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2018.01.20 Saturday

ミラス絨毯の3タイプー「メダリオン・ミラス」の謎

 

人生はじめてA型インフルエンザに罹り、

「なるほどインフルエンザというのはこういうものか〜」

という経験値をひとつ増やしたぷぎーであります。クッキーモンスター

 

主に呼吸器をやられて一昨日の夜は寝るに寝られず、しんどい思いをしましたが

きのうから快方に向かい、今朝は近所の公園を歩くことができました。

病気をするたびに健康のありがたさを感じられるように、

人生の嫌なこと苦しいことは、

後でしあわせを存分に感じられるようになるためのものかも知れません。

 

* * *

 

さて、前回ご紹介したハゲハゲのミラス絨毯、

譲ってもらったアメリカのコレクターによると「"Mejedieh Milas"と呼ばれる絨毯」とのことでした。

"Mejedieh" とは何ぞや? と思ってもほとんど資料がなかったのですが、

ネットでわずかにヒットしました。

 

それによると

「トルコがアブデュルメジト一世の治世下(1839-1861)でフランスの色やデザインの影響を受けた絨毯」

とのことです。そうするとあの絨毯はやはり江戸時代末くらいのものですね。

 

他に"Mejedieh Milas絨毯"はないかな〜と探してみましたが、見つかりません。

 

そこでこれを機会に、アンティークのミラス絨毯についてちょこっと調べてみました。

 

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左はアンティーク・コレクタース・クラブ全5巻のトルコ絨毯編。

全体像を知りたいなと思ったら、まずこの本に当たります。

 

右はトルコの文化観光局発行の5冊本で、掲載数550という圧倒的ボリューム。

産地ごとにまとめてくれたら使いやすいのに、とは思いますが、いろんなタイプを知ることができます。

 

コレクターズクラブ本によると、

ミラス絨毯はトルコ絨毯の中でも(欧米人に)一番人気で、

以下の3つの基本形に分けられる、とのこと。

 

・独特の形のミヒラブを持つ「プレイヤーラグ(祈祷用絨毯)」(一番数が多い)

・Karaova 地方から産出される「アダ(「島」の意)・ミラス」(中央四角を二重に囲むデザイン)

・赤地にゴールデンイエローの「メダリオン・ミラス」(極めてレア)

 

前回の"Mejedieh Milas"に似たものはないかな〜、と探しましたが

構図的にはこれが一番近いでしょうか。

 

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中央のフィールドに二つの長方形があり、オーナメントで満たされています。

この絨毯は、タイプとしては「アダ・ミラス」になるんでしょうか。

 

困ったことに、この本には「メダリオン・ミラス」のサンプルが出ていないんです。

そこで、また別の本を当たってみました。

 

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右は以前にブログで取り上げた田村うらら著『トルコ絨毯が織りなす社会生活』。

左が今回の掘り出し本(?)"TURKISH CARPET" by J.Iten.Maritz 。

この本はアンティークまでいかないオールド絨毯が多く、

これまであまり読んだことがなかったのですが、

産地や掲載されている絨毯についての説明が詳しいのです。

 

この本に掲載されている絨毯を見ていきましょう。

 

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独特の形をしたミヒラブのプレイヤーラグ。

推定1875年で、縦糸・緯糸・パイルすべてウール。

画像では「灰色」に見える部分があり、化学染料を思わせるのですが

全体の印象から、やはり古いものだと思います。

たぶん印刷があまり良くないため、実際の色と違っているのでしょう。

インディゴ由来の水色と、オーベルジーヌの紫かもしれません。

 

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アダ・ミラス (その1)

推定1930年。 素材はすべてウール。

中央は「生命の樹」で、本来は典型的なアダ・ミラスのデザインだったということです。

 

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アダ・ミラス (その2)

推定19世紀末〜20世紀初め。

「中央のフィールドに二つの六角形を配したデザインは非常に珍しい。

この時代より後にKaraovaで盛んに織られるようになるアダ・ミラスは色数が少なくなっていく」とのことです。

 

ここで『トルコ絨毯が織りなす社会生活』から、

現在もボザラン村で織りつづけられているミラス絨毯を見てみましょう。

 

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ボザラン村の絨毯はいまなお天然染料で染められているので貴重ですが、

色数という意味では昔よりも減っているのかもしれません。

やはり「アダ・ミラス」のデザインですね。

 

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トルコ西南のエーゲ海近くに、MilasとKaraovaがあります。

 

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そしてボザラン村はここにあります。

「アダ・ミラス絨毯がKraovaで盛んに織られた」という歴史の延長線上に

近隣のボザラン村で、同じタイプの絨毯が織りつづけられているのでしょう。

 

* * *

 

さて、少々横道に反れましたが、ミラス絨毯の3つの基本形の3番目

「メダリオン・ミラス」が"TURKISH CARPETS" に載っていました!

 

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ジャーン!これです!

 

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そして驚きなのが、縦糸と緯糸がコットンなのです!ゆう★

 

トルコの村の絨毯の多くは縦糸も緯糸もウールであり、

仮にコットンが使われている場合は、最初から販売目的で織られたことが考えられます。

 

「メダリオン・ミラス」以外のミラス絨毯は縦糸も緯糸もウールですし、

絨毯のデザインも他のミラス絨毯とはかなり異質だと思いませんか?

 

「オリエンタルカーペットのコレクターがこの絨毯を見てもミラス絨毯だとは思わないだろう」

と説明文に書いてあるくらいですから、やはり「異例」なのでしょう。

 

ノット数も他のミラス絨毯より細かいし、デザイン的にはペルシャ絨毯に近いと思います。

 

ここで『トルコ絨毯が織りなす社会生活』をパラパラめくってみると、気になる記述がありました。

 

ボザラン村の近くの「カラヂャヒサル村」の絨毯は、他のミラス地域の絨毯とはデザインも色も違っているというのです。

 

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この本によれば、カラヂャヒサル村に1896年OCM(Oriental Carpet Manufacturer)の工房が建てられ、

工場が解散する1919年までのあいだ、村のほぼ全世帯の女性たちがその会社の仕事を請け負っていたとのこと。

 十九世紀末にユダヤ人たちが村に織を持ってやってきて、絨毯の工房を建てた。朝から村のたくさんの女性たちがそこへ行き、その日の織り上げた目の数に応じて賃金を得た。

 そこへ一九一〇年か一九一二年のいずれかにウシャックの絨毯工場からデザイナーとして派遣されてミラスにやってきたアテネ出身のひとりの男、つまりギリシャ人が村の工房で働くようになった。(中略)

 彼はデザイン画を熱心に描き、自分で糸を染め、描いたデザインを織って次々に新しい柄見本絨毯を生み出した。 (P.202)

18〜19世紀には、ミラスには相当数のユダヤ人やギリシア人が住み、主に商業・手工業に従事していたが、

第一次大戦敗戦後にナショナリズムが吹き荒れて、村の絨毯工房のユダヤ人たちは追放されてしまったと、、、

 

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これがカラヂャヒサル村の絨毯。

「白地に花柄」が特徴で、先に述べた赤地の「メダリオン・ミラス」とは配色が違います。

 

レアな「メダリオン・ミラス」はもしやカラヂャヒサル村で織られたのでは?

