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2019.09.27 Friday

24. 続「美しい世界の手仕事展」ー「好き」でなにかを追求する人たちー

 

そのつぎに「美しい世界の手仕事展」に出かけたのは、

Vol.4「シルクロード 彩の道ー空間工芸としての織物、布、陶器ー」のときだった。

 

2008年9月13日〜30日に6つのイベントとレクチャーがある超パワフルなイベントで、

わたしは15日の「⒐11直後のバローチスタン旅の映像 トーク&スライド」と

28日の「もっと知りたい 絨毯とキリムの世界」に出かけた。

 

* * *

 

9月15日 <9.11直後のバローチスタン旅の映像>

 

バルーチ研究者の村山和之先生のお話を聞くのは初めてで、

キリムは知っていても、バルーチ民族の暮らしについてはほとんど知らなかったわたしは

当日のお話もどこまで理解できたのか怪しいものだった。

でも、「バルーチって、こんなに魅力的な人たちなんですよ!」

と喜色満面で語る村山先生には「好きでなにかを追求している人」独特のオーラがあった。

 

 

いただいたレジュメが残っていたので再読してみると

「3. バローチと仲良くなるには、また敵となるには?」という部分に興味深い内容がある。

 

例えば、昨年(2007年)十月からイラン南東部のパキスタンとの国境地帯で武装集団に誘拐されていた

横浜国立大学生:中村聡志さんが14日にパキスタンで解放されたことを報じた6月16日朝日新聞の記事は

バローチ民族の特徴をよく表していると感じられます。

「犯行グループは、食事の際に羊肉のおいしいとされる部分を中村さんに与えるなど配慮をしていたようだ」

「犯行グループが属するバルーチ族は客人を丁重にもてなすことで知られ、中村さんも客人に近い扱いを受けたようだ」

「イランと(日本と)の国交断絶など荒唐無稽な要求を中村さんは電話で伝えさせられ戸惑った」

 

日本人には馴染みがないバローチ族だが、村山先生のお話を聞いていると

知らない相手を「きっと◯◯に違いない」と決めつけず、理解しようとする気持ちって

大事だなあと思えてくる。

 

残っているメモに、ほかにも面白いものがある!

海のバローチ...周辺からの文化、精霊、黒人(昔奴隷)

山のバローチ...じゅうたん

村山先生のお話をメモしたのだと思うが、

絨毯を織るのは「山のバローチ」ということで、絨毯を通して私もすこしは馴染んでいるが

「海のバローチ」の文化がむっちゃ面白そう!

 

「海から海賊船が来て、スコッチなどを手に入れることがある」というメモも。

 

 

スライドの他は、榊さんが実際のバルーチ絨毯を広げながら解説をされた。

榊さんも、これまた「好きで何かを追求する人」の代表みたいな人で

 

「この絨毯はいったん売れたんですけど、

家に敷いたら『おまえ、この絨毯だけはやめてくれ』とご主人に言われたというので戻ってきたんですよ」

と、黒地に大きなギュル文様があるバルーチの絨毯を見せてくれた。

返品されて、こんなに嬉しそうな顔で語る絨毯屋さんははじめてだ〜

 

(興味のある方は、サイト「美しい世界の手仕事展」2008.9.16 の記事を検索してみてください)

 

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榊さん作成の当日のレジュメ

 

まー、それにしても会場の壁という壁、床という床には絨毯やキリムが敷きつめられ圧倒的な濃さ!

この濃さは、やはり部族絨毯ならではのものだと思う。

 

* * *

 

9月28日 <もっと知りたい 絨毯とキリムの世界>

 

この日は、トルクメン絨毯研究家の村田清さん、キリム作家の矢野ゆう子さん、榊さんが講師だった。

 

村田さんは「知的で理系が多い」と言われるトルクメン・コレクターの典型的タイプだった。

絨毯もさることながら、ジュワルやトルバ、オクバシュなどのさまざまな袋物、

さらには、技巧を凝らしつつ過酷な使用に長年耐える耐久性を持ったテントベルトなど

遊牧生活で実際に使われるためのオリジナルな品々が一堂に会する機会は、

日本では、まず例を見ないものだったと思う。

 

「部族絨毯の王者」と言われるだけあって、トルクメン絨毯、特にテッケ絨毯の空間制圧力は凄いものがある。

その覇気の強さ、独立不覊の精神が、ビシバシ伝わってくる。

 

キリム作家の矢野さんは、実際に織り機を使って織りながら、キリムの様々な技法についてお話しされる。

キリム=綴れ織り、ジジム=縫い取り織り、スマック織り、紋織りなど。

そして織りあがったキリムや絨毯を示しながら、どのような技法が使われているかを説明。

実際に作品を作られる方には尊敬しかない。

 

