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2019.07.05 Friday

3. 「安心感」と「目の栄養」


ギャッベに魅せられてからは、ネットショップのサイトをしょっちゅう眺めていた。
新商品が出た場合は、一枚一枚の柄や色をチェックして、欲しいかどうかを考えた。
といってもあの頃は見るものすべてが魅力的で、全部欲しかったのだが、、、(爆)

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ショップのサイトでは、「お客様のお部屋紹介」といった
購入したギャッベをインテリアにどういう風に使っているか、
写真が掲載されているページは見るのがとりわけ楽しみだった。

あの頃わたしは一体、ギャッベのどこにそんなに惹きつけられていたのだろう?

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ひとつには、厚くてモコモコした絨毯に「安心感」を感じていたような気がする。
購入したギャッベを見て、成人した長男が言った。
「あー、オレこんな絨毯の上でレゴ(ブロック)したかった〜!」

なるほどなあ、とわたしは思った。
子どもが部屋で遊ぶとき、ギャッベのようなどっしりした絨毯の上ならば、
なにかに包まれている感覚、といえば良いのだろうか、安心して遊べるような気がするのだ。

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「安心感」は、厚さとモコモコ感だけではない。
やはり素材が羊毛で、「天然素材100%」というところも大きいような気がする。
それまでウチは化繊のカーペットを敷いていた。
使っていると、静電気が起きてカーペットはだんだん黒ずんできて、素材もへたれてくる。
やはり素材の良し悪しは大切だと思う。

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もうひとつは、見ているだけでハッピーな感じがしたことだ。
羊毛の自然な質感、シンプルな柄、赤、紺、黄、緑、茶などの明るい色づかい。

もちろん踏んだときのしっかりした「手ごたえ」ならぬ「足ごたえ」、
どっしりとしたパイルをそっと撫でてみたときの指の感触、
そうして、はじめてその上に座ったときのフワッとした弾力性など、
はじめてギャッベと「触れ合った」体感、触感も忘れがたい。

それらを体験してからは、ギャッベを「見ているだけでうれしくなる」ようになったのだ。

人間は食べ物から栄養をもらって生きている。
いまのわたしは、目からも栄養をもらわないと生きていけないカンジがする。(笑)

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最近は、全般的にすっきりしたインテリアが好まれているようだし、
たいていのミニマリストは「マット類は要りません!」という考えのようだ。
でもそのなかで、ミニマリスト関連の人気ブロガーAさんのお部屋の写真をみると
スコーンとすっきりしたリビングに、ピアノとホジャロシュナイ絨毯が置いてあった。
素敵だなあ、と思った。

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家は自分がいちばんホッとできるところ。
そこに自分の好きな「色」があって、自分の好きな「質感」のモノがあることは大切だ。

モノの素材と色が醸し出すオーラ、
見ているだけで幸せになるようなモノ。

絨毯は「目の栄養」なのだ。

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2019.06.24 Monday

2. 販売員が語ったこと


最初の販売のおにいさんから
「遊牧民の女の子は物心がつくと絨毯を織る練習をする」
という話を聞いて感激したことを書いたけれど、
それから数年後に、Jon Thompson "ORIENTAL CARPETS" ("Carpet Magic"という本も内容はほぼ同じ)
という本に、トルクメンの女の子が「絨毯織りのままごと」をしている写真をみつけた。