という想像は、これでは立証されないものの、なんらかのヒントを与えてくれるのではないでしょうか。

 

可能性1:カラヂャヒサル村では他の配色やデザインの絨毯も織られたが、白地のものだけが生き残った。

「メダリオン・ミラス」も、じつはカラヂャヒサル村で織られた。

 

可能性2:19世紀末から20世紀にかけて、ミラス地域の他の町でもカラヂャヒサル村と同じように

ユダヤ人やギリシア人が興した工房があり、そこで「メダリオン・ミラス」が織られたが、

カラヂャヒサル村のようにその後もそのデザインが生き残るのではなく、歴史の彼方へと忘却された。

 

、、、などでしょうか?

 

* * *

 

「OCM」について以前書いた記事はこちらです。

 

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それでは、また〜!

 

2018.01.07 Sunday

♪ハゲハゲ♪ ミラス絨毯

 

2018年になりました。

 

去年は絨毯展でなんとなく記事が書けましたが、

この3年以上絨毯・キリムをゲットしていないので、あらたにご紹介するものがナイ!kyu

でも、なんとか新年をスタートさせなきゃ〜、ということで、

このブログにふさわしく、ハゲハゲ絨毯きらきらでスタートいたします!

 

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うわあ〜〜〜〜〜(絶句)アセアセ

 

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トルコ西部のミラス絨毯。19世紀中頃でしょうか。

 

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このオーベルジーヌの紫の濃さ! もう今の染色技術では出せない色だと思います。

 

 

「こんなハゲハゲ絨毯どこがいいの?」とお思いでしょうが

いちばんの魅力は染色の見事さです。

 

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下の部分を見ると、3段ほどパイルの向きが逆になっています。

補修した人が作業しやすいように反対側からパイルを結んだのでしょう。

 

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白のボーダー部分のパイルの向きが逆。

オリジナルのウールの経糸が途中で切れていたかどうかして、

コットンの経糸で補修しています。

 

でも補修に使われた糸のウールや染めはオリジナルに近い良質なもの。

 

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キリムエンドを見ると

左右はオフホワイトのコットンで、真ん中は茜色。

何回も補修を繰り返していることがわかります。

 

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非対称結び(トルコ結び)は、パイルが短くなるとこんな感じ。

 

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すべての色に透明感があって美しいけれど、

個人的にはこの「黄緑」が一番好きかな〜moe

 

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ゆったりしたモチーフの配置もいいですね〜

見ていると肩の力が抜けてホッとします。

 

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パイルが取れて、経糸と緯糸だけになった部分も愛おしい。

アンティークのトルコ絨毯は、緯糸が赤いピースが多いようです。

 

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オリジナルの経糸が残っている部分。

経糸は染めていないウール。

天然の脂分ラノリンを多く含んだつややかな羊毛です。

 

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少しでもダメージをカバーするためか、

裏側が全面リネンの布で覆われています。

 

テーブルクロスのような布なので、プロの補修職人ではなく

コレクターが自力でおこなった作業なのかもしれません。

こういったことをあれこれ想像するのも、古いモノ好きの楽しみ。

 

* * *

 

2018年がみなさまにとって良い年となりますように。ニコッ

 

 

2017.12.28 Thursday

あたらしい年へ SMILE

 

今年前半はほとんどブログを更新しなかったのですが、

10月からの絨毯展で、にわかに記事を書くようになりました。

 

絨毯展にいらしてくださった皆さま、本当にありがとうございました。

 

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今年最後の記事に、トルコのコンヤ地方のフラグメントをアップします。

 

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ボーダーデザインがゆったりしているので19世紀末ではなく、もう少し古いものだと思われます。

 

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インディゴのアブラッシュ(染めむら)がいい感じ♪

 

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地母神のモチーフもおおらかな印象。

 

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つややかなウールを使った手縒り糸をながめているとホッとします。

 

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糸が太くなったり細くなったり‥‥

 

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透明度の高い赤。

絨毯やキリムの「赤」は、たいてい「茶」が混じった色ですが、これは真紅。

インディゴも濃紺に近い部分があり、染色も全体に見事です。

 

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真紅ではなく、いかにも「茜」っぽい色と、オーベルジーヌの紫。

 

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2018年が皆さまにとって良い年でありますように。

 

 

Smile though your heart is aching
Smile even though it's breaking
When there are clouds in the sky, you'll get by

ほほえんで 心が痛くても
ほほえんで たとえ心が折れそうでも
空が雲に覆われていても なんとかなるさ

If you smile through your fear and sorrow
Smile and maybe tomorrow
You'll see the sun come shining through for you

怖くても 悲しくても ほほえむのさ
ほほえんでいれば 明日は
おひさまが 君のために 光を投げかけてくれる

Light up your face with gladness
Hide every trace of sadness
Although a tear may be ever so near

喜びで 顔を かがやかせてごらん
悲しくなんかない ふりをしてごらん
たとえ 涙がこぼれそうでも

That's the time you must keep on trying
Smile, what's the use of crying?
You'll find that life is still worthwhile, if you just smile

挑戦することを あきらめちゃいけない
ほほえんでごらん 泣いたって なんになる?
人生 捨てたもんじゃないって わかるはず

 ほほえんでいれば きっと
 

 

2017.12.17 Sunday

それぞれにとっての "AMAZING GRACE"

 

早いもので2017年もあと2週間となりました。

でも、昔とちがってウキウキした感じがなくなっているのは自分が年をとったせいでしょうか?(笑)

来週はクリスマスというのに、あんまり「盛りあがり感」がない、、、アセアセ

 

それでも体調を崩さないように、

そして心の健康を維持することが大切だと思うので、

一週間に一度は「街」へ出て、心に栄養をあたえようと思っている今日この頃でアリマス。

 

* * *

 

さて昨日は岩波ホールでフランス映画「女の一生」を観て、

かつて周恩来が足しげく通った「漢陽楼」でレタスチャーハンを食べ、

それから明治大学リバティアカデミーのオープン講座「世界の民族音楽を聴く」に参加しました。

 

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たくさん建物があるうち、御茶ノ水駅に一番近い「グローバルフロント」。

明治大学に新しい建物が建ってから敷地内に足を踏み入れるのは初めてです。

 

旧校舎のときは、たしかこの場所から道路を隔てたあたりに明大生協がありました。

私はほかの大学でしたが、神保町へ来るついでに明大生協で文房具や日用品を買った記憶があります。

 

「よろず屋」みたいな感じに物が雑然と置いてあって、

生協職員の接客態度もけっこうユルい感じで、

でも「活気」や、「希望」とは言えないまでも「新しい未来へ向かう感」はありましたね。

 

そのような過去の風景は様変わりし、

新しい風景の中にそびえるビルにも馴染まないと、、、と中へ入りました。

 

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去年の「絨毯好きのつどい」にいらしてくださった石川修次さんが司会と前半のレクチャー。

 

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最初にバンジョーを演奏されたあと、

「開拓から発展への歌のアメリカ史」というテーマで、

とりわけ「アメリカ第二の国歌」と称される「アメイジング・グレース」についてレクチャーされました。

 

1.  Amazing grace!(how sweet the sound)
That saved a wretch like me!
I once was lost but now I am found
Was blind, but now I see.