小さな織り機や作品などが参加者に手回しされて、まじかに織りを見て触れることができた。

 

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最後は、榊さんによる「遊牧民の毛織物文化について」のレクチャー。

部族絨毯、村の絨毯、都市で織られる絨毯、宮廷用の絨毯、

という絨毯の分類法によって説明されたうえで、

部族絨毯では「チュルク、モンゴル系」「イランに住むトルコ語系」「イラン、アラブ系」に大きく分けられる。

「へー、語族で絨毯を分類する考えもあるんだ〜」と目から鱗だった。

 

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* * *

 

あれから11年も経ったことが、まるで夢のようだ。

 

「美しい世界の手仕事展」のサイトの写真を見ると、みんな若いなあと感じる。

 

あれから、日本も、世界も、大きく変わった。

たぶん私たちは歴史の大きな波のなかにいる。

 

でも2008年横浜に集まった、「好き」で何かを追求する人たちの輝きは、今もわたしの心の中にある。

あの人も、この人も、輝いていた。

 

 

 

2019.09.23 Monday

23. ヒッキー横浜へ行く「美しい世界の手仕事展」

 

Fさんのブログにはときどき絨毯屋トライブさんがコメントされていて、

根っから絨毯好きのお二人が楽しそうに会話をされていた。

 

それがきっかけでトライブさんのサイトを検索し、

ウエアハウスにたくさんの部族絨毯があることを知った。

「うわ、見たいなあ、、、」

 

最初はたぶん2008年の7月ごろ、榊さんにメールを出したのだと思う。

 

そうしたらちょうど榊さんとその仲間たちが横浜のハウススクエアという住宅展示場の建物で

「美しい世界の手仕事展」というプロジェクトが進行中。

「よかったら会場にいらっしゃいませんか? 絨毯もすこし置いてありますよ」

と声をかけていただき、ワクワクしながら千葉から横浜まで出かけていった。

 

そのときは、第一回目「バングラデシュの宝物〜望月真理カンタ刺繍コレクション」の最中で

150坪という、夏季合宿いや運動会ができるくらい広々とした空間に

のびやかで温かみのあるカンタ刺繍の数々が展示され、広〜い床にはキリムが敷きつめられていた。

なんという贅沢な空間!

 

ラグジュアリーとかゴージャス、という言葉ではない、

なんというか人の心をホッとさせ、自然体でくつろがせてくれる豊かさが会場にあふれていた。

 

そこには榊さんやJさんTさんたち、その後大変お世話になる人たちがいて、

初対面のわたしをとてもフレンドリーに受け入れてくださった。

その日は偶然にも、スタッフの皆さんが床にソフレを敷いて夕食をとる予定だったらしく、

「よかったら一緒にどうぞ」と誘っていただいて、ずうずうしくもご飯までごちそうになった。

はっきり覚えていないけれど、中東系のエスニックな食べ物だったと思う。

元来人見知りなので、知らない人のなかでは頭のヒューズが飛んでしまい、はっきりと覚えていない。

 

その日、榊さんから絨毯を何枚か見せていただいて、

トルクメン・ヨムートの絨毯を譲っていただいた。

 

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マットサイズの小ぶりの絨毯だ。

トルクメン絨毯の本でも見たことのないレアなタイプ。

織られた場所はイラン北東部?

トルクメンのなかでもヨムートは定住しているグループが多く、

この絨毯も定住のにおいがするが、売るために織られたのではなさそうだ。

 

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レンガ色に近い茜をベースに、インディゴと茶色とオフホワイトが使われている。

キリッとした色づかいなのに、どことなく可愛い。

モチーフを見ていると、なにかのキャラクターのように見えてくる。

 

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ウールは脂分が少なめでカリカリとしている。

どんな羊さんなのかな?

 

 

イラン北部のヨムートが織る販売用のテッケギュルの絨毯は、非対称結びになったようだが、

この絨毯はヨムートに伝統的な対称結び。

パイルが均等にすり減っていて、結び目がはっきり見えてキラキラしている。

 

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経糸はふわっとした茶色のウール。

デプレスはかかっていない(一階建て)。

わたしが持っている他の古いヨムートよりは、緩めの織り。

 

 

水色が一部に使われているのもチャーミングだ。

織った人も、きっとチャーミングなんだろうと思う。

 

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一時期は本に載っているタイプのアンティークに興味が移っていたが、

こういったレアなタイプの魅力を再発見しているところだ。

 

欧米のトルクメンコレクターも、こんなタイプは持っていないだろう。

「世界にひとつだけの花」だ。

 

