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2016.06.18 Saturday

ヘラティ文様について 6


P.R.J.FORD氏による "ORIENTAL CARPET DESGIN"は、

比較的新しい絨毯のサンプルが多く、アンティーク絨毯の掲載が少な目なので、

じつはこれまであまりページを開くことがありませんでしたが、

ヘラティ文様をきっかけに部分的に読みはじめたところ、なかなか面白いんですね、これが。


16世紀から17世紀にかけて絨毯の黄金期を築いたサファヴィー朝は徐々に衰退をはじめ、

18世紀は「絨毯不毛の時代」だと一般的に言われています。



この本に引用された、Grote Hasenbalg氏の文章が示唆的です。



「サファヴィー朝の宮廷工芸の衰退は、じつは1722年のアフガン人侵攻以前からはじまっていた。

衰退の理由として、職人たちが初期の芸術的コンセプトを理解しなくなったことが言われるが、

それは副次的な問題でしかない。



金に糸目をつけない豊かな財政に支えられた、高いテクニカルスキルや最高級の素材にのみ依拠した

芸術に付随する危険性について、私はこれまでも指摘してきた。

オリエントの専制の一つの表れであるペルシャ芸術は、

極限のゴージャスさと極めて精巧なテクニックによって、

統治者の権勢と壮麗さを表現するものだった。

しかし財政が頂点を極めた後は、かつての工芸の水準を保つ術がなくなり、単純化への道が不可避となる。

作品を注文しても、凝った仕事をするだけの費用がまかなえないケースがしばしば起こる。



これに比べ、17世紀のオランダ絵画の黄金期は、

スペインからの独立を巡ってオランダの財政がしばしば危機に瀕することがあっても、

レンブラントをはじめとする傑作の数々を生み出すことができた。

必要なのは、絵の具とキャンバスと、そして画家の才能だったからである。



財政的基盤の変化は、大都市の工芸美術を滅ぼすことがある。

しかし民衆の芸術は、そんなこととは無関係で、

美術の黄金期の一翼を担うこともなければ、黄金期の崩壊による影響も少なくて済む。

民衆芸術は、アイデンティティーとオリジナリティーを保ち、

文化としてのゆるがぬ地位を守るのである」



正確な訳ではないけれど、大体こういった意味のことが書かれています。




* * *



さて最後に、ヘラティ文様と部族絨毯との関わりはどうなのよ? という問題。


フォード氏は以下の様に考えています。



「近年のホラサン地方から出てくる部族絨毯(トルクメン、バルーチ、クルド)を見ると、

かつてのトルクメン・ギュルのパターンから、ヘラティ文様への逆行が見られる。

だが、それはむしろデザイナーによる精巧なデザインのヘラティ文様としてではなく、

ヘラート周辺で昔から見られた部族絨毯の(菱形が印象的な)デザインとして受け入れられたのではないだろうか」



そういえば、ホラサン地方の比較的古いバルーチやクルド族の絨毯に、トルクメン・ギュルをコピーしたデザインがありました。

たとえばこの記事の最初の絨毯など。


でも近年のものでは、それよりもむしろ菱形デザインが多くなったようです。



IMG_3217.jpg




左はサルーク・トルクメン、左はヨムート・トルクメンのもの。

これはヘラティ・パターンというより、古くからあったトルクメンのギュルです。



IMG_3216.jpg




左上はアフガニスタンに住む「ベシリ・トルクメン」の絨毯。

(注:「ベシール」という呼称は、もともとアムダリア川沿いの小さな村の名前ですが、

19世紀頃にはアムダリア流域で織られる様々なタイプの絨毯群の総称として使われるようになり、

さらに時代が下り、かつてベシール絨毯を織っていたグループの一つが「ベシリ・トルクメン」と呼ばれるようになった、

というのが私の現在の認識です)



右上はホラサン地方で織られるバルーチタイプ、

左下はマシャドからヘラートにかけて住むバルーチのもの、

右下はバルーチ・エリアの中心部に当たるDorukhshという町の工房の絨毯



* * *




ここで、Dorukhsh という聞きなれない産地が出てきましたが、

A. Cecil Edwards という20世紀前半に活躍した絨毯ディーラーは、

「ヘラティ文様は、Qain - Durukhsh - Birjand を結ぶ地域で生まれた」と考えていました。



IMG_3215.jpg




三つの町とヘラートとの位置関係を黄色のマーカーで示しました。

3つの町はホラサン地方の南に位置しています。

ちなみに、オレンジのマーカーはバルーチ系グループ、ピンクのマーカーがトルクメンのグループです。



さて、ヘラティ文様の起源についてはまだまだ謎も多いのですが、

私の力ではここまで追うのがやっと‥です。Docomo_kao8




IMG_3212.jpg




最後の最後に、もうひとつだけ面白い材料を。

The Texitile Museum 発行の"Turkmen -TRIBAL CARPETS AND TRADITIONS" より

1495年にヘラートで描かれた細密画で「テントがトルクメンのもの」。






部分拡大。絨毯の文様をご覧ください。



IMG_3213.jpg




フォード氏の本より

「g」は、15世紀ペルシアの細密画で最も多く描かれた絨毯の文様

なお「h」は、同じ時代のペルシアの細密画に見られる曲線ラインの絨毯の文様






「g」の拡大。

どうです? ヘラティ文様の構成によく似ていると思いませんか?



* * *




今回もダラダラとヘラティ文様を追いかけて、

結局、何がわかったのか、書いている本人もいまだにあやふやなワケですが、

今回は、これでお開きにしたいと思います。



こんなぐちゃぐちゃの記事を読んでくださった方!

本当にありがとうございます〜! ハート




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