 

2.  'Twas grace that taught my heart to fear.
And grace my fears relieved;
How precious did that grace appear,
The hour I first believed.

 

3.  Through many dangers, toils and snares.
I have already come;
'Tis grace has brought me safe thus far,
And grace will lead me home.

 

4.  When we've been there ten thousand years,
Bright shining as the sun,
We've no less days to sing God's praise
Than when we've first begun.

 

1.  驚くべき神の恵み!(何という心地よい甘美な響きだろう!)
私のような、よるべき道を見失った罪深い哀れな者をも神は救ってくださった。

かつて私は道を迷っていたが、今は神が私を見つけてくださった。
かつて闇のなかにいた私だったが、今は見え、闇を出て光のなかにいる。

 

2.  神の恵みというものが、私の心に畏敬する(畏れる)ということを教えてくださった。
そしてこれら恩恵が心の不安や恐怖から私を解放してくれた。
神の恵みがどれほどありがたくそして尊く思えたことだろうか。
私が初めて祈り、神の存在を信じたときに。

 

3.  多くの危険や苦難、そしてさまざまな誘惑を乗り越え、
私はようやくここまでたどり着くことができた。
この神の恵みというものが、こんな遠くまで私を無事に導いてくださったのだ。
さらに神の恵みは私を生まれ育った家(故郷・天国)まで導いてくださることだろう。

 

4.  彼の地に着いて一万年も経ったときも、
太陽のように明るく輝きながら
我々は日のあるかぎり神への讃美を歌い続ける、
初めて歌った時と同じように。

 

いただいたテキストによる歌詞と大意ですが、4番の歌詞は後世の人によって加えられたとのこと。

ジョン・ニュートンが作詞したオリジナルの4番以降は次のようなものです。

 

4.  The Lord has promised good to me,
His word my hope secures;
He will my shield and portion be,
As long as life endures.

 

5.  Yes,when this flesh and heart shall fail,
And mortal life shall cease;
I shall possess, within the vail,
A life of joy and peace.

 

6.  The earth shall soon dissolve like snow
The sun forebear to shine;
But,God who called me here below,
Will be forever mine.

 

4.  主(=神)は私に良いことを約束してくださった。
主の言葉は私の希望の支えであり、それを確かなものにしてくれる。
主は私の盾となり、私の一部となってくださるだろう、この命が続くかぎりは。

 

5.  そう、この肉体と心が朽ち果ててしまい、
このかぎりある命が終わるとき、
それでも私は帳のなかに隠されている喜びと平和の命を得ることができるだろう。

 

6.  地球はまもなく白い雪のようにとけ、そして太陽も輝きを失うだろう。
しかし、こんな卑しい私にさえ声をかけてくださった神は、
永遠に私とともにあるだろう。

 

やはり後世の人が加えたという4番は、ジョン・ニュートンの言葉ではないなという気がします。

わたしはオリジナルの5番に惹かれます。

 

ウィキペディアより、以下にジョン・ニュートンの経歴を引用させていただきます。

石川さんの解説では、彼の母が早くに亡くなった後、継母に育てられるなど愛情面で恵まれなかったこともあり

「へそ曲がりであった」ことなどが紹介されました。

思うに、ジョン・ニュートンは心がすさみ自暴自棄的な毎日を送っていたのではないかと想像します。

それが運命によって自らの過ちを悟り、時間をかけながら魂を恢復させていったのではないでしょうか。

 

作詞者はジョン・ニュートン (John Newton,1725–1807)。作曲者は不詳。アイルランドスコットランド民謡を掛け合わせて作られたとしたり、19世紀に南部アメリカで作られたとするなど、諸説がある。

ジョン・ニュートンは1725年イギリスに生まれた。母親は幼いニュートンに聖書を読んで聞かせるなど敬虔なクリスチャンだったが、ニュートンが7歳の時に亡くなった。成長したニュートンは、商船の指揮官であった父に付いて船乗りとなったが、さまざまな船を渡り歩くうちに黒人奴隷を輸送するいわゆる「奴隷貿易」に携わり富を得るようになった。

当時奴隷として拉致された黒人への扱いは家畜以下であり、輸送に用いられる船内の衛生環境は劣悪であった。このため多くの者が輸送先に到着する前に感染症脱水症状栄養失調などの原因で死亡したといわれる。

ニュートンもまたこのような扱いを拉致してきた黒人に対して当然のように行っていたが、1748年5月10日、彼が22歳の時に転機は訪れた。イングランドへ蜜蠟を輸送中、船が嵐に遭い浸水、転覆の危険に陥ったのである。今にも海に呑まれそうな船の中で、彼は必死に神に祈った。敬虔なクリスチャンの母を持ちながら、彼が心の底から神に祈ったのはこの時が初めてだったという。すると流出していた貨物が船倉の穴を塞いで浸水が弱まり、船は運よく難を逃れたのである。ニュートンはこの日を精神的転機とし、それ以降、酒や賭け事、不謹慎な行いを控え、聖書や宗教的書物を読むようになった。また、彼は奴隷に対しそれまでになかった同情を感じるようにもなったが、その後の6年間も依然として奴隷貿易に従事し続けた。のちに、真の改悛を迎えるにはさらに多くの時間と出来事が必要だったと彼は語っている。

1755年、ニュートンは病気を理由に船を降り、勉学と多額の献金を重ねて牧師となった。そして1772年、「アメイジング・グレイス」が作詞された。歌詞中では、黒人奴隷貿易に関わったことに対する悔恨と、それにも拘らず赦しを与えた神の愛に対する感謝が歌われている。

この曲のほかにも、彼はいくつかの賛美歌を遺している。

 

レクチャーではバグパイプによるもの、ジュディ・コリンズの清らかに歌い上げるもの、

クラレンス・アシュレイによるリラックスした印象のもの、アメリカの教会でのメロディが違う「朗唱」に近いものなど

さまざまなアメイジング・グレースを音源から紹介してくださいました。

 

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後半は音楽ユニット「やぎたこ(柳澤昌英&辻井貴子)」のお二人による演奏とレクチャー。

後ろにずらりとならべてあるたくさんの楽器を使って

アメリカン・フォーク・ミュージックを楽しませてくれました。

 

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とても楽しい時間でした。

石川さん、「やぎたこ」さん、ありがとうございました。

 

* * *

 