 

2019.09.21 Saturday

22. ブログが先生だった

 

2008年の話がつづく。

 

近所のスーパーでギャッベを買った翌年に、

アフガン人の販売員からアフガン絨毯を見せてもらった話を書いたが、

それまでの私は「ペルシャ絨毯」と「中国段通」くらいしか知らなかった。

正直なところ「パキスタン絨毯」も「トルコ絨毯」も知らなかったのである。

 

ところがネットを通じてアフガニスタンの絨毯を手に入れて、

その人間臭さというか、大地のにおいというか、

これまでに感じたことのない親近感のようなものを抱き、

もっともっとアフガン絨毯のことを知りたいと思うようになった。

 

アマゾンや日本の古本屋で「絨毯」「キリム」をキーワードに検索し、

関連する本を取り寄せて、少しずつ読むようになった。

それらの中にアフガン絨毯のこともある程度書かれてはいたが、

ペルシャ絨毯に比べるとはるかに情報量が少ない。

この時点では、英語で書かれた絨毯本のことなんか考えたこともなかったのである。

 

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(今回の写真はすこしずつ集めた日本語の絨毯本)

 

そんなとき、わたしの先生になってくれたのがブログである。

 

奈良のA店はネットショップと並行して店主がブログを書かれていた。

お仕事の関係でアジアの国々に駐在されたことがあり、

そこでの絨毯の使用などについて興味深い記事を書かれていた。

トルコのボザラン村やシャフセバン族のテント(アゼルバイジャンか)などを実際に訪れたレポートなどは、

ワクワクしながら読んだし、

馬に掛けるホース・カバーや様々な袋物など「トライバルグッズ」の説明なども面白かった。

絨毯やキリムって、敷物だけじゃないんだ! ということを教えてくれたのもそのブログだった。

 

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アフガニスタン絨毯に関しては、「アフガニスタンの絨毯1」「同2」というブログがとても勉強になった。

 

羊毛にも「カラコル」「ギルザイ」「カンダハーリ」「ハザラギー」「バルーチ」「ヘラーティー」などがあり

それぞれの色や特質にも触れていて、その後わたしがウールにこだわるきっかけになった気がする。

刈り取り、梳き、紡ぎ、染色、織りという工程を順序よく説明してくれていたので、

「絨毯がどのような順序でできあがるのか」という基本もよくわかった。

 

ハザラ、ウズベク、バルーチ、トルクメンなど様々なグループが絨毯やキリムを織っていること、

アフガン・トルクメンが使う各種のギュルや袋物の種類やテントベルトなど、

現時点でも見ることができるので、興味のある方は検索してみてください。

 

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実際にアフガニスタンに行かれたことのある奈良のFさんのブログも、わたしの先生だった。

パキスタンやアフガニスタンにおいては絨毯が主要な産業であり、

街に行けばかならず絨毯屋さんがあって、旅行者はそこでいろんなことを経験するようだ。

絨毯屋さんとの会話や交流のエピソードはとても貴重で、

いつかアフガニスタンが落ち着いたら、また日本人が行けるようになればいいなぁと願う。

 

欧米ではトライバルラグ・ファンが沢山いるらしいことを知ったのも、ここだった。

元HALI編集者でディーラーのトーマス・コール氏のサイトへのリンクや

各産地の絨毯について、かなり確かな説明や情報が書かれている英語のサイト(今は無いようだ)など

欧米の絨毯事情に目を向けるきっかけを作ってもらった。

 

現地で購入された絨毯やキリムの写真、

そしてそれに対するFさんの評価や思いなどが率直に書かれていることも魅力だった。

ネットショップやヤフオクでは「売る」ことが目的なので、書かれる内容も限定される。

正確でない情報や派手なセールストークなど、読んでいてヘコむときがあるが、

絨毯が純粋に好きで書かれている文章は、読む方も気持ちが良いものだ。

 

Fさんがぜひまた絨毯の記事を書いてくださるように願っている。

 

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Fさんのブログには、絨毯屋triBeの榊さんのことがよく書かれていたので

当然ながらトライブさんのサイトを見ることになる。

ビジネスで絨毯を扱っておられるのだが、

その絨毯愛の深さについてはダントツである。

 

プロの業者さんだからと言って、その人が勉強しているとは必ずしも言えないのだが

榊さんはトライバルラグの書籍やHALIなどの雑誌で研鑽を怠らない。

また、絨毯やキリム、各種の手仕事などに関わるイベントを積極的に行なっておられた。

 

その後、「美しい世界の手仕事展」などに誘っていただいて、

わたしの狭い世界がすこしずつ広がっていくことになる。

 

こうしてみると、基本は「ネットでポチ」のヒッキーではあるが、

釣り糸を垂れていると、いろんなものが引っかかり、

スケールは大きくはないけれど「絨毯の旅」が続いていったわけである。

 

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2019.09.14 Saturday

21. 骨董の世界に近いのか?