その後、そのスーパーの催事場の絨毯売り場には3回行った。
毎年秋になると、スーパーと契約している絨毯の会社が社員を派遣しているようだった。

最初のおにいさんは、上記の話のほか染料の話をした。


「この絨毯の色はぜんぶ草木染めなんですよ。
紺は藍、茶色はクルミ、黄色はサフラン。
この赤はなにから染められていると思いますか?」

えっ! 染料のことなんか考えたこともなかったわたしは、その深みのある赤色をじっと見つめた。

(うーむ、この赤と同じ色は、、、。えっと、えっと、、、そうだ!)
「ザクロですか?」

とおそるおそる答えた。

すると、あろうことかおにいさんは
「ピンポ〜ン! 正解ですぅ〜〜!」
と言ったのである。

なにも知らないわたしは、答えをハズさなかったことにホッとしたのだが、
そりゃないよね!
赤の天然染料の材料といったら、基本は西洋アカネでしょう。

なぜおにいさんが誤答を正解と言ったのか、いまだによく分からない。
客の気持ちを傷つけまいとしたのか。
それとも本当に知らなかったのか。
* * *
次の年の販売員はアフガニスタンの人だった。
.
売り場には、売れ行きが良いのか、やはりギャッベがたくさん並べられていた。
そのほかには、リビングサイズのいわゆる「ペルシャ絨毯」があったが
わたしは「きっと高いだろう」と思ってそちらには近づかなかった。
.
そのときは「ギャッベ・マイブーム」がつづいていたので、ギャッベをしげしげと眺めていたら
「こんな絨毯もありますよ」と言って
1.5m×2m前後の絨毯を積みあげているのをめくりはじめた。
.
彼が見せたかったのは、赤地に黒か紺の文様が描かれている渋い印象の絨毯だった。
「これはアフガニスタンの絨毯」
彼は少し誇らしげに言った。
.
へえー、こんな絨毯があるんだ〜!
いわゆる「ペルシャ絨毯」とはぜんぜん違う印象の絨毯を見て、ちょっと驚いた。
.
でもそのときはギャッベに凝り固まっていたので、選択肢には入らず、
「絨毯って、足の油を吸収するって聞いたことがあるんですけど、、、」
とか、どこから仕入れたのか自分でも分からない話題を振った。
.
「お客さん、詳しいね」
と、今回もまた客の面子をつぶさないような返答をした。
.
「これ、何ノットですか?」と尋ねると
「アフガニスタンの絨毯は、ノットはあまり重要じゃない」という。
.
まあ、とにかくギャッベ以外は目に入らなかったので、
またギャッベのコーナーに戻ると、
「ギャッベは死んだ羊の毛を使っている」
というではないか!
.
思い返せば、彼にはきっと自分の好きな絨毯がはっきりとあったのだ。
.
故郷アフガニスタンの絨毯こそが「本当の絨毯」であり、
いま流行りかけているギャッベなんか「本当の絨毯」じゃない!
.
わたしに見せてくれたのは、トルクメンのテッケに似たタイプの絨毯だった。
表面がなめらかで織りもきちんとしていたから、もしかしたらホジャロシュナイだったかも?
.
彼は仕事なのでギャッベも一緒に売らざるを得ない。
にもかかわらず、「ギャッベは死んだ羊の毛を使っている」とディスるなんて!!
.
* * *
.
その後「死んだ羊の毛」については、ずっと謎だったが、
R.D.Parsons "Oriental Rugs Vol.3 The Carpets of Afganisutan" に少しだけ書かれてある。
.
アフガニスタンで商業用絨毯がたくさん織られるようになった過程で
一部の業者が原料価格を抑えるために、
革なめし業者のところで出た「死んだ羊の毛」を混ぜることもあったようだ。
.
それを使った絨毯は、毛がパサパサしていてツヤがなく、
絨毯として使っていても抜け毛が多く、耐久性がないとのこと。
.
一度ヤフオクで買った小さいギャッベで、やはりそういうものがあった。
彼がいった言葉は、完全に間違いというわけではない。
.
でもわたしはほとんどのギャッベを専門店から買ったのだが、
使われているウールの質も良く、
けっして「死んだ羊の毛」は使われていなかったと思う。
.
O店もC店も、奥さんが日本人で旦那さんがイラン人のお店だ。
仕入れのときは、たぶん一枚一枚選んでいるのだろうと思う。
.
そういうことで、彼がいった「死んだ羊の毛」はぬれぎぬの場合が多いと思うが、
きっとなかなか帰れない故郷アフガニスタンで織られた絨毯こそが「本当の絨毯」、
という彼の気持ちには、なんとなくしんみりさせられる。
.
.
(前回から「改行」がうまくできないので『.』でごまかしています。
目ざわりでごめんなさい)


 
2019.06.21 Friday

1. それはギャッベからはじまった


「わたしの絨毯編歴」(もしくは物欲編歴)というシリーズの1回目です。
「わたしの絨毯編歴」とエラそうに言っているが、じつはその歴史はたいして長くない。
たしか2005年の晩秋に近所のスーパーの催事場を通りかかったのがきっかけだった。