"AMAZING GRACE" は名曲で、だれもがどこかで聴いたことがあるのではないでしょうか。

身構えずに聴いて「ああ、きれいな曲だなあ」と思えるような歌い方は

子どもでも誰でも親しみを持つのではないかと思います。

 

 

私は特定の宗教は信じていませんが、幼稚園がキリスト教系でキリスト教文化には多少なじんできました。

いまでも「たまに」ですが、礼拝に行くことがあります。

 

でも、そこで歌われる多くの賛美歌と、"AMAZING GRACE" はどこか違う、特別な何かがあると感じてきました。

そして原文と日本語に訳された賛美歌の歌詞とも違う。

 

驚くばかりの 恵みなりき
この身の汚れを 知れるわれに

 

恵みはわが身の 恐れを消し
任する心を 起(おこ)させたり

 

危険をもわなをも 避け得たるは
恵みの御業と 言うほかなし

 

御国に着く朝 いよよ高く
恵みの御神を たたえまつらん

(新聖歌233番「おどろくばかりの」)

 

大意としては間違っているわけじゃありません。

よく日本語に訳されたなあと思います。

 

わたしが感じる「違い」というのは、言葉の強さ、激しさです。特に1番の。

"wretch"  "blind" 

きつい言葉が使われています。

「自分自身がそうだ!」と叫んでいるのです。

 

おそらくジョン・ニュートンは経験したのだろうと思いますが、

自暴自棄になって、「この世を呪い、自分をも呪う」ような暗闇のなかをずっと歩いてきて、

あるとき運命によって「光」が見えた、

単なる美辞麗句を並べた歌ではないと思うんです。

 

だから、新垣勉さんの歌うアメイジング・グレイスは居住まいを正して聴きます。

 

 

新垣勉さんがどのような方かについてはこちらです。

 

 

* * *

 

数え切れないほど多くの歌手が、アメイジング・グレイスを歌ってきました。

歌い方はこうでなくてはならない、という基準はありません。

それぞれの人が、それぞれの人生のなかで得てきたものから

この歌をうたい、聴いていけばよいと思います。

 

それだけこの歌は「ふところの深い歌」なんでしょう。

 

たくさん歩いてきて、ずいぶん遠くへ来たなあ、と思うとき、

こんな "AMAZING GRACE" はいかがでしょうか?

 

 

ジェリー・ガルシアの  "AMAZING GRACE"。

 

いやあ、枯れっぷりがいいですねえ。

 

それぞれにとっての "AMAZING GRACE"。

楽しみましょう。

 

2017.12.04 Monday

村山和之氏レクチャー「バローチ民族の生活文化と音風景」

 

昨日は都美術館でゴッホ展を観てから、台東区谷中のエスノースギャラリーに行った。

絨毯屋トライブさんが「アフガニスタンの手仕事ーバローチ族とタイマニ族を中心にー」という展示会をされていて

この日はバローチ研究者の村山和之さんのレクチャーがあったのだ。

 

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トライブさん作成の地図と今回の案内ハガキです。

地図の紫部分がバローチのテリトリー。

 

最初にトライブの榊龍昭さんからバルーチ絨毯について説明があった。

 

・最初は部族絨毯を見ても、どこの部族のものかなかなか分からないが、

トルクメン絨毯とバルーチ絨毯はすぐに分かるようになる。

 

・トルクメン絨毯は赤が多いが、バルーチ絨毯は濃紺やエンジ、こげ茶色など暗いがとてもシックな色調が特徴的。

 

・部族絨毯の中でもバルーチ絨毯は流通している数量が多い。これはバルーチの人口が多いためなのか、

人口当たりの絨毯を織る割合が多いのか、そこらへんはまだ分かっていない。

 

・絨毯を織るテクニックに優れている。

パイル織と平織りだけでなく、刺繍のように見える浮綾織りやもじり織りなど多くの技法を使いこなす。

 

* * *

 

その後、村上和之さんがバルチスタンの映像を映しながらレクチャーをしてくださった。

 

バルチスタンの大学の遠足やバルーチ族の結婚式、石焼パンなど調理の過程、

庭園からブドウをとって食べるようすなど、現地の映像をたくさん見せていただいた。

YouTubeでもなかなか見ることのできない貴重な映像〜!

 

その後、現地で入手してきた衣服やマントなどを見せていただく。

 

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バローチの女性の衣服。

襟元や袖に細かい刺繍がしてある。

参加者は帽子やターバン、マントなどを実際に身に付けたり写真を撮ったりしながら

なかなか訪れることのできない土地のありさまを想像することができた。

 

* * *

 

会場ではバルーチの音楽CDも聞かせていただいたが「悪魔払い」的な意味の音楽らしい。

レクチャーの中でも、ヤギ料理を食べたあと出てきた骨を見て、ある種の占いをする風習があるとのことだった。

 

「わりと日常にシャーマニズム的なものが残っている」というお話は、

部族絨毯で「この文様はどんな意味があるのだろう」と思うことがよくあるので、

とても好奇心をそそられる。

 

バルーチ絨毯には「ニワトリのモチーフ」がよく出てくる。

「先生、今のバルーチ族の中でニワトリってどんな存在なんですか?」と質問してみた。

 

「ニワトリは食用のほか、

暗闇を破る鳴き声を上げる吉鳥とされ、尊ばれています」

 

「闘鶏ってやりますか?」

 

「やります。小型のチャボが多いですね。」

 

とのことだった。

 

レクチャーはとても面白く、帰りの日暮里駅に向かう道ではスーパームーンがとても美しく見えた。

 

* * *

 

部族絨毯の「文様」は非常に面白いテーマだが、異論がたくさんあってなかなか「これが正しい」と言い切れない。

このブログの記事に「文様」の話が出てこなくても、決して興味がないわけではないのだ。

ウソを広めてはいけない、と思っているだけなので、興味はあるんです、ハイ。

 

以前の記事「バルーチ絨毯のデザインについて」で、次のように書いたことがある。

 

バルーチには「ニワトリ」や「トサカ」の文様が多いのですが、
1913年発行の"Encyclopedia of Islam" には
"Baloc" (バルーチのこと)はペルシャ語で「トサカ」を意味するとの記述があります。
当時のバルーチは「トサカのような被りものをしていた」という証言もあるそうです。

 

ニワトリがバルーチの象徴的存在であることを知ったとき、正直「???」な印象だった。

私の頭のなかでニワトリは「お肉」であり「卵」であり、

姿かたちも白い羽根に赤いトサカの「白色レグホン」しか思い浮かばなかったからである。

嗚呼! 貧困なる想像力! ゆう★

 

改めてJeff W Boucher "BALUCH WOVEN TREASURES" を開いてみた。

 

 

このルコルシ(ソフレ=食卓布)の四隅に配されている鳥は、バウチャーは「オンドリ」だと説明している。

「遊牧民にとって、オンドリは闇夜を取り払い、家庭を悪魔から守る、栄光と勝利の象徴である」

 

コケコッコー!