 

「わたしの絨毯遍歴」シリーズは、思いつくままにラグ遍歴を語るつもりだったのに、

いつのまにかオタッキーな内容になってしまう。

「絨毯の裏」や「フリンジ」から情報を読み取れるようになったのは、ずいぶん後になってからである。

 

繰り返しになるが、2008年ごろの私は本当のビギナーで、

「14. 掲示板『自慢のキリムについてオオイに語って下さい』」の書き込みは

わたし自身のギモンや悩みそのものだった。

 

<実際に実物を見て買うか、ネットで買うか>

 

掲示板では「実物を見て買うのがベターだけれど、やむなくネットに頼っている」人が多いようだった。

理由は、だいたい以下の二つだろうか。

・近所に売っている店がない(日本でキリムや部族絨毯はまだまだマイナーな存在)

・店舗は敷居が高い(いったん入ると買わずに帰るのは気がひける)

 

<写真について>

 

「写真が不鮮明だと、なかなか思い切って買えない」のは、そりゃそうだ。

2008年頃はカメラの問題もあって、不鮮明な画像も多かったと記憶している。

 

業者さんも、写真の撮り方が上手な人とそうでない人がいて、かなり売上に差が出たと思う。

(これはネット販売すべてにいえることだと思うが)

自分の経験では「写真よりずっと良かった」ケースもあれば、その逆もあった。

 

掲示板で「なるほど〜」と思ったのは

「新しいキリムは写真から大体のイメージがつかめるが、オールドは難しい」という書き込み。

 

この方は新しいキリムを実際に持っていて、その質感を知っているのだろう。

ところがオールドやアンティークは、ウールの質や染料が、一枚一枚かなり違っている。

画像だけで色や質感を判断するのはかなり難しい。

 

キリムでも難しいが、絨毯はもっと難しい。

特にバルーチなど暗い色のものは、実物の色や質感はなかなか写真で再現できない。

 

写真の問題は、撮る側だけでなく、じつは見る側にもある。

見る側がたくさんの古いキリムや絨毯を、実際に見て触れていれば、写真と実物の乖離を少しは補うことができる。

 

話がそれるが、骨董の世界で「真作と贋作」というテーマがあって、

この場合は「写真」でなく「実物」を目にしていても、贋作を見破れないということは往々にしてある。

経験をつんだ骨董屋さんでも見破れないものがあって、それは別格なのだが、

初級者レベルの贋作を見破るには、

どれだけ良い物を実際に見たり、手に取ったりしているかが大きいという。

 

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<オールドの年数&天然染料か化学染料か>

 

この問題は、くだんの掲示板以外でもいくつかのブログで取り上げられていた。

「オールドの年数について、かなりサバを読んでいる」

「草木染めと言っていたのに実物を受け取ったらどうも違うようだ」

わたし自身、ネットでの購入で同じ経験をしている。

 

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最近またヤフオクを見たら、あいかわらず間違った情報があふれている。

年数や染料の問題のほか、織り技法の説明が違うのではないかと思うものも多い。

 

一般の人が不用品をヤフオクで売るなら話は別だけれど、問題はプロの販売者だ。

「プロだから、説明は正しいはずだ」と購入者は思っている。

だから販売する方はその信頼に応えてほしい。

 

絨毯やキリム、特に古いものは本当に奥の深い世界なので、正確で幅広い知識を得るのは大変だ。

必ずしも悪意があるわけではなく、現地業者が言ったとおりに説明しているケースもあるだろう。

ただし現地業者だからといって、説明がすべて正しいわけではなく、ある種の「口承」情報だ。

 

このブログもたぶん間違った内容もあると思うので、えらそうなことは言えないけれど、

キリムや絨毯を愛し、その向こう側にある世界を知りたいと願っている。

 

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* * *

 

また骨董の話になってしまうけれど、

古い絨毯やキリムの売買は、骨董の売買に近いと考えた方がいいかもしれない。

 

骨董の世界では、贋作をつかまされても、買った方は売った方に文句を言わないのがルールだと聞く。

「贋作と見破れなかった自分が勉強不足でした。

もっと精進して、つぎは贋作をつかまないようにしたいと思います」

 

