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2017.10.25 Wednesday

ギャラリートーク1回目 2017.9.26.

 

今回の絨毯展を振り返って、内容を少しまとめておきたい。

(一部、加筆しました)

 

一回目のギャラリートークは、オープン翌日の9月26日だった。

 

まずはギャラリーのスタッフの皆さんに、展示の意図を理解してもらいたいなと考えていて、

あとはもしかしてギャラリーの常連さんが参加してくださるかもしれない。

全部で5人くらいかなと考えていたら、

Whyte Laydieさんが遠くから駆けつけてくださり、絨毯好きの友人も忙しいなか参加してくれた。

あとはスタッフの皆さんが一生懸命宣伝してくださって、全部で10人くらいになった。

 

絨毯好きなお二人を除くと「特に絨毯に興味があるわけではない」方々なので、

どういう話をしたら興味を持ってもらえるかな? と考えた。

 

わたし自身も15年ほど前までは「絨毯に興味があるわけではな」かったのだ。

玄関マットやリビングに敷物を使ってはいたけれど、

スーパーで売っている化繊のカーペットで、それで文句はなかったのである。

 

だから15年前に立ち返って、そんな自分が遊牧民の絨毯のどこに魅力を感じるようになったのかを説明し、

さらには、遊牧民の暮らしにとって、絨毯・キリムはどういう意味を持っているのか、

わたしたちの暮らしにちょっとでも引きつけて考えてもらえればうれしいな、と思った。

 

* * *

 

<自分と絨毯とのなれそめ>

 

近所のスーパーの催事場を通りかかると、温かい色合いの素朴な絨毯に目が止まった。

それは座布団サイズの「ギャッベ」というものだったが、

見ていると心がなごみ、触れてホッとする、不思議な魅力を持っていた。

手織りの絨毯が一枚あるだけで、家のなかが温かくなるような気がした。

 

次にアフガニスタン産のオールド絨毯が好きになった。

小さめサイズのものを3枚ほど買ったけれど、茜の色が一枚一枚異なっている。

同じ一枚の絨毯でも、朝の光、昼の光、夜の光では色合いが違って見えた。

だんだん絨毯が「友だち」に思えてきた。

 

最初は「インテリア」として購入していたのが、どんどん深みにはまって

「もの」それ自体の魅力にのめり込んでいった。

 

* * *

 

<化繊のカーペットとウールの手織り絨毯とは、どこが違うの?>

 

かつて化繊のカーペットを使っていた自分の経験だと、

化繊は静電気を呼んで、だんだん薄汚れた感じになる。

洗ってもあまりきれいにならないし、繊維もへたってきて、2年位で処分することになった。

処分しても「十分使ったのだから」と、心が痛むことはなかった。

 

ウールの手織り絨毯は、使うほどに表面の毛羽が取れてツヤが出てきて味わい深くなる。

愛着も出てきて、年月が経っても「古くなったから捨てよう」という気持ちにはならない。

 

ちなみにギャラリーオアシスは「バザールヴィタ」という会社の運営で、北海道で無垢の家具や小物も作っており、

ギャラリーは「恵泉ノア製作所」のショールームも兼ねている。

だから化繊のカーペットと手織り絨毯の違いを、無垢材の家具と合板の家具に喩えてみた。

 

合板の家具は、それを使用するには十分な役目を果たすけれど、

新品のときが一番美しく、後はだんだんみすぼらしくなっていく。

でも無垢の家具は、きちんと手入れをすれば味わいが出て、歳月とともに美しくなる。

たとえば家具に多少の傷や落書きがついたとしても、

「この傷は○○ちゃんが、あのときにつけたんだよね〜」と愛しく思えたりもする。

 

世の中がはげしく変化する中、

生活もまた安定感のないものになりがちです。

ひとつの家具が生活空間に安定を与え、

生活を根底から支えてくれるなら、

こんなにたのもしいことはありません。

 

世の中の変化とかかわりなく、

生きつづける家具を

作っていきたいと考えています。

(恵泉ノア製作所のパンフより)

 

手織り絨毯と無垢の家具は、似ているような気がする。

大量生産・大量消費・大量廃棄の世の中で、生きつづけるもの。

サティシュ・クマールが書いていた「美しく、役に立ち、長持ちする」もの。

 

* * *

 

 

<遊牧民にとっての「絨毯(染織)」は「家具」>

 