これは非常に説得力がある説明だと思う。

 

ところが同じバウチャーコレクションでも

 

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このピースの鳥は「クジャク」と説明されており、

 

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これも「クジャク」と書かれてあるんですよ。

 

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これは JAMES OPIE "TRIBAL RUGS" のカシュガイ族のホースカバーの一部。

これは形状からして、確かにクジャクだと思いますが、

上のバルーチの二枚を「クジャク」とするなんらかの根拠があるんでしょうか。

 

確かに「クジャク」はペルシャ文化においても伝統的に「霊鳥」とされているようなので

バルーチもクジャクを尊重したって不思議はありません。

 

でも、このカルチャーラジオを聞いてからは

「ニワトリ」について、もっともっと可能性があるんじゃないか?!と思っているのです。(笑)

 

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たまにNHKのラジオ第2を聞くのですが、

今年の4月にこのテキストを本屋で見かけたときは

「世の中にはヒマな学者がいるもんだなあ」と思ってしまいました。

(申し訳ありません! 矢野晋吾さん!)

 

ところがあるとき、たまたま放送が聞こえてきたら、むっちゃ面白いではありませんか!

<ニワトリ=「肉」「卵」「白色レグホン」>方程式が、木っ端みじんに破壊されました〜ゆう★

 

まずは上のテキスト表紙、伊藤若冲の絢爛豪華なニワトリをごらんください!

なんと美しい鳥でしょう!

 

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テキストより、ニワトリの先祖と考えられている「セキショクヤケイ」。

鮮やかに輝く赤・黄・青・緑・茶・白!

 

そしてこのテキストでは、バウチャーが言うとおり

 古代ペルシャ民族のひとつ、ツェンダ族の場合、雄鶏は「夜の悪魔を追い払ふと云ふ警戒の象徴として尊重せられ」(『家畜系統史』)警戒心の強い雄鶏に対する崇拝観念は高まり、神聖なものとされ、特に死体置き場に見かけられたという。当時、火と犬と雄鶏がペルシャ人の守り神の偶像だった。

 ローマ人は「この神霊を有った鳥を『鳥占ひ』として過度に尊重した」(同)。誰も責任をとれないような重大な事件の場合には、「鶏の番人」は鶏を使って占いをしたという。(中略)

 このほかにも、アンドリュー・ロウラーは、ゾロアスター教のペルシャ人は「雄鶏は悪霊と魔術師に対峙させるために創造され、「雄鶏が鳴くと、災難の‥‥発生が防がれる」(『ニワトリ 人類を変えた大いなる鳥』)と考えている点を指摘している。

 

これはごく一部の引用ですが、

ニワトリはかつては世界的に「霊鳥」とされていたことが縷々語られるのです。

 

このほか「闘鶏」がその社会の文化にとって大きな位置を占めていたことなども語られます。

ニワトリは「勇敢さ」「強さ」の象徴でもあったのではないでしょうか。

 

* * *

 

今回はこのくらいにしておきますが、

振り返って、上のバウチャーの「クジャク」とされるバルーチ絨毯モチーフ、

しつこいですが、「ニワトリ」である可能性はないんでしょうか?

 

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注目はこの「ケヅメ」の形と、全体像の中での尾羽のバランスです。

2枚のピースのモチーフの足の形や全体のシルエット、

「クジャク」よりも「オンドリ」に似ていると思うんだけどなあ。あ

 

 

2017.12.03 Sunday

永井荷風の誕生日

 

12月3日は永井荷風の誕生日。

昨日は市川市文学ミュージアムに行ってきた。

 

『「断腸亭日乗」起筆百年を記念して

永井荷風展

荷風の見つめた女性たち』

 

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市川市は多くの文学者たちが住んだところで、文教政策にも力を入れている。

中央図書館の館内にはミュージアムもホールもあって立派だけれど、

なによりも図書館が多くの親子連れなどで賑わっていることが印象的だった。

 

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今回のフライヤー、入場券、プレゼントの「しおり」だけれど、

このフライヤーの四隅にある「イメージ画像」にはちょっと面食らった。

 

いまはミュージアムも人を呼ぶためにいろんな工夫をしていて、

特に国立科学博物館などの「人を呼ぶ展示方法」は隔世の感がある。

 

上の「イメージ画像」も結構な予算をかけて撮影しているんだろうけど、

個人的にはチープな感じが否めず、ちょっとついていけない。

展示には『断腸亭日乗』の原本というお宝があるのに、なぜそれを表面に配さない?!ゆう★

(テーマが荷風先生なので、ちょっと毒づいてみました)

 

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(展示会パンフレットより)

 

『断腸亭日乗』の原本を見たのは初めてだったが、

比較的小ぶりで(日記だから当然か)、

しかし雁皮紙に刻まれた墨の色いまだに鮮やかで、侍の血を引く荷風の達筆、

「掌中の玉」といってもよいほど美しかった。

 

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『東京人』12月号と展覧会パンフレット

 

ちなみに『東京人』には、市川市文学ミュージアムに膨大な「荷風コレクション」を寄贈した

近藤邦男さんの記事も載っている。

 

書籍千二百九十五点、雑誌千八百十三点、荷風原作の映画や演劇のポスターやチラシ、

写真類や荷風関係の記事を掲載した新聞雑誌のスクラップ類、トータル五千点近くだという。

たとえばポスターやチラシ、新聞記事などは、その時にはありふれたものであっても、

時代を経て生きる人々が入れ替わっていくと、コレクションの価値が飛躍的に高まる。

 

コレクションの醍醐味ってこれだよなあ。

それに比べると私なんて、物欲にまかせて集め散らかしたという感じ。ゆう★

 

昨日は『荷風と東京』などの名著がある川本三郎さんの講演、

そして川本さんと持田叙子(のぶこ)さんとの対談があった。

 

川本さんの描かれる文章は、眼差しが温かくて好きだ。

初めてご本人のお話を聞けたが、やはり温かなお人柄を感じさせた。

 

川本さんが「散歩の荷風」を書いたとすれば、持田さんは「家の中の荷風」に焦点を当てたとのこと。

ひと昔前は、荷風ファンといえば「中高年のおじさん」だったけれど

持田さんをはじめとする女性の荷風ファンも現れて、荷風の読み方が広がっているようだ。

 

* * *

 

さて、今日は荷風先生の誕生日ということで『断腸亭日乗』をすこし引用させていただく。(一部非常用漢字を変換)

 

昭和19(1944)年12月3日

快晴。日曜日。老眼鏡のかけかへ一ッくらい用意し置かむと思ひて昼飯して後外出の支度する時警報発せられ砲声殷殷(いんいん)たり。空しく家に留る。晡下(ほか)警報解除となる。今日は余が六十六回目の誕生日なり。この夏より漁色の楽しみ尽きたれば徒(いたずら)に長命を歎ずるのみ。唯この二、三年来かきつづりし小説の草稿と大正六年以来の日誌二十余巻だけは世に残したしと手鞄に入れて枕頭に置くも思へば笑ふべき事なるべし。夜半月佳し。

