IMG_3112.jpg

やっと出てきました Senneh(TK170000) S

「セネ結び」は「非対称結び」の別名になっていますが、実際のセネ絨毯は「対称結び」です。

アンティークのセネ絨毯は、目も細かくエレガントな印象なのに、これはどちらかというと牧歌的。
(「ヘラティ文様について 3」の最後に引用したセネと比べてみてくださいネ)
このピースのヘラティ文様は菱形から六角形に変わり、ほとんど「アニメキャラクター」!

この違いはどうして生まれたんでしょうか。

ひとつの可能性としては、引用したアンティークのセネは専門的な工房で織られたもので、
こちらのセネは村の家庭で織られたもの、という違いとみることもできますし、
さらには、産地や工房の栄枯盛衰、といった点も考える必要があるでしょう。

上に挙げた絨毯産地でヘラティ文様の絨毯が織られたのは、19世紀から20世紀中頃までがピークであり、
今はもう絨毯が織られていない産地もあると思います。くすん。

2. ファラハン平原周辺(ハマダン〜マライエール〜サルーク)
サルークタイプが非対称結び、それ以外はほとんど対称結び


IMG_3143.jpg

左から Malayir(TK115000)S Lilihan(TK109000) S  

ちなみにリリハン周辺はアルメニア人が多く住む地域で、糸質の良さと丈夫さで有名。

絨毯の本を読んでいると、
「時の支配者が政策のために特定の遊牧民やエスニック集団を強制的に移住させた」といった内容がよく出てきますが、
リリハンも17世紀初めにシャー・アッバス一世によって移住させられたアルメニア人の村です。

IMG_3142.jpg

左から  Enjilas(TK185000)    Everu(TK120000)

左のエンジラスはハマダン周辺で最高の品質を誇る絨毯産地で、
デザイン、色調、素材、織り技術のどれをとっても一流とのこと。
右のエヴァルは、エンジラス・スタイルをコピーして大量生産したものの一枚ですが、
「すべての点でエンジラスに劣るが、なんといってもキツイ赤、どんよりした紺、化学染料の緑色がヒドイ」そうです。
写真じゃよくわかりませんけどね〜。

IMG_3109.jpg

これまでの絨毯はすべて「対称結び」でしたが、サルーク周辺は「非対称結び」が多いようです。
左から Viss(PK84000)   Ghiassabad(PK370000)
(「ビス」は「マハール」とも呼ばれます)

著者によると、「サルーク」は本来ファラハン・エリアのはずれにある村の名前だったのが、
アラーク周辺で織られる絨毯の総称として使われるようになった、とのこと。

(トルクメン絨毯が「ブハラ絨毯」と呼ばれたり、バルカンキリムがおしなべて「シャルキョイ」と呼ばれたり、
ラグの世界では曖昧な呼び方がよくあるので、「サルーク」もそれに近いのかもしれません)

IMG_3110.jpg

上段 Mashayekhi(PK386000)   下段左から Ghiassabad(PK340000)   Bulgaria(PK250000)

この「Mashayekhi」という産地は、上の地図に地名が見当たりません。
私の貧弱な英語力では本の内容を正確に把握した自信がないのですが、
アラークを拠点として絨毯工場を構えていた”サルーク絨毯”のブランドのようです。

「Mashayekhi」絨毯のコピーがブルガリアやインドでも織られていたというから、結構な勢いだったんでしょう。
下段右側がブルガリアで織られた絨毯です。

3. アゼルバイジャン
「対称結び」

アゼルバイジャンでもヘラティ文様の絨毯が織られたのは、
その「Mashayekhi」がサラブとタブリーズにも工場を建てたことと関係があるようです。

ところが面白いことに、アゼルバイジャンの絨毯は「非対称結び」ではなく「対称結び」なんですね〜。
これは「色とデザインだけをコピーして、織りの技法は地元のやり方を採用した」ということでしょうか?

IMG_3136.jpg

左から Ardebil(TK188000)   Tabriz(TK250000)

4. その他の点在する産地(中部)
多くが「非対称結び」


IMG_3138.jpg

左から Birjand(PK300000)   Qum(PK510000)

この二枚には特徴的な形のメダリオンが使われています。
ビルジャンドはウールですが、クムはオールシルク。さすがに細かいですね。

IMG_3137.jpg

左から Veramin(PK325000)   Yezd(PK158000)

ベラミンのヘラティ文様はかなりユニークですね。(好きかも‥時々ウインクペコちゃん

* * *

このようにヘラティ文様の絨毯は、ペルシャのかなり広範囲な地域で織られていました。

仮に私がヘラティ文様の絨毯に出会った場合、
やはり全体のデザインの印象から産地を思い浮かべると思います。

でも、今回取り上げたさまざまな産地の絨毯を見て、自分にその違いがわかるとはとうてい思えません。
「絨毯ってホントに奥が深い〜!」

(つづく)

 
コメント
今回もたくさんのヘラティ絨毯を拝見出来て堪能しました。また数回にわたりヘラティ文様の詳細な調査と研究には頭がさがります。
個人的にもホラサーン地方(ネーミングの由来であるヘラートのある)のデザインが2000kmも離れたイラン西部のハマダンやさらに遠い北西部のタブリーズなどにどうしてもたらされたのか興味深いです。
2007年のICOCのアカデミックセッションで、レバノンのベイルートで大絨毯商を営むMaktabi一族の息子Hadi Maktabi氏(オックスフォード大のJ.thompson氏の教え子)が『After the Safavids: Khorasan Carpets of the 18th and 19th Centuries』というテーマでサファビ朝後のいわゆる「絨毯不毛の時代」にホラサンーン地方のQayen村周辺で品質の高い『ヘラティデザイン』の絨毯が織られていた時代があると発表していました。
先日あったペルシア絨毯の講演でも、イランの商人達が19世紀末に絹の輸出産業が繭の病気で大打撃を受け、欧州への絨毯への輸出事業を本格的にスタートしたと言っていました。ヨーロッパへの窓口となるタブリーズの絨毯商人達の活躍が見られる時代です。古くから絨毯産地であるハマダン周辺との関連も興味深いですね。
先日書かれていた、JT氏の分類でもあるトライバルラグ~村の絨毯~都市工房の絨毯から掘り下げるのも面白そうですね。
引き続き楽しみにしております。
  • tribesakaki
  • 2016.06.01 Wednesday 17:09
4回目になると「完全オタク領域化」してしまい、一体誰が読んでくれるんだろう的展開になっておりますところ、暖かいコメントありがたいです〜。m(_ _)m

言われてみれば、ヘラティ文様の絨毯がペルシャ西部に集中して織られたというのは、やはりタブリーズ商人と関係が深いかもしれませんね。

お話の「絨毯不毛の時代のホラサン地方絨毯」をぜひ見たいです。結局、連花葉文がヘラティ文様に変化する過程や、ヘラティ文様がファラハンへ伝播する過程に、なお不明な点があるのも、途中の資料が欠落しているためでしょう。

今回やったのはコピペのような単純な作業でしたが、同じ産地でも工房と村の絨毯では大きな違いがあったり、ブランド化された絨毯がたどる運命とか、面白かったです。自己満足ですが…(^◇^;)

もう一回でヘラティは一旦お終いにするつもりですが、文様はこれからも考えていきたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。
  • ぷぎー
  • 2016.06.01 Wednesday 17:54
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