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2016.06.07 Tuesday

ヘラティ文様について 5


ヘラティ文様について、これまでの内容を簡単にまとめました。

1. ヘラティ文様の基本形は、菱形に配置された4枚の葉に花があしらわれている。
マヒ(魚)文様とも呼ばれている。

2. サファヴィー朝ペルシアの北東部の中核都市であったヘラートにちなんで命名された。
当時ヘラートは絨毯の集散地で、主にホラサン地方で織られた絨毯が取引されていた。

3. ヘラティ文様のルーツは16世紀の絨毯に見られる連花葉文様や花瓶文様にある。

4. 18世紀初めヘラートがアフガン人に占領されたため、ナーディル・シャーが絨毯職人を西部に移動させ、
ファラハン周辺でヘラティ文様の絨毯が織られた。

5. ファラハン絨毯は欧米で名声を博し、ヘラティ文様はファラハン・パターンとも呼ばれるようになった。

6. 19世紀末以降、ペルシャ西部から北西部を中心に非常に多くの絨毯産地で織られるようになった。
織りの技法の多様化(トルコ結び&ペルシャ結び、デプレスの有無)
文様自体の変化・ヴァリエーション(フローラルな印象〜幾何学文様に近いものなど)

 
これはあくまでもP.R.J.FORD氏など複数の論者の有力とみられる説であり、
特に3と4などは、はっきりと証明されたものではありませんが
ヘラティ文様について、私たちのおおよその理解を助けてくれると思います。

* * *

さて、ヘラティ文様の変遷を自分なりに辿ってくると、
「宮廷絨毯ー工房の絨毯ー村の絨毯」の関連性に興味が出てきました。

「宮廷絨毯」とは、宮廷用・大モスク用・外交のための贈答品として織られた絨毯。
いわゆる「ペルシア絨毯」が大量に織られるようになるのは、19世紀末に欧米へ輸出されるようになってからで、
それまでは一部の例外を除き、絨毯は特別な階層のためのものでした。



たとえば16世紀に東〜南東ペルシアで織られたとされるこの絨毯は、宮廷絨毯だと思います。

イスラム世界において工芸は、宮廷の威信を示すため、非常に地位の高いものであり、
なかでもサファヴィー王朝は、羊の飼育や染色植物の栽培の管理までを徹底して行い、
一流のデザイナーや細密画家、彩飾師が描いた下絵を、最高の技術を持った織り職人に織らせました。

絨毯の下絵は、ギリシア数学を用いた複雑な幾何学的作図技術や、写本芸術の影響だけでなく、
大モスクなど当時の最先端技術を駆使した建築芸術などのなかで培われたものです。

IMG_3188.JPG

桝屋友子著『イスラームの美術』(東京美術2009年)より
イラン14世紀後半ジャラーイル朝絵画

ムハンマドが座っている絨毯は、比較的複雑な文様ですが下絵がなくても織ることができそうです。
 
IMG_3163.jpg

前掲書より 大画家ビフザードがティムール朝スルタンのために描いた写本
ヘラート 1488~89年製作

この時代、ヘラートでは建築装飾がここまで発展していたことがわかります。
また「写本」自体も、計算された構図の下絵を描いてから本作を描いたとされています。

IMG_3165.jpg

一部を拡大。逃げる男性の足元にあるのは絨毯のようです。
先ほどのムハンマドの下の絨毯よりさらに複雑な文様で、
このような絨毯を織るには「精密な下絵」が必要になってくると思われます。


この絵を見て、わたくしは考えますた。kyuき

ひとつは、15世紀末には絨毯製作において精密な下絵が描かれるようになっていたのではないか、ということ。

もうひとつは、当時「ヘラティ文様」という言葉が持っていた響きについて。
15世紀末、ヘラートはティムール朝の首都であり、イスラム世界でもとびきりの栄華を誇っていました。
ヘラートには当時「最高の建築技術、最高の写本芸術、最高の絨毯製作技術」があり、
のちに生まれる「ヘラティ文様」という言葉には、いまの私たちが感じるのとはまったく違う、
「大都市の、光り輝く栄華に満ちた、洗練された雅びな文化」という響きを持っていたのではないでせうか?

実際のところ、16世紀に織られた連花葉文様や花瓶文様の宮廷絨毯と、
「菱形に簡略化されたヘラティ文様」とが、直接つながっているかどうかはわかりません。

ただ18世紀か19世紀かわかりませんが、ペルシア西部のファラハン地方に「ヘラティ文様」が伝播したとき、
少し前の日本人が、「パリ」や「二ューヨーク」のデザインよ〜♪ ともてはやした感覚と、
どこか似たところはなかったのかな〜? なんて考えたのでアリマシタ。

* * *

さてさて、「あの大都市の」というイメージを抱かせる「ヘラティ文様」がペルシャ西部に広まっていったとき、
ある程度近代的な設備が整った工房では、このような方眼紙を使った下絵が作図され、
織り手はその下絵に忠実に絨毯を織っていきました。

IMG_3185.jpg

IMG_3186.jpg

"Orental rugs in colour" by PREBEN LIEEBETRAU より

絨毯研究家のジョン・トンプソン氏がカテゴライズした
「宮廷絨毯・(都市)工房の絨毯・村の絨毯・部族絨毯」でいうと、これは主に「工房の絨毯」の手法です。


P.R.J.FORD氏の本から ビジャーの工房の絨毯(再掲)

これだけ複雑な文様は、精密な下絵なしでは織ることができないでしょう。
全体のバランスが見事に取れています。


ビジャーの村の絨毯(再掲)

これはたぶん「ワギレ(織り見本)」を見ながら織ったのではないでしょうか?
同じビジャーで織られた絨毯ですが、文様や絨毯の形が歪んでいるなどアバウトな感じで、上の絨毯とはずいぶん違います。

IMG_3108.jpg

この3枚も、ビジャーの村人が織ったと思われるヘラティ文様の絨毯です。
それほどひどく歪んではいませんが、じっと見ていると左右均等ではなかったりします。

IMG_3182.jpg

これはビジャーではなく、アバデ(カシュガイ族が定住している町の名前)の「ワギレ(織り見本)」です。
織り手はこれを見て色糸の数を数えながら、見よう見まねで織り進めていきます。

方眼紙による下絵は、まず絨毯の全体像をきちんと設定したうえで、全体を分割して下絵が作られます。
織り手は下絵に忠実に織っていけば、織りあがったときも全体がほぼ整った図になります。

ところが「ワギレ」は、部分的な文様だけで、絨毯の全体像はありませんから、
織り手は、すでに頭で諳んじている文様や、ワギレの文様などを自由に組み合わせながら織っていきます。
そういう意味では、世界にたった一枚の絨毯しかできません。

(一方、方眼紙の下絵を使った絨毯は同じ絨毯が複数枚できあがるんですね)

IMG_3181.jpg

同書よりカシュガイ族の絨毯。
上のようなワギレを見ながら織った絨毯だと思われます。
それなりに整った絨毯ですが、細かく見ていくとややアバウトなところもありますね。

ただ、どうでしょう?
個人的な好みかもしれませんが、人の手の温もりが感じられるというか、リラックスできるというか、
精密な下絵を使わない絨毯には、それなりの良さがあると思いませんか?

(つづく)
 
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