なんだかすごい世界だなあ。

たとえばルイヴィトンの偽物を売っている業者が見つかったら、業者が罰せられるのが普通なのに

骨董の世界では、贋作を売りつけられても

買った方が「勉強が足りませんでした」って頭をさげるみたいな、、、

 

ただ絨毯やキリムの場合は、骨董の「贋作」とは少しちがう。

 

絨毯の黒糸の部分だけをハサミで切って、アンティークに見せかける、

太陽に晒したり、化学薬品につけて、色合いをソフトにする、

回転式のカゴでこねくり回して手触りを柔らかくする、などだ。

ちなみに「絨毯を道路に広げて車に轢かせる」という話があるが本当だろうか。

この方法では力が強すぎるし、絨毯の一部だけが傷む可能性が高いと思うのだが、、、

 

これは新しいものを古く見せるための細工だが、

主に現地業者のテクニックで、ターゲットは観光客だろう。

 

日本では、新しいキリムや絨毯を古く見せかけた商品はあまり流通していないと思う。

アンティーク絨毯に価値を認める日本人が少ないことの証かもしれない。

 

(トルコではオールドキリムの強い色を太陽に晒してソフトにするのは普通のことで

「古く見せかけるため」ではないと思う)

 

日本ではやはり、間違った情報が多いこと、

それから価格の問題があると思う。

 

古い絨毯は「定価」がないので、買う方がその値段で買うといえば問題はない。

わたしも人から見たら「あんなボロ切れによくお金を出すなあ」と思われているはずだ。

 

それでもある程度の相場みたいなものはあるので、

あまりにも高い値段で売っている業者さんはどうなのかなぁ、と思うこともある。

 

 

 

 

2019.09.08 Sunday

20. 「絨毯の裏を見ろ」ってどういうこと?

 

 

 

絨毯についてネットで調べていると、よく「絨毯の裏を見なさい」というアドバイスがあった。

でも具体的にどこを見れば良いのかを書いてあるものは少なくて、

よく分からないままに絨毯を裏返しつづけて、自分なりに分かったことを書きたい。

 

* * *

 

<新品の絨毯も古い絨毯にも言えること>

 

・その絨毯が手織りなのか機械織りなのかが分かる。

ただしビギナーは、実際にはすぐにはわからないのが困ったところ。

 

・織り技術がどのくらい正確であるかが分かる。

裏側を見ても、表と同じくらい、柄がくっきりと見えるものが良いと言われている。

このような絨毯は、裏から見ても緯糸がほとんど見えない。

 

・単位面積当たりのノット数が分かる。

 

・デプレスが効いているか(ダブルウェフト)=織りの構造が「二階建て」になっているか、

効いていないか(シングルウェフト)=織りの構造が「一階建て」かが分かる。

通行の多い場所で使う場合は、一般的にダブルウェフトの方が丈夫で長持ちする。

絨毯の耐久性に関わることなので、

この点を理解されていない業者さんがいまだに多いのは、とても残念である。

 

シングルウェフトなのにダブルウェフトの数え方をすると、ノット数は実際の二倍になる。

業者さんに悪意はないと思うけれど、購入する人に誤った情報を伝えていることになる。

 

 

<オールドやアンティーク絨毯の場合>

 

・傷んだ部分の修復をしてある場合、裏側の方が修復を見つけやすい。

 

・どれくらい古いかを判断する上で、表よりも裏の方に経年劣化が現れやすい。

 

・表は色褪せているのに、裏にはっきり色が残っている場合は、化学染料の可能性が高い。

 

・緯糸が何本入っているかなど絨毯の構造から、部族や産地につながるヒントがある。

 

 

(まだたくさんあると思うけれど、にわかに思いつくのはこれくらい、、、)

 

* * *

 

さて、絨毯の裏側も大切だけれど、個人的には「経糸」がとても気になる。

 

絨毯は、経糸と緯糸とパイル糸とセルベッジ(耳)で出来ている。

それぞれの機能があるため、同じ糸を使うのではなく、たいてい異なった糸を使うのだが、

経糸のクオリティは、絨毯全体のクオリティと比例すると考えている。

 

良い経糸を使っている絨毯は、たいてい良い絨毯だ。

このことはすべての絨毯に共通すると思うが、

個人的には、特にトルクメン絨毯を見るときに「フリンジ=経糸」チェックは欠かせない。

フリンジによって、おおよその時代も推定する。

 

・・・またオタクな内容になってしまっているけれど、

アフガン絨毯5枚のフリンジと絨毯の裏側の写真をアップします。

 

 

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絨毯1

 

オフホワイトの経糸。少しパサパサしている。

緩くデプレスがかかっている。(「1.5階建て」?)