いまでは新しいものよりもハゲハゲ&ボロボロの絨毯が好きになってしまったが、
最初に購入した手織り絨毯は、新しく織られたギャッベだった。

暖色系の、なにやらほんわかする印象の、厚手の小さめ絨毯がワゴンに積まれている。
赤、黄、紺、茶、白...ざっくりとした太めの毛糸。
模様もシンプルで、単純なボーダーや四角、子どもが描いた絵のような動物たち。

冬に向かうその季節、こんな明るい色のふかふかした絨毯があると素敵な冬が過ごせるかもしれない...
そう思って値段をみてみたが、けっこう高い。
だってそれまで化繊の敷物しか使ったことなかったんだもん、「手織り」なんだからやっぱり高いんだ。

そこで「お買い得品」の座布団サイズの絨毯を見ると7000円ほど。
模様はないけれど、温かみのあるオレンジ色に自然の色ムラがあって、いい感じだった。

購入を決めたのは、販売のおにいさんの言葉。

「これは遊牧民の女性が織ったものなんですよ。
イランの遊牧民の女の子は、物心がついた頃から絨毯を織る練習をします。
上手に絨毯を織れるようになったら、自分の織った絨毯を持ってお嫁入りするんです」

エッ、そうなの!!!
わたしなんか服のボタンをつけ直すのが精一杯なのに、
ヨチヨチ歩きの(?)ちっちゃな女の子が、一生懸命絨毯を織るなんて!

とまあ、おにいさんが語る「物語」に感激して、
「お買い得品」の座布団サイズのギャッベを衝動買いしてしまった。
その後、絨毯編歴を重ねるうちに、
いま日本で売られているギャッベのほとんどは、遊牧生活で使われた本来のものではなく、
販売のおにいさんが語った物語は、すでに過去のものとなったことを知るが、
その後もずっと、わたしはどこか、遠い国の「物語」を探しているのかもしれない。
* * *
イランに行ったこともない。
遊牧民に会ったこともない。
引きこもり系の私が絨毯を買ったのは、ほとんどネットを介してであった。
.
オレンジ色のギャッベを見ていると、なんだかしあわせな感じがした。
「これ、いいかも!」
.
パソコンに「ギャッベ」という文字を打ち込んで検索する日々がつづいた。
やがて、O店とC店というネットショップを見つけ、何枚も購入した。
座布団サイズ、玄関マットサイズ、ルームサイズ。
いかんいかん、ここらへんから物欲が炸裂しはじめている。
.
以前も書いたが、「ギャッベは厚ければ厚いほどイイ!」と思い込んでいた節があったし、
織り方もオリジナルとは違って堅牢に織られていて、硬くて曲がりにくいし、
パイルの量がハンパないから、重い!
.
厚い、硬い、重いの三拍子に負けはじめて逆放出! ギャッベを手放しはじめた。
一体なにをやっているんだか...
親戚や知人に譲るほかヤフオクで売って、現在うちに残っているのは3枚である。
.
.
リビングのイージーチェアの下に敷いたインディゴのアブラッシュのギャッベ。
小さな動物がちょこんと織り込まれている。
.
.
私の部屋に敷いてある、ちょっとモンドリアンっぽいギャッベ。
その下にはベシールの穴あきカーペットが敷いてある。
この上で毎日朝晩ストレッチをしている。
.
.
裏側の織りとセルベッジ(耳)とフリンジ。
パイルに使われているウールはまあまあ良いものだが、フリンジに出ている経糸に注目。
パサパサした毛も含めてさまざまな品質のウールが、機械で混ぜられてできた糸。
.
話がそれるが、絨毯編歴をつづけているうちに、経糸の品質はかならずチェックするようになった。
.
.
北側のパソコン部屋のゾランヴァリ社ルリバフのギャッベ。
特にブランドにこだわったわけではないが、このギャッベはウールも染めも織りも良いと思う。
写真はちょっと寒色系に写っているが、実物はもっと良い色。
.
「ルリバフ」で検索すると似たデザインのギャッベが出てくる。
基本のデザイン画があるのだろうけれど、きっちりした「方眼紙」の下絵ではなく、
ある程度、織る人の感性に任せられている部分があるようで、
模様の線がやわらかく、"生きている"感じがしたので購入した。
.
ちなみにこれはイギリスのKnight Antiquesから。
(いまアンティークが少なくなったせいか、店名が変わってしまったけれども)
.
.
絨毯の端を織り込んであるので経糸が見られない。
緯糸が赤のものは、古いカシュガイ族の絨毯にときどき見られる。
「ルリバフ」は「ルリ族の織り」という意味だと思うが、実際にはそうでないのかな?
織った人の名前なのか、文字が織り込まれているので、会心の作なのかも?
.
そんなこんなで、わたしにとっての「ギャッベの時代」は3年ほどつづいたと思う。
2019.06.14 Friday