 

(展覧会パンフレットより)

 

今回、その日記を入れていた手鞄も展示されていた。(写真左下)

 

この日記を書いた翌年3月、東京大空襲により住まいの「偏奇館」は焼失するが、

荷風はそのときも鞄を枕元に置いてあったため『断腸亭日乗』は無事であった。

 

その日の『断腸亭日乗』はこちら

 

展示されている『断腸亭日乗』は、荷風にとって一番大切なものだった。

 

それを見ることができた。

昨日はいい一日だった。

 

 

2017.11.26 Sunday

寒〜い冬でもあったかく ♪

 

寒くなるのはつらいけれど、冬支度というのはなんだかワクワクする感じで大好きです。

今週にはもう12月に突入〜! ということで

(特に得意でもないんですが)インテリア写真をアップします。ハート

 

 

なんとな〜く「ややお疲れ」の生活感が漂ってますが(笑)

ご覧いただきたいのは壁にかかったマーク・ロスコのプリント。

 

 

実物の色の温かみが写真では出ていないのですが、

夜はシーリングライトなしで電気スタンドだけにすると、

赤系統の色合いが落ち着きます。

 

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川村記念美術館の「ロスコルーム」という部屋は、

ぼんやり座ってずーっといたくなるところですが、そうもいかない。

 

この TASCHEN PORTFOLIO という画集は最初図書館で借りたのですが

プリントの色がよく出ていたので、古本で探して手に入れました。

 

ついでにパウル・クレーのものも好きな絵がたくさん載っていたのでゲット〜!

 

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廊下に飾ってあります。

ちなみにこれは "CAMEL" という題で、部族絨毯好きのために描かれたような絵?!

 

 

あと、冬になると「灯り」ってとっても心にしみるんですね。

「ミミ・ルウ」というところのオモチャみたいなライトですが、

灯りをともすとイイ感じ。

 

LEDライトって光が冷たく感じられるものがありますが

これはLEDでも紙素材のカバーのせいか、ほっこりした印象です。

 

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クリスマスの彩りも欲しいなあ〜というところですが

あまり大がかりなツリーなどは大変なので、

ちょっとひねった「こけしのサンタさん」とツリー。

 

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これは大昔に買ったドイツのザイフェンのクリスマスピラミッド。

キャンドルを灯すと、上昇気流によってプロペラが回転し、

小さな人形が乗っている台がくるくると動きます。

馬小屋でのイエス・キリストの生誕。

 

心を込めた手仕事でつくられたものは、年月が経っても処分する気にはなれません。

いま見ても、いいなあ、と思います。

 

ずいぶん昔に赤いキャンドルを使い切ってから、そのままになっていたんですが

最近ネットショップで14mmのものを見つけました。

すこし太かったので、下をねじ込むようにしてロウがすこし削れると入りました。

 

* * *

 

寒くなってきます。

みなさま、お風邪などひかれませんように。きらきら

 

 

 

2017.11.18 Saturday

ギャラリートーク2回目 続編

 

ギャラリートーク2回目のつづきです。

 

<遊牧民絨毯の意匠について>

 

本来、遊牧民の絨毯は工房の絨毯のような「下絵」を使いません。

女性は幼いときから教わった、比較的簡単なモチーフをそらで覚えています。

部族に伝わる伝統的な様式に沿うかたちで、

モチーフを自分なりに組み合わせながら絨毯を織るのです。

 

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右側の絨毯を、仮にカシュガイ族の「絨毯1」と呼びます。

「七面鳥」のように見える赤いモチーフは、カシュガイ族の伝統的な文様です。

「スカラベ」だと考える人、「カニ」「カメ」という人、文様に関してはいろんな説があり、

個人的には勉強不足で、自信を持っていうところまで至っていません。

 

ボーダーの文様は、カシュガイ族だけでなく、ルリ族やハムセ連合の絨毯にも見られますし、

フィールド内のモチーフである星や花、鳥や動物は、南ペルシア一帯の遊牧民によって広く使われています。

 

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この絨毯のポイントとして、染めが美しいこと、配色が上手なことが挙げられます。

 

その上で、そらで記憶しているモチーフを組み合わせて夢のある全体像をつくり上げていると思います。

 

ここで強調したいのは、おそらくこの絨毯は「下絵」なしで織られたのだろうということです。

(「ワギレ」と呼ばれる「織り見本」は使ったかもしれませんが)

 

都市工房の絨毯では、専門のデザイナーが考案した「下絵」を方眼紙にトレースし、

織り子はその方眼紙を見ながら織り進めていきます。

その際大切なのは、方眼紙通りに、歪みなく織っていくことであって、

どうすれば全体の構図がよくなるだろうかといった、「手織り作業」以外のことは考えません。

 

一方で「下絵」を使わない遊牧民の絨毯は、全体図を意識しながら織らなければ良い絨毯は織れないのです。

頭のなかに「下絵」というか「イメージ図」のようなものはあるでしょう。

けれども方眼紙を使わずに、イメージ通りの絨毯を織るということがどれほど難しいものか、想像してみましょう。

 

上の写真を見てください。

大きなモチーフ、小さなモチーフ、直線、曲線(のように見える線)、色の取り合わせ、、、

どれとどれを組み合わせていけば、綺麗に見えるか、楽しい絨毯になるか、

織っている女性がどれだけ苦心して、想像力を働かせながら作業を進めたかーー

 

わたしたちもそんなことを考えながら絨毯を眺めると、もっと楽しめるかもしれません。

 

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こちらもカシュガイ族の絨毯で、仮に「絨毯2」と呼びます。

これが「下絵なし」で織られたと考えると、これはもう、特別な絨毯です。

 

「絨毯1」は綺麗ですが、「鑑賞」するつもりでじっくりと眺めていると、やや単調な印象も受けます。

たとえば左上の4分の1をじっと見ていると、菱形モチーフが多用されていて「工夫するのに疲れちゃったかな?」という感じ。

 

それに比べて「絨毯2」のモチーフの多様さや組み合わせ、配色を見ていると、

最初から最後まで心地よいリズム感が継続し、優しさと楽しさが感じられます。

 

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「絨毯1」もまずまずの絨毯ですが、比べてみると「絨毯2」がどれだけ素晴らしいかがわかります。

 

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ボーダーもご覧ください。

どこを見ても細やかな工夫がなされ、織り手の想いが込められているように感じます。

「方眼紙」なしにこれほどの絨毯を織った女性は、どんな人だったんでしょうか。きらきら

 

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「華やかな絨毯」「綺麗な絨毯」、、、いろいろな絨毯がありますね。

遊牧民の絨毯なら、「楽しい絨毯」「力強さを感じる絨毯」などと形容できるものもありますが、

「気品が感じられる絨毯」というのは、めったにありません。

この絨毯には、気品があります。

 

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さて、こちらは「ハムセ連合」と呼ばれる部族連合の絨毯です。