そのため内部に隠れる部分の結び目が半分くらい見えている。

 

裏側の写真の左上、文様がつぶれている部分がある。

サブボーダーの文様もよく見ると突っ込みどころがある(笑)。

織り目も少しボコボコしている。

 

ちなみにアフガン絨毯の「黒」は、基本的に化学染料といわれている。

 

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絨毯2

ベージュみたいに写っているが、実際は薄グレーの経糸。

デプレスが効いていて、織りが「二階建て」になっている。

文様も几帳面に織り込まれている。

 

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絨毯3

ベージュ色の艶やかな経糸。

写真ではよく見えないが、デプレスは「二階建て」まで行かず「1.7階建て」くらい?

他の絨毯よりも結び目が盛り上がって見えるのは、経糸とパイル糸が太いせいだと思う。

 

この絨毯は野暮ったいところもあるが、どっしりした手触りの良いウール、

パイルの力強い打ち込みなど「ああ、アフガン絨毯!」といとしく思えるピースだ。

 

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絨毯4

今回の絨毯の中で一番艶のあるベージュの経糸。

裏側の織りも完璧なまでに整っている二階建て。

 

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絨毯5

 

5枚の中で一番古く、唯一デプレスが効いていないタイプ。

ノットの結び目を見ると「つぶつぶが二つでセット」になっている。

 

キリムエンドが結構長いことも、あるいは年代判定の一つの基準になるかもしれない。

裏側がくたびれた感じも、上の4枚よりずいぶん古いものだという印象を受ける。

経糸は薄いベージュで、脂分は少なめだがシャキッとしたウール。

 

裏側の明るめのオレンジは色むらが不自然で、おそらく化学染料だと思う。

ただ落ち着いた茶色を見ていると心が安らぎ、すべすべのウールに触れると身体が癒されるような気持になる。

 

* * *

 

あまりまとまらない内容になってしまったが、絨毯の裏側と経糸について考えた。

 

これらすべてはカラクル羊など、アフガニスタン固有の羊のウールだと思う。

いま各地の絨毯産地で使われているウールのほとんどは、

オーストラリアやニュージーランドのメリノ種と聞く。

 

実用品としての品質面では申し分ないのだろうけれど、

土地固有のウールが無くなっていくことには寂しさも覚える。

 

 

2019.09.05 Thursday

19. 松島きよえさんのこと

 

バルーチのソフレで、真の意味でのトライバルラグに触れたわたしだったが、

いま振り返ってみると、結局自分はディープなところへは行けなかった。

 

数だけは集めてしまったため、ギャラリーオアシスでの絨毯展などで、

たまに「コレクター」などと言われることがあるが、

「それはやめて〜!」と言いたくなる。

 

絨毯にハマってから、ユニークな活動されている方に会う機会が多くなった。

キリムや絨毯を織られている方、ユーラシアの国々に一人旅をされる方、

さまざまな民族の手仕事を追いかけて現地に行き、その土地の人々と交流するなかで収集される方。

国内でもアクティブに独自の活動をされている方がたくさんいる。

 

わたしはそのいずれの経験もなく、ただ「ポチッとな」をしているだけなのだ。

たまたまインターネットが普及し、決済手続きも便利になり、

21世紀はじめ、ネット上で大量のトライバルラグが売り買いされた時期に出くわしただけ。

 

しかも「部族絨毯」というジャンルに関しては、ディープなところまで行けなかった。

自分の集めたものをふり返ると、村の絨毯や薄手のキリムがむしろ多いし、

バルーチのピースも、気候条件の厳しいバルチスタンではなく、住みやすいホラサン地方のものが多い。

 

ディープな部族絨毯コレクターは、テントバンドやラクダ飾りなど、

部族社会特有の機能を持つ品々に惹かれるようだ。

けれどわたしは、そこまでのめりこめなかった。

塩袋は欲しかったけれど、集めはじめた時期が遅かったので、これというピースには出会えずじまいである。

 

* * *

 

本当の意味で部族絨毯を蒐集した「遊牧民研究家」と呼べる人といえば、

まず思い浮かぶのが松島きよえさんである。

 

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1922年に秋田県に生まれ、上京して創作舞踊を学び、スタジオを開設して多くの子女を育成した。

その後、WHOの医務官である夫君と結婚して赴任先に同行され、

ジュネーブ、メキシコ、東パキスタン、イラク、インド、ナイジェリア、フィリピンなどに滞在。

とりわけ中近東とインダス川流域の遊牧民に心惹かれ、現地を訪れた。

 

帰国の度に、精力的に講演や執筆活動を行い、

1985年に渋谷の松濤美術館で「中近東遊牧民の染織」という特別展を開催。

さらなる展示や、コレクションを本にまとめる計画があるなか、

1992年にインドを旅行中、バス事故に遭われて逝去される。

 