日本人にとっての家具が「木」でできているとすれば、

遊牧民にとっての家具は「毛」でできている。

 

DSC_0126 (22).jpg

 

たとえばこれは「ソフレ」と呼ばれる食卓布だが、

パンを焼くための「調理台」やホコリよけカバーとなる他にも、「テーブル(クロス)」としての役目も果たす。

 

「マフラッシュ」という大型の収納袋には布団など、

「チュバル(チュワル)」という中型の袋には、衣類や日用品、小麦粉などが入れられて、

日本人にとっての「タンス(行李)」などの役目を果たしている。

 

もっと言っちゃうと、「家具」だけでなく「家」までが羊毛やヤギ毛でできているのだ。

 

遊牧民のテントは、ざっくり分けるとふたつある。

気候が比較的温暖な場所では、開放型の黒ヤギのテント。

気候が寒く厳しい場所では、密閉型の羊毛フェルトによるテント。

 

P1013371.jpg

( "NOMADS IN ANATOLIA" より 黒ヤギのテント設営中)

 

木材は支柱として使われるけれども、それ以外はテントを固定するベルトも含めて

羊毛やヤギ毛がテントの材料の大部分を占めている。

 

トルコは密閉型のテントもあるが、多くは開放型のヤギ毛のテントが使われる。

ヤギ毛のテントにとって、非常に大切な役目を果たすのが「チュバル」という袋だ。

ラクダで移動の際に、左右の重さのバランスをとるため、チュバルは必ずペアで織られる。

 

P1013373.jpg

(同上)

 

宿営地について、いざテントを設営するときは、

まずこのチュバルがドンドンドン〜と10個くらい、背面に並べられる。

中には物がつめこまれていて重量もあるため、このチュバルが「壁」の役割も果たす。

悪天候になっても、背面にしっかりした「壁」があるため頼もしい。

 

(同上)

 

またヤギ毛のテントは、雨が降ると繊維がふくらんで水を通さないし、

カラリと晴れれば繊維が縮んで通気性が良くなる。

 

このように遊牧民にとって、羊毛やヤギ毛の織物は生活を支えてくれる、とても大切な「家具」なのだ。

 

* * *

 

<とてつもない手間と時間がかかっている絨毯>

 

このコースターサイズの絨毯は、先生が経糸張りまでやってくださった段階から織りはじめて8時間要した。

(驚きの声)エリザベス

もちろん遊牧民の女性が織るスピードはずっと速いが、

それでも絨毯を織るのはたいへんな根気と時間がかかる。

 

そして絨毯をつくるためには、織る作業だけでなく、

羊を飼育するところから、羊毛を刈り取り、選別し、梳き、紡ぎ、染めるという一連の作業が必要。

特に糸を紡ぐのは、織るための時間の数倍かかるという。

 

(ただし、絨毯織り作業が目のいい若い女性が中心なのに対して、

糸紡ぎはある程度年配の女性が担当することが多いという)

 

いずれにせよ、今のわたしたちには想像がむずかしいほどの手間と時間をかけて絨毯はつくられる。

 

* * *

 

<遊牧民の絨毯と、デパートなどで売られている都市工房の絨毯はどこが違うか>

 

ひとつの大きな違いは「分業」か「個人〜家族単位」か、ということが言える。

 

都市工房の絨毯は、システム化された分業によってつくられる。

専門のデザイナーがデザイン画(下絵)を描き、それを方眼紙に写し取る。

幅広で歪みが生じにくい立派な織り機を使って、専門の織り職人が下絵に忠実に織っていく。

使われる糸にしても、

たとえばイラン等の絨毯にオーストラリアやニュージーランドのメリノ種の羊毛が使われ、

脱脂や漂白などの工程を含めて、近代化された紡績機によって糸が紡がれる。

染色も、専門の職人が担当し、染めむらやロットによるトーンの違いは許されない。

絨毯が織られた後は、場合によっては薬品などで艶出しなどの加工がおこなわれる。

 

いっぽう遊牧民の絨毯は、羊毛にしても部族やグループ固有の羊によってそれぞれ違いがある。

たとえばクルド族は昔から良質のウールのために羊の品種改良を重ねてきたと言われている。

ホラサン地方やコーカサスなど、「良質の羊毛の産地」と呼ばれる地域がたくさんある。

 