仮に「絨毯3」と呼びます。

 

「絨毯1、2」がおそらく「下絵」を使わなかったのに対して、

この絨毯は「下絵」に近いものか、もしくは「織り見本」を使って織られたのではないかと思います。

というのは、この「ボテ文様」はかなり複雑で、「そらで覚える」レベルではないからです。

 

1回目のギャラリートークでは、この絨毯に関して

織っているうちにタテ糸が足りなくなったことに気づき、一番上の5列目のボテを小さくせざるを得ず、

「4.5ボテ絨毯」になっているという話をしました。

 

なので仮に「下絵」が使われたとしても、

工房のような正確な「下絵」ではなく「デザイン画」のようなものか、

「見本の絨毯」を見ながら織ったものか、という可能性が高いのではないでしょうか。

 

私が手に持っているのは、19世紀にケルマンで織られたショールのフラグメントです。

 

インドのカシミール地方で織られていたカシミールショールが19世紀にヨーロッパで大流行し、

イランのケルマンでもカシミールショールのコピー品が織られるようになりました。

 

もとはショールのモチーフであったボテ文様が、やがて絨毯にも使われるようになり、

下のようなケルマン絨毯が織られます。

 

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"CARPET MAGIC" by Jon Thompson より ケルマン絨毯 推定1900年頃

 

このようなケルマン絨毯の意匠がやがて遊牧民にも伝わり、それを真似た絨毯が織られるようになりました。

 

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"FLOWERS OF THE DESERT" by Jhon J. Collins, Jr より

ハムセ連合 推定1900年頃

 

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同上 ハムセ連合 推定1880年頃

 

上のケルマン絨毯とハムセ連合の絨毯2枚とを比べると、まずボーダーが違いますが、

ボテ文様自体も、写実的なものからやや抽象化されたものへと変化していますね。

 

そして今回の展示会の「絨毯3」はさらに抽象化され、モダンといってもいいボテに変化しています。

 

このように遊牧民の絨毯でも、部族に長年伝わってきた固有の文様もあれば、

当時の流行に影響を受けて生まれたデザインもあるんですね。

 

* * *

 

 

‥‥とまあ、2回目のギャラリートークはこんな感じでした。

 

2017.11.11 Saturday

映画 SONITA

 

2回目のトークの続きの記事を書く前だが、

中東における女性の結婚について考えさせられる内容があったので紹介したい。

 

渋谷のアップリンクで上映中のロクサレ・ガエム・マガミ監督のドキュメンタリー映画 "SONITA" 。

予告編で「難民としてイランに住んでいるアフガニスタンの少女の話」であることを知り、

特別な思い入れもなく見たのだが、ぐいぐいソニータの世界に引き入れられた。

 

兄の結婚の結納金を準備するために、その妹であるソニータが9000ドルで”売られ”ようとする(結婚を強要される)話だ。

ドキュメンタリー映画といっても、監督が主人公の人生に介入していく異例の展開になるのだが、

「ポップスでは私の思いは表現できないからラップを選んだ」というソニータが

絶体絶命の境地で「ミュージックビデオ」を作成してユーチューブにアップした映像に心を揺さぶられた。

 

 

brides for sale  (売られる花嫁)   by Sonita Alizadeh

 

声をひそめて話させて 少女が売られる話だから

批判すれば法典に背く 女性は沈黙を強いられる

 

 

沈黙の代わりに私は叫ぶ 心の傷をさらけ出す

幼くして値札をつけられ 疲弊した体で私は叫ぶ

 

15歳の子どもなのに 男たちが求婚しにやってくる

この慣習には戸惑うばかり 親が娘を売るなんて

 

父親の心配はお金のこと 金額しだいで私を嫁がせる

与えられた食事や服は 無条件の親の愛だと思ってた

見返りが必要な愛ならすべて拒否したのに

 

少女たちは閉じ込められ まるで食用に育てられた羊

”売り頃だ”と言われるけど 目も耳もある人間なの

抗議する羊は見たことある? 涙を流す羊を見たことある?

 

どうか遠くにやらないで 私なら家族を売りはしない

でも命を授かった恩に どうやって報いればいいの?

 

 

もう黙っていられない その手を離して 窒息しそう

話しかけてもらえずに 生きてる実感もなかった

 

死んでいるのと同じなら なぜムチの痛みを感じるの?

口を閉ざされた少女は どう人間だと証明する?

どこかへ逃げるか自殺する? そんな選択はバカげてる

 

たとえ拷問を受けても あなたを困らせはしない

私を売ってあなたが幸せなら ”幸せです”とウソをつく

あなたの苦痛と引き換えに 私の笑顔を差し出そう

 

でもコーランを開いてみて ”少女は売り物”と書いてない

どうか私に構わないで もう化粧はうんざり

化粧でも隠せない顔の傷 こんな扱いは敵でもしない

愛のない人に抱かれたら 誰でも心が傷つくはず

 

私は歌い続けられない あなたの幸せを願うから

だけど私をよく見て この顔を忘れないで

 

もうここを離れるけど あなたの面倒は誰が見る?

残していくあなたへ 私の人形を置いていく

あの子を泣かせないで 私のようにあの子を売らないで

形見として置かせてほしい

 

* * *

 

ユーチューブでは字幕が英語なので日本語とのタイムラグが生じて残念だが

映画を見ているとき、彼女の叩きつけるような声と日本語字幕が合わさり

聴いていて身体が震えた。

 

映画は約2年間かけて撮られたが、

最初の方の彼女の歌と後半の歌では、感情のこもりかたがまるで違う。

それはやはり強制的な結婚を前にして

追い詰められながら、持てる力をふりしぼって抗う経験がそうさせたのだろう。

彼女の表情もまた「考える人」としての深みを増したように感じた。

 

部族絨毯の背景にある大きな世界の一部をかいま見たような気がする。

 

渋谷のアップリンクで上映中

 

 

2017.11.10 Friday

ギャラリートーク2回目 2017.10.14

 

ギャラリートーク2回目の記事です。

 

1回目のトークに来てくださったのは主婦の方が中心で、

絨毯好きの知人があたたかく見守ってくれていたので、比較的落ち着いて話をすることができました。

 

でも2回目はいかにも絨毯に詳しそうな男性(面識がない方)が3人ほど、

「ヤバ! いいかげんなこと喋ったら『嘘つけ!』って怒られるかも‥‥」と怖気づき、

人数も最初15人くらいではじまって、やがて20人くらいに‥‥アセアセ

 

おまけに、絨毯展には絶対来ないと思っていた下の息子が彼女を連れて参加! 