お久しぶりです

 


最後の記事が去年の6月28日なので、ほぼ一年ご無沙汰しておりました。

みなさまお変わりありませんか?
 

 

このブログはもともとアクセス数は大したことなかったのですが、

休止中?のあいだも訪れてくださる方がいらして、うれしいなぁと思っていました。

けさ、久しぶりにカシュガイ族のバッグフェイスを出してみました。



最近、カディコットンなど布物を眺めることが多かったのですが、
やはり毛織物の奥行きのある質感はいいですね。



お日様の光が当たって、すこしハレーションを起こしていますが
やっぱり部族絨毯のウール、染め、織りには独特の魅力があります。



いま、自分の絨毯遍歴をふり返る作業にかかろうとしています。

ときどき更新します。

どうぞよろしく〜!


 

 

 

2018.06.21 Thursday

続 「トランシルバニア絨毯」の本


「トランシルバニア絨毯」の本の紹介のつづきです。




いわゆる「ダブル・ニッチ」と呼ばれる壁龕が上下に二つ配置された絨毯は、「トランシルバニア絨毯」のなかでも代表的なデザインです。
「カルトゥーシュ」と呼ばれるメインボーダーが特徴的。

このピースは茜、インディゴ、緑、オークル、白の色使いで、トルコ西部の村の絨毯のルーツはここかな、と思わせます。
ただアンティークのトルコ絨毯によく見られる「オーベルジーヌ」(茄子紫)は、この本では見当たりません。

開放的で明るく楽しい気分が感じられますね。 「黒の教会」所蔵の17世紀初頭のもの。



フィールドが黄色のものも多く見られるようです。



こちらは「シングル・ニッチ」で、壁龕がひとつのタイプ。

聖マーガレット教会の17世紀前半のもの。



「シングル・ニッチ」絨毯は、特に宗教的な意味を持たないとされていますが、このタイプは「祈祷用絨毯」に区分されています。

メインボーダーは「オスマン・パターン」と呼ばれています。
「黒の教会」の17世紀末のもの。



やはり黄色のタイプもあります。
もとはトランシルバニアの教会所蔵でしたが、現在は Brukenthal Museum にあります。17世紀後半。



「円柱」が織り込まれた絨毯は、円柱の数で区分されます。
こちらは二本の円柱のデザイン。
17世紀末の福音教会のもの。




「円柱デザインの絨毯」のルーツはオスマン帝国の宮廷絨毯ではないかと考えられています。やはり宮廷絨毯は、どこか漂う雰囲気が違いますね。

こちらはブカレストの国立博物館所蔵のフラグメントで、16世紀末から17世紀初めのもので、織られた場所はカイロだとされています。
カイロはマムルーク絨毯が製作されたところでもあり、その伝統が引き継がれ、糸や染色や織り技術など、この時代もっともレベルの高い絨毯が織られていたのかもしれませんね。



円柱が6本の、「黒の教会」所蔵の絨毯。17世紀後半。
ボーダーにチューリップとカーネーションが配されてエレガント!
暗めの茜をはじめ落ち着いた色合いが素晴らしい。



この時代からはトルコの産地が特定されています。
こちらは17世紀末のギョルデス。 おなじギョルデスでも18世紀に入るとデザインが複雑化してきますが、このピースはシンプルで可愛い感じ。



こちらはクラの18世紀初めの絨毯。
渋い黄色とインディゴが基調で、茜はほんの少ししか使われていません。


駆け足でのご紹介でしたが、「トランシルバニア絨毯」の本はなかなか見ごたえがあります。
古いトルコ絨毯にも色々なタイプがありますが、みなさんのお好みのものはありそうでしょうか?