絨毯を織るのは基本的に一人の女性であり、下絵は使われない。

織り機も非常に素朴なものである。

伝統的なモチーフは子どものときから練習して空で覚えており、

複雑なモチーフは「ワギレ」という織り見本を使うこともあるが、

どのようなデザインにするかは、伝統的意匠プラス個人の才覚で決まる。

 

このことはメリットでもあるし、デメリットでもある。

日本人が裁縫をする場合でも、人によって出来ばえが違うように、

(共感の声とため息)・・・

遊牧民の絨毯も人によって技術やセンスが違う。

 

ひどく歪んだ、センスがいいとは言えない絨毯ができる場合もあるし、

とても織りが上手で、色彩やモチーフの取り合わせがすばらしい絨毯ができることもある。

 

後者の場合は、織っている女性が自由にのびのびと創造力を発揮させているのが伝わってくるような、

フォーク・アートと呼んでもよいような絨毯も生まれる。

 

一般的に中東では女性の地位は低いとされている。

男性のいうことには逆らえない、さまざまな制約がある社会の中で、

もしかしたら絨毯織りのときだけは、自分の思いや祈りをありのままに表現できたのかもしれない。

 

そんなふうに織り上げられた絨毯は、見ているこちら側にもその思いが伝わってくるようなものがある。

そのような魅力が、遊牧民の絨毯にはあると思う。

 

 

コメント
ぷぎー様…10月22日のブログ「絨毯展終了しました〜」を読み、そこに掲載された「ちゃるぱーさ」さんのライブの写真を見ても、今回の「絨毯展」は意義あるイベントであったことを十分知りましたし、今回のブログのメッセージを読んでもそれを確信しました。民族音楽に関心のある小生は常に生活の中に生きる音楽である、ととらえています。今М大学で行っているレクチャー&コンサートも「暮らしと音」ということをベースにして展開しています。そうした意味合いで、今回の展示会が絨毯・キリムのみが切り離されてしまう展示ではなく、遊牧民にとっては生活の中に生きた家具としての「毛」がベースにあるということを教えられました。ぷぎーさんの「絨毯とのなれそめ」からのお話はどれも共感するものばかりでした。「生活文化」という言葉がありますが、ぷぎーさんのはいつもその視点でものを見ていらっしゃいます。日本から遠く離れた遊牧民の【生きた人間の生き方】をこのブログから読み取っています。同じくギャラリーオアシスで見た無垢の家具にも心惹かれました。小生宅の家具のほとんどは岩手県岩泉の「純木家具」の作品です。食卓のテーブルは栃材の1枚板(幅90cm長さ180cm厚さ6.9cm)ですが、おいしい木であったのか無数の虫食いのあとがあります。それを工房の方が丹念に埋めていった作品であり、250年の年月を経たこの逸品を使い続けて早30年、今後も「我が家の顔」として一緒に歩んでいくと思います。絨毯であれ、家具であれ、大事な生活の仲間として存在していますよね。そうそう、11月18日(土)のМ大学「世界の民族音楽を聴く…レクチャー&コンサート」にはギャラリーオアシスでの寺原太郎さん主催の「民族音楽紀行」にも出演されたウードの常味裕司さんのアラブの古典音楽です。どんなお話しをしてくださるのかこれも楽しみです。
  • Whyte Laydie
  • 2017.10.28 Saturday 09:45
最初にギャラリートークの内容を考えたとき、つい現在の自分の心境から出発しそうになりました。つまり絨毯遍歴を経た今では、どうしても「アートとして見応えがあるかどうか」として絨毯を語りそうになるのです。
けれど今回そんな話をしても、完全に独りよがりのものになると考え、遊牧民にとっては「毛織物が家具であり家である」という視点からならば、身近に感じていただけるかなぁと思ったのです。

トーク2回目もいずれ記事にしたいと思いますが、「嫁入り道具としての染織に優れたものが多い」ことをポイントにしました。これはWhyte Laydie さんの「大きい絨毯はいつ織るの?」というご質問に啓発されて生まれたテーマです。ありがとうございました。

お求めになられたギャラリーオアシスの宝箱、最後のひとつだったようです。木目がとても美しい逸品でしたね。ご自宅の一枚板のテーブルはさぞ堂々としてお家を守っておられることと思います。無垢の家具は本当にいいですね。
私もタモ材のトイレットペーパーホルダーをギャラリーオアシスの店長さんがうちに来られた際に付けていただきました。小さいものですが、見るたびにニンマリしています。


  • ぷぎー
  • 2017.10.28 Saturday 17:06
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