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左が松濤美術館のカタログ、右が1997年文化学園服飾博物館での展覧会カタログである。

ここから松島さんの蒐集されたものや活動の一端を紹介したい。

現地の写真は松島さん自らが撮影されたものだ。

 

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パンを焼くブロイ族の女性ーーバルチスタンーー

 

以下はバルチスタン地方を訪ねての「ソフレ」に関する松島さんご本人の文章。

下の写真の「 」内の説明文も松島さんによるものである。

 

食事用布を開くとき

 遊牧民の暮しは、実に慌しい。女たちは、毎朝早くパンを焼いて、パン包みーソフラ ド チンーに包む。この毛織のパン包みは、パンを保温し、乾燥を防ぎ、熱気を断ち通風をよくする。食事時には、パン包みは広げられて、それが食事用の織布になる。約1メートルの四角布は、デザインが他に比べて格式ばって見える。

 遊牧民の暮しの中には、食べることを神聖な行為であるとみなす意図があるように見える。

 時計の無い暮しにおいて、食事は一日の時間に節目をつける役を果している。食事布は”大きければ大きいほど、権力を示す”と伝えられてもいる。「ハザラ族、パシュトゥー族は縞布を食事布ーダスタルカーワンーにする。」

 婚礼用儀式に使用する食事布は、矩形で中央部に、ラクダの毛が織入れてある。(下の写真)

 

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食事用布  バルチ族 イラン

綴織、紋織

経糸:羊毛  緯糸:羊毛

74 × 141cm

 

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<写真上>

糸を紡ぐバルチ族の女性

「原毛を腕に巻きつけ少しずつ引出し、スピンドルを落とし回しながら撚りを掛け紡いでいく。」

 

<写真下>

水平機を織るバルチ族またはブラフイ族の女性

「部族社会では衣装や織物の良し悪しで部族の勢力を計る風習があり、

織物上手の女は族長の妻の座を勝得た。」

 

松島さんはスケッチも上手で、遊牧民の暮しを生き生きと活写されている。

 

IMG_0919.jpg

 

ブラフイ族のテントの様子

<写真上>

チャイ(茶)を飲む主人、パンを焼き、子守をし、機を織る女、糸紡ぎを手伝う子供が描かれている。

 

<写真下>

整然と積重ねた寝具等のキルトには美しいカバーが掛けられ、屋根を支える梁からは

ラクダの首飾りや腹帯、アンチモニー入れ等が下げられている。

 

* * *

 

厳しい自然環境にある現地を実際に訪れ、人びとと交流し、

かれらを理解しようとするなかで、その手仕事や生き方に敬意を抱き、

それを日本に紹介した松原きよえさん。

 

展覧会のカタログをめくりながら、その大きな存在をあらためて仰いでいる。

 

2019.09.02 Monday

18. 「踏んではいけない」にもタイプがあった


前回「バルーチのソフレを踏んではいけない」って書いたけれども、
思えば「わたしの絨毯遍歴」シリーズで、何度も「踏めなかった」ことを書いている。
やれ、クムシルクの絨毯が踏めなかった、だの
ギャッベですら未使用だった、だの、
「アンタ、そんなに絨毯集めて、使わなかったら意味ないじゃないの」と言われそうである。

ふむ、なるほど。
そこで今回は、バルーチのソフレが「わたしの絨毯遍歴」の一つの転換点だったことを書いてみたい。

* * *

いわゆる「部族絨毯」"Tribal rug" にのめり込んでいくうちに、
本当に遊牧生活で使うために織られたものと、そうでないものがあることに気がついた。

近年の、観光客の土産物として織られた部族絨毯風の毛織物はもちろんだが、
古いものでも「売るために織られたのではないか」と思われるものがけっこうある。

自分が集めたものはバルーチ(タイプ)の絨毯が多いのだが、
そのなかには「遊牧生活のための絨毯ではないのでは」と思えるものも多い。

祈祷用絨毯も例外ではなく、
自分たちが使うためではなくて別のムスリムに売るために織られたのではないだろうか、
と思えるピースもある。

けれど、このバルーチのソフレは明らかに遊牧生活で使うために織られ、
実際に使われた痕跡をとどめている。


写真左上に補修跡

・使われているウールは、丈夫だが、やや脂が少なく、
おそらく自分たちが飼っていた羊のもののように思える。

・茜などの染色も、自分たちで染めたような素朴な色合いである。
(アンティークの鮮やかな天然染料はプロの染物師によるものだと、私は考えている)