トークの日は知らせていなかったのにナゼ?! と思いきや、

いつのまにかブログを見つけて読んでいたらしい。

「かあちゃんのブログ笑える〜! 『テヘ』とか書いてあるし」ゆう★

 

そんなこんなで、わずかなコトで動揺する私の「アワアワ」が炸裂! マジで

話している途中も「アレ? 次ナニ話すんだっけ?」とフリーズ。

でも話しているうちに、みなさん好意を持ってくださっているのがわかってきて

なんとかトークを無事終えることができました。

 

参加してくださったみなさま、ありがとうございました。ハート

 

* * *

 

さて、内容です。(今回も一部加筆してあります)

 

<なぜ古い絨毯が好きになったのか?>

 

この会場に展示してあるのは、19世紀末に織られたと推定されるものが大半を占めています。

 

絨毯との最初の関わりは、新しく織られたギャッベだったわけですが、

やがて、織られて数十年経ったオールド絨毯の魅力に惹かれてゆき、

さらにはそれでも物足りなくなり、100年を超えるアンティーク絨毯を追い求めるようになりました。

 

なぜ古い絨毯に魅力を感じるかというと、

まずウールという素材が、使うにつれて表面の毛羽が取れ、ツヤが出てくる点があります。

シルクの絨毯は最初からツヤがありますが、ウールの絨毯は時間をかけてツヤが出てくるんですね。

 

そしてだんだん化学染料と天然染料の違いがわかってくるようになりました。

天然染料の場合は、時間とともに色がより一層美しくなるんです。

 

なぜ「草木染め」と言わずに「天然染料」と言うかというと、

植物由来以外にも「コチニール」などの「昆虫染料」も含まれるからです。

 

日本の草木染めは、わりと穏やかな色が多いようですが、

中東地域の天然染料は、わりと濃い色が好まれます。

それが時間とともに余分な染料が落ちるとともに、

「色褪せる」というよりは「熟成する」といった方がいい変化を見せます。

 

また、ちょっと表現しにくいんですが、「古いものが時間とともに身に纏う雰囲気」というものがあります。

たとえば数年前に実家に帰ったとき、母が私のお雛様を飾ってくれていたんですが、

「あれっ? 昔はこんなに良いお雛様だとは思わなかったんだけど、

なんだかいい感じになってる」と思ったことがありました。

お雛様が50数年という歳月のなかで「何か」を身に纏ったのかもしれません。

 

<古いものならなんでも良いわけじゃない>

 

では、古い絨毯ならなんでも良いかというと、そんなことはないんです。

 

一般論としてアンティーク絨毯は、糸の質や染料、文様の力強さなどが優れていると言われます。

でも昔だって、質の良くないウールもあったでしょうし、

織りの技術がイマイチだったり、バランスの悪い意匠の絨毯もたくさんあったと思います。

 

ただ、そういう絨毯はたとえば「敷物」としての「使用価値」がなくなると、

自然と廃棄されていったんではないでしょうか?

絨毯は役目を果たして、その一生を終えていったんだと思います。

 

一方、かなり痛んでしまったけれど、なお見事な手仕事である、捨てるに忍びない、

と思われたものは、フラグメントとしてでも生き残っていきます。

そうやって淘汰されて残っているアンティークは、

残るべくして残ったという部分があると思うのです。

 

* * *

 

<嫁入り道具としての染織に優れたものが多い>

 

[  その1 名古屋の嫁入りとトルコの村に残る風習  ]

 

遊牧民の染織をこうして集めてきて感じるのは、特に「袋物」ですが、

「嫁入り道具としての染織に優れたものが多い」ということです。

 

一頭の羊でも部位によってウールの質が違いますし、

春に刈る毛と秋に刈る毛では、春の毛の方が質が良い。

娘が生まれたその日から、その家では嫁入り道具に使うための「とびきりのウール」を貯めていきます。

原毛から糸にする作業も、念入りに梳き、丁寧に紡ぎます。

染色も、手間と時間をかけて選りすぐりの美しい色に染め上げます。

織りの作業も花嫁と母親の腕の見せどころ。

 

嫁入り道具としての染織は、一世一代の大仕事なのです。

 

ちょっと話が外れますが、「名古屋の嫁入り」ってご存知でしょう。

今はライフスタイルが変わってきているので昔ほどではないかもしれませんが、

名古屋は嫁入り道具や結婚式など、とても豪華だと言われていますよね。

 

結婚が決まると、豪華なブライダル家具一式を買うわけですが、

それを新居に運ぶ前に、まず花嫁さんの実家に運び、近所の人たちにお披露目会をするようなんですね。

家具を運ぶトラックも、紅白の幕をかけて、家具が見えるように一部ガラス張りになっているものもあるとか。

そうやって「うちはこんなに立派な嫁入り道具を揃えたぞ!」というメンツを競う場でもある。

 

一方、これと似たような風習がトルコの村にもあるんです。

 

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”NOMADS IN ANATOLIA” より

 

結婚式の前にお嫁入り道具一式を揃えた花嫁さん宅では、近所の人を招いて「お披露目式」があります。

 

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衣類や寝具など、ありとあらゆるものを公の目に晒して、

「うちはこんなに立派な嫁入り道具を揃えました!」とデモンストレーションするわけです。

 

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この村では、定住して大きな絨毯を織ることはなくなっても、

遊牧生活の象徴的な「アラ・チュバル(色糸でグループの文様を織り込んだ収納袋)」だけは織るようです。

花嫁が織ったチュバルをラクダに括りつけて、結婚式のパレードがはじまります。

 

いまや純粋な意味で遊牧生活を営む遊牧民はほぼいなくなってしまいましたが、一部の風習はこうして残っています。

ただこの写真も1970年代のものなので、いまも風習が同じように続いているかどうかはわかりません。

 

 

[  その2 堅牢な実用品&部族のアイデンティの象徴    ]

 

日本の私たちは、必要な家財道具がなければ気軽に店で買うことができます。

しかし昔の遊牧民はそんなことはできませんでした。

 

結婚して独立した家庭を営む際、嫁入り道具として持ってきたものが家財道具のほぼ全てであり、

それを何十年もずっと使うわけです。

袋物にせよ、敷物にせよ、長い間の使用に耐えうる堅牢性が求められます。

 

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「敷物」としての絨毯も大事ですが、遊牧民にとって「袋物」というのは非常に大切な存在なんですね。

 

一番左の「ヘイべ」はわりと小型で、男性がバザールなどに行くとき、肩にかけて使ったようです。

それ以外にもロバや馬の背にかけて使う「鞍掛袋」、

宿営地の移動の際には、ラクダの両脇に吊るす「マフラッシュ」や「チュワル」などがあります。

 

バザールに行けば、他のトライバルグループや定住する村人との接触があります。

宿営地の移動の際も、やはり一定の緊張関係を持った「他者」との遭遇があります。

そのときに、袋の文様などから「バルーチ族だ」とか「カシュガイ族だ」といったことがわかります。

 

色鮮やかで堂々とした袋や、ラクダの荷物を包むように掛けられた絨毯・キリムが

かれらのアイデンティティーや部族の誇りとなるわけです。

 

嫁入り道具として織られた絨毯や袋物は、社会的に非常に重要な意味を持つんですね。

 

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(つづく)

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