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2018.03.18 Sunday

「トランシルヴァニア絨毯」と呼ばれるトルコ絨毯

 

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前回と同じ場所の梅の花。満開です。

 

さて、前回取り上げたうちのトルコ絨毯がいつごろ織られたものなのか?

というと19世紀後半から20世紀はじめではないかと思います。

 

「アンティーク、アンティーク」と騒いでいても、

それより前の時代の絨毯を入手するのは非常に難しい。

 

そんな私があこがれる絨毯といえば

「トランシルヴァニア絨毯」と呼ばれるトルコ絨毯です。

 

 

現在のルーマニアの一部ですが、

このトランシルヴァニアの教会に古〜いトルコ絨毯が残っているのです。

 

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"ANTIQUE OTTOMAN RUGS IN TRANSYLVANIA" by Stefano Ionescu 2005年

以下の写真はこの本より転載

 

トランシルヴァニア地方は昔から豊かな土地で、

12世紀ごろからドイツ・ザクセン地方の人びとが入植をはじめた。

 

トランシルヴァニアは中東とヨーロッパを結ぶ交易路の重要な中継地として栄え、

富を蓄えた地方の名士やギルドなどが

当時はたいへんな贅沢品であった絨毯を教会に寄進した。

 

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ブラショフという町にあるトランシルヴァニア地方最大の「黒の教会」(正式名称は「聖マリア教会」)。

高さ65mの塔を持つ後期ゴシック教会で、ルーマニア最大級のパイプオルガンも備えている。

 

1477年完成当時はカトリック教会だったが、1544年にプロテスタント・ルター派に改宗したという。

 

去年は「宗教改革500年」にあたり、

ルターが「95ヶ条」の提題でキリスト教会の改革をはじめたのが1517年。

以後、カトリックとプロテスタントの長く壮絶な争いが始まるのだが、

ドイツからかなり離れたトランシルヴァニアの教会が、ルター派に早期に改宗したというのも面白い。

 

ルターはザクセンの修道士だった。

トランシルヴァニアの人びとは、もとはザクセンの人びとだ。

遠く離れた故郷での新しい大きなうねりに無関心でいられるはずがない。

トランシルヴァニアの宗教改革を率いたヨハネス・ホンテルスはじめ、

故郷との人的交流などによって、いち早く反応したのかもしれない。

 

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そこにまた、イスラム教の祈祷用絨毯がずらりと飾られているのが衝撃的なのである。

 

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上段は通常の意匠の絨毯だけれど、下段はミフラブのついた祈祷用絨毯。

 

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しかし、ルター派がどうの、キリスト教会にイスラムのお祈り絨毯がどうの、と言っているよりも、

写真から伝わっているこの美しさは何物にも代えがたい。

 

このレヴェルの絨毯は、いまでは博物館でしか見られないものだが

博物館で見るのと、このような「祈りの場」で見るのとでは全然ちがうと思う。

 

日本でも、おなじ仏像であっても、博物館で見るのと本来のお寺で見るのとでは、ずいぶんちがう。

 

こちらは「異教」ではあるものの、敬虔な祈りの場に安置され、何世紀にも亙って大切に手入れされつづけてきた絨毯である。

絨毯にたくわえられてきた「気」というか「power」が違って当然だと思う。

 

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パイプオルガンのある身廊は通常の絨毯がほとんどのようだ。

 

トランシルヴァニア地方には、「黒の教会」以外にも古いトルコ絨毯を飾った教会がある。

 

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聖マーガレット教会。

中央は「ホルバイン絨毯」、左右は「ロットー絨毯」である。

(「ホルバイン絨毯」「ロットー絨毯」というのは画家の名前を冠した通称で、これはまた機会を改めて)

 

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ハルマンの福音教会にある「ロットー絨毯」

 

 

 

* * *

 

「ホルバイン絨毯」や「ロットー絨毯」は、16〜17世紀と非常に古いものが多いが、

「黒の教会」に見られる祈祷用絨毯は、それより後の時代のもののようである。

 