・比較的大きな補修跡が見られるが、自分たちが補修したのではなく、
なんらかの理由で、使われていたソフレが売られ、現地業者が補修したような印象だ

このようなことから、遊牧民が自家用に使うために、
羊の飼育から織り上げるまでの、ほぼ全工程を担った
ピースではないかと考えている。

あくまでも推測ではあるが、これまで部族絨毯と接してきた経験から得た自分なりの考えである。



* * *

「踏んではいけない」のタイプの話に戻ると、
売るために織られた新しい絨毯は人生を歩みはじめたばかりで、ある意味で白紙状態だ。

私がクムシルク絨毯を踏めなかったのは、
踏んでしまうとシルクも変化を受けるし、汚れがつくかもしれない。
商品価値が損なわれるのは「もったいない」からだったと思う。

一方このバルーチのソフラは、自分の経験と歴史を背負っている
実際にアフガニスタンの大地と空と水のなかから生まれ、
日々の糧を準備するために、遊牧民のおっかさんの欠くべからざる相棒として働いた。
厳しい自然環境のなかで生き、危険な目にあったかもしれない。
なんらかの理由で、おっかさんとは別れてしまって、
絨毯屋が補修職人に頼んで補修され、
思いもかけなかったことに日本人の絨毯屋さんの手に渡り、
そいでもって千葉県の我が家にやってきたのである。

これを手にしたわたしはどうかというと、
このソフレの経験と歴史にははるかに及ばない、チャチい生き方しかしてこなかった。

力関係は、わたしよりソフラが圧倒的に上なのだ!

「日々の糧を得るため」のソフラだから踏めない、というのもモチロンだが、
このように考えてくると、
ソフラが「なめんじゃねーよ!」とわたしを威嚇していたのである。

「(オメーごときに)踏まれてたまるか!」

ソフラは声ならぬその存在感で、わたしの足を跳ね返していたのである。

 
2019.09.01 Sunday

17. 「バルーチのソフレを踏んではいけない」


はじめてオールド絨毯を買ったA店では、様々な絨毯、キリム、布類を扱っていた。
30年から40年くらいのオールドのものが中心で、何点かがアンティーク。
オープン当初は男性がオーナーだったせいか、品揃えも女性店主の店とは少しタイプが異なっていた。
落ち着いて渋い印象の絨毯やキリムは、それまで他で見たことがなく、
「へえ、こんな絨毯があるんだな」と新鮮だった。

アフガニスタン、イラン、トルコ、ウズベキスタンのさまざまな民族の織物。
部族絨毯ビギナーの私には、地名・部族名・技法用語・アイテム名などがごっちゃになって
何が何だかわからなかったが、逆にそこに好奇心をそそられたのかもしれない。

IMG_0914.jpgIMG_0915.jpg

『キリムのある素敵な暮らし』より

いくつかの国のなかで、一番印象深かったのがアフガニスタンである。
トルクメンの他に、バルーチ、ハザラ、ウズベク、アイマックなどたくさんのエスニックグループが住み、
それぞれ独特な絨毯やキリムを織っている。

アフガニスタンの毛織物の醍醐味は、やはり「ずっしりした手応えのウールと大地の色」ではないか。
バルーチの「ソフレ(ソフラ)」と呼ばれる食卓布を手にしたとき、
それを織った人や、どんな土地で使われたのか、が知りたくなった。
ギャッベのときは、こんな気持ちにはならなかった。

あとで自分なりに調べるなかで、
遊牧で移動生活をしているため、驚くほど簡易な織り機を使っていること、
織り機の幅が狭いので、同じものを二枚織って、後からはぎ合わせて完成させること、
けれど食卓を彩るために、複雑な織り技法を駆使して、見事な作品に仕上げること、
織るまえには、羊毛を刈り、梳り、撚って糸にし、色を染めるという大変な手間がかかっていること、
このようなことを知りはじめるに付け、つくった人への畏敬の念が湧いてきた。

2010_1111_174036-CIMG0975.JPG

ソフラには、このような正方形のものと長方形のものがあって、
長方形は主に食事ができあがった後のテーブルクロスの役目を持つが、
正方形はナン(パン)を作る際にも使われるという。
いずれにしても、日々の糧をいただくためのキリムである。
(食卓布、テーブルクロスと書いたが、現地では床にそのまま敷いてその上に皿を並べる)

だからわたしは、ソフレを足で踏む気にはなれなかった。
のちに祈祷用絨毯を手に入れるようになってからも、
その上に立ってもいいが、横切ったりしてはいけないと、なんだか本能的に感じた。

* * *

このようにして、わたしと部族絨毯との会話ははじまったのである。
 
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