ではまた〜〜!
2018.06.14 Thursday

「トランシルバニア絨毯」の本


「『トランシルバニア絨毯』と呼ばれるトルコ絨毯」で引用させていただいた本の紹介の続きです。

スマホから投稿すると写真のサイズが小さくなるので、見づらいかもしれませんがご勘弁を…



前回はトランシルバニアの教会内部の写真しか載せなかったのですが、この本には一枚一枚の絨毯の全体写真も載っています。

○「ギルランダイオ絨毯」(画家の名前)
○「ホルバイン絨毯」(画家の名前)
○その他、年代の古い絨毯
○ウシャク絨毯(トルコの地名)
○「ロット絨毯」(画家の名前)
○セレンディ絨毯(トルコの地名)
○オスマン宮廷絨毯
○トランシルバニアグループ
○その他の祈祷用絨毯

このようなタイプの225枚の絨毯が掲載されています。

一番古い絨毯は、ドメニコ・ギルランダイオというフィレンツェの画家の絵に描かれているデザインの絨毯。


新しい絨毯ならいざ知らず、何百年も前に織られたものは、いつ、どこで織られたのかは不明なことが多く、専門家の間でも同定が難しいようです。

絨毯の呼び方は、織られた産地や織った部族など、いくつかのパターンがありますが、それが不明な場合、ルネッサンス以降の絵画を参考にして、絨毯の絵を描いた画家の名前をつける方法があります。

この絵が描かれたのが1480〜1485年なので、これに似たデザインの絨毯があれば、それが15世紀に織られたと推定することが妥当であるとされています。
また、これに近いデザインの絨毯を、ギルランダイオの名に因んで、便宜的に「ギルランダイオ絨毯」と呼びます。



15世紀中葉のものと推定される「福音教会」所蔵の絨毯。



ハンス・ホルバインというドイツの画家の肖像画にも絨毯が描かれています。このようなデザインの絨毯の通称として「ホルバイン絨毯」という名前がつけられています。



15世紀末に織られたとされる聖マーガレット教会所蔵の「ホルバイン絨毯」

次はトルコの絨毯産地ウシャクで織られた絨毯です。



こちらは星のようなモチーフから「スター・ウシャク」と呼ばれるタイプです。推定16世紀前半



ロレンツォ・ロットというベネツィアの画家の1542年の作品。



通称「黒の教会」所蔵の「ロット絨毯」。推定16世紀後半。
産地はおそらくウシャクだろうと考えられています。

次はトルコのセレンディ(ウシャクの40km西)で織られたと考えられている3つのタイプ。



「黒の教会」の17世紀初頭のチンタマーニ文様」絨毯



「福音教会」の16世紀末推定の通称「バード・ラグ」。
文様の本当の意味は不明で、これも便宜的につけた名称。
古い絨毯って、わからない点が本当に多いんですね。



聖マーガレット教会の17世紀中葉の通称「スコーピオン・ラグ」。
このデザインを「サソリ」に例えたわけですが、うーん、どうでしょう?


以上は15世紀から17世紀に織られたと考えられる絨毯でしたが、これらは他の地域でも見つかっているタイプの絨毯です。
これとは別に「トランシルバニア絨毯」と呼ばれるデザインのものがあるのですが、次回にご紹介したいと思います。

それではまた〜!
2018.06.04 Monday

樂美術館のバルーチキリム

 

金曜から日曜日まで母のお供で、京都と奈良に行っていた。

 

母は楽焼の十五代・樂吉左衞門さんの大ファン。

6月1日に樂さんのギャラリートークがあるというので

「あなたもぜひ聞きなさい」と誘われた。

 

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京都市上京区油小路にある樂美術館

 

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入口はこんな感じ

 

 

開館40周年を記念した樂さんのギャラリートークは全5回で、今回は最終回。

事前予約をしていた30名から40名ぐらいがエントランスホールで待っていた。

さすが京都で、和服姿のご婦人や、ちょっと前衛的な感じの若者も混じっている。

 