「黒の教会」は1689年に大火事でパイプオルガンさえもが焼ける被害を受け、絨毯もほとんどが焼けたようだ。

 

教会再建の過程で、教会員や支援者があらたに絨毯を寄進したわけだが、

そのなかで18世紀に織られた祈祷用絨毯の割合が多くなったことも考えられる。

 

 

2018.03.12 Monday

うちのトルコ絨毯

 

近くの里山では梅の花が見ごろをむかえ、桜は着々と開花に向けて準備中。

 

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ギブスが取れたあとも左手はなかなか思うように動かなかったのですが

ようやくブログを書く余裕ができてきました。

 

* * *

 

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きょうは天気が良かったので、ひさしぶりに絨毯を干しました。

 

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冬は乾燥しているとはいえ、しまいこんでいると空気が淀んで絨毯にはよくありません。

 

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きょうはトルコ絨毯だけですが、日に当てて風を通すことができました。

 

* * *

 

1月にミラス絨毯の記事を書いたとき、

その源流とでも呼ぶべき「トランシルヴァニア絨毯」について

写真だけでも絨毯好きの皆さんにご紹介したいなあ、と考えていました。

 

アンティークのトルコ絨毯は、宮廷用の巨大な絨毯もありますが、

多くはタタミ1畳ほど「セッジャーデ」と呼ばれる大きさのものです。

「トランシルヴァニア絨毯」もセッジャーデ・サイズ。

 

すでにブログにアップしてきた絨毯ばかりですが、

うちにあるトルコ絨毯をもう一度、眺めてみたいと思います。

 

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この二枚はトルコ西部のミラス絨毯。

右側は、よく絨毯の本に登場する独特のミヒラブを持った代表的なデザイン。

左側も祈祷用デザインですが、あまり本では見かけないタイプ。

ひとまわり小さいですね。

 

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縦糸は染めていないウール、緯糸が茜で染めたウール。

パイルはもちろんウールです。

 

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トルコ中央部の絨毯。

左はムジュール、中央と右はクルシェヒールの絨毯です。

 

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ミラスと同じく、縦糸は染めていないウール、緯糸は茜で染めたウール、パイルもウールです。

 

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左はクラ、右はギョルデスの絨毯。

トルコ西部でも、ミラスの北、イズミールの東になります。

 

「トルコ結び」の別名が「ギョルデス結び」と呼ばれるように、

ギョルデス絨毯は18世紀から19世紀にかけて、さかんに欧米に輸出されました。

 

このギョルデス絨毯は、緯糸と白いパイル糸がコットンです。

初期のギョルデス絨毯はすべてウールでしたが、19世紀になると緯糸がコットンになりました。

 

右のクラ絨毯は「輸出用」というよりも、自分たちで使うタイプの村の絨毯です。

20世紀に入ってのものだと思いますが、ウールも染めも素朴な味わいがあります。

 

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トルコ東部の「濃ゆーい」絨毯です。

トルコ東部の絨毯は「クルド」なのか「ユルック」なのか、判別に困りますが

左側のいかにもワイルドな印象に比べて、右側はきちんとして可愛い感じですね。

 

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ウールの質も違います。

どちらもセルベッジ(耳)にこだわりがあります。

 

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やはりトルコ東部の絨毯。

どちらもクルドのようです。

 

左は色使いがすばらしく、モチーフにも可愛さが感じられます。

コンディションはよくないけれど、本に載ってもおかしくない絨毯だと思います。

 

右はオレンジは天然だと思いますが、かなり化学染料が入っている模様です。

形もずいぶん末広がりだし、品がいいかといえば「うーん、、、」ですが、

とにかくパワフル! こういう絨毯もアリ!なのではないでしょうか。

 

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あんまりお行儀が良くなくても魅力的な人がいるように、

ケミカルが使われた「横紙破り」の絨毯だって、織った人の息づかいが感じられていいなあと思うんですよ。

 

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