樂美術館のバルーチキリム
金曜から日曜日まで母のお供で、京都と奈良に行っていた。
母は楽焼の十五代・樂吉左衞門さんの大ファン。
6月1日に樂さんのギャラリートークがあるというので
「あなたもぜひ聞きなさい」と誘われた。
京都市上京区油小路にある樂美術館
入口はこんな感じ
開館40周年を記念した樂さんのギャラリートークは全5回で、今回は最終回。
事前予約をしていた30名から40名ぐらいがエントランスホールで待っていた。
さすが京都で、和服姿のご婦人や、ちょっと前衛的な感じの若者も混じっている。
開催時刻の夕方5時、Tシャツにパンツという出で立ちで樂さんがふっと姿を現した。
すごくエラい人のはずなのに、まるで近所の人が顔を出したような登場の仕方にちょっと驚く。
だが普段着とはいえ、きりっとした身のこなし、体全体から発せられるオーラのようなものを感じる。
ストイック。清明。
修行を重ねている僧侶のようだ、と思った。
今回は「能と楽茶碗」との関係性を中心にお話があった。
* * *
楽茶碗は初代長次郎が利休の好みに合わせて焼いた茶碗がはじまりだとされている。
「黒楽」「赤楽」などとよばれる独特の茶碗。
けれどそういうものがいきなり生まれたわけではなく、ものには当然ルーツがあるはずだ。
それはおそらく南中国の「素三彩」とよばれるやきものだったのではないか。
「交趾焼」は日本でも見られるが、あれに近い感じだったと思われる。
もともと、緑や褐色や白などの限られた色のやきものだったが
利休の意をくんだ長次郎は、装飾性をどんどん廃していった。
装飾性を廃していったという点では、能もおなじ。
歌舞伎や浄瑠璃では、たとえば「泣く」という動作は誇張して演じられるが、
能の「泣く」は、少しうつむいて手をそっと添える、といったわずかな動きで表現される。
猿楽から能楽へと発展する過程において、ある種の装飾性を廃していっていまの形ができあがった。
* * *
このように楽茶碗と能の類似点などのお話をされた後、展示室へと移動して
実際の作品を見ながら、樂さんが解説される。
今回は能に因んだ銘がつけられている茶碗の横に、それぞれ能面が展示されていた。
当時茶道を嗜む者はたいてい能も好きで、茶事の際に謡が飛び出すこともよくあった。
茶碗の形や雰囲気からインスピレーションを得た茶人が
能の一場面を思い出して銘をつける。
たとえば上の写真は、長次郎の赤楽茶碗だが「道成寺」という銘が付けられている。
その心は「釣鐘を逆さにした形のようだから」。
(能「道成寺」は白拍子が梵鐘のなかに飛びこむシーンがある)
長次郎の赤楽茶碗の横に「道成寺」の能面のコラボレーション。
* * *
それ以外にも樂吉左衛門さんご自身の作品「砕動風鬼」にまつわるエピソードなど
たいへん興味深いお話がつづき、とても贅沢な時間を過ごせた。
美術館のあちこちにお花が生けてあったが、
ただ「花が飾ってあるな」ではなく、ひとつひとつの花のいのちが輝いていた。
* * *
さて、ギャラリートークに先立って展示を拝見すると、
熊谷守一美術館とおなじく(?)、樂美術館にもバルーチを発見!
第三展示室にベンチがあり、その下にバルーチキリム。
これは「たばこと塩の博物館」で展示があった丸山繁さんから購入されたものだと思われる。
"KILIM the complete guide" より
似たタイプのバルーチキリム。
この本によると、ディーラーの間では「バルーチ・マラキ」とよばれるタイプ。
樂美術館のキリムの細部
『芸術新潮』2008年3月号
10年以上前の写真ですが、このかたが十五代・樂吉左衞門さん。
トライバルラグの中でも、樂さんが選ばれるとしたら、やはりバルーチだと思う。
ピースによってはトルクメンという選択肢もあるけれど、なんといってもバルーチ。
その理由は「闇」。
この特集号の中に「闇のなかへ 千利休」というページがある。
ギャラリートークでも「妙喜庵待庵」のお話が出た。
「待庵は茶室のなかでも暗いんですよ。茶碗なんかもやっと姿がわかるくらい」
待庵のにじり口。
奥はほとんど見えない。
広さ二畳の茶室内部。
「まるで洞穴のような床。奥の隅柱も、床の天井も土で塗り廻したような室床に、
黒楽茶碗「ムキ栗」を置く。暗闇に黒。これが利休の茶だ。」(左頁のキャプション)
* * *
黒楽を中心とした楽茶碗を展示するスペースには
アナトリアキリムも、コーカサスキリムも似合わない。
やっぱりバルーチキリムがいちばん、似合う。
もっとバルーチキリムの良さが日本に広まるといいなあ。
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