開催時刻の夕方5時、Tシャツにパンツという出で立ちで樂さんがふっと姿を現した。

すごくエラい人のはずなのに、まるで近所の人が顔を出したような登場の仕方にちょっと驚く。

だが普段着とはいえ、きりっとした身のこなし、体全体から発せられるオーラのようなものを感じる。

ストイック。清明。

修行を重ねている僧侶のようだ、と思った。

 

 

今回は「能と楽茶碗」との関係性を中心にお話があった。

 

* * *

 

楽茶碗は初代長次郎が利休の好みに合わせて焼いた茶碗がはじまりだとされている。

「黒楽」「赤楽」などとよばれる独特の茶碗。

けれどそういうものがいきなり生まれたわけではなく、ものには当然ルーツがあるはずだ。

 

それはおそらく南中国の「素三彩」とよばれるやきものだったのではないか。

「交趾焼」は日本でも見られるが、あれに近い感じだったと思われる。

もともと、緑や褐色や白などの限られた色のやきものだったが

利休の意をくんだ長次郎は、装飾性をどんどん廃していった。

 

装飾性を廃していったという点では、能もおなじ。

歌舞伎や浄瑠璃では、たとえば「泣く」という動作は誇張して演じられるが、

能の「泣く」は、少しうつむいて手をそっと添える、といったわずかな動きで表現される。

猿楽から能楽へと発展する過程において、ある種の装飾性を廃していっていまの形ができあがった。

 

* * *

 

このように楽茶碗と能の類似点などのお話をされた後、展示室へと移動して

実際の作品を見ながら、樂さんが解説される。

 

今回は能に因んだ銘がつけられている茶碗の横に、それぞれ能面が展示されていた。

 

当時茶道を嗜む者はたいてい能も好きで、茶事の際に謡が飛び出すこともよくあった。

茶碗の形や雰囲気からインスピレーションを得た茶人が

能の一場面を思い出して銘をつける。

 

たとえば上の写真は、長次郎の赤楽茶碗だが「道成寺」という銘が付けられている。

その心は「釣鐘を逆さにした形のようだから」。

(能「道成寺」は白拍子が梵鐘のなかに飛びこむシーンがある)

長次郎の赤楽茶碗の横に「道成寺」の能面のコラボレーション。

 

* * *

 

それ以外にも樂吉左衛門さんご自身の作品「砕動風鬼」にまつわるエピソードなど

たいへん興味深いお話がつづき、とても贅沢な時間を過ごせた。

 

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美術館のあちこちにお花が生けてあったが、

ただ「花が飾ってあるな」ではなく、ひとつひとつの花のいのちが輝いていた。

 

* * *

 

さて、ギャラリートークに先立って展示を拝見すると、

熊谷守一美術館とおなじく(?)、樂美術館にもバルーチを発見!

 

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第三展示室にベンチがあり、その下にバルーチキリム。

これは「たばこと塩の博物館」で展示があった丸山繁さんから購入されたものだと思われる。

 

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"KILIM the complete guide" より

似たタイプのバルーチキリム。

 

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この本によると、ディーラーの間では「バルーチ・マラキ」とよばれるタイプ。

 

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樂美術館のキリムの細部

 

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『芸術新潮』2008年3月号

10年以上前の写真ですが、このかたが十五代・樂吉左衞門さん。

 

トライバルラグの中でも、樂さんが選ばれるとしたら、やはりバルーチだと思う。

ピースによってはトルクメンという選択肢もあるけれど、なんといってもバルーチ。

 

その理由は「闇」。

 

この特集号の中に「闇のなかへ 千利休」というページがある。

ギャラリートークでも「妙喜庵待庵」のお話が出た。

「待庵は茶室のなかでも暗いんですよ。茶碗なんかもやっと姿がわかるくらい」

 

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待庵のにじり口。

奥はほとんど見えない。

 

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広さ二畳の茶室内部。

 

「まるで洞穴のような床。奥の隅柱も、床の天井も土で塗り廻したような室床に、

黒楽茶碗「ムキ栗」を置く。暗闇に黒。これが利休の茶だ。」(左頁のキャプション)

 

* * *

 

黒楽を中心とした楽茶碗を展示するスペースには

アナトリアキリムも、コーカサスキリムも似合わない。

やっぱりバルーチキリムがいちばん、似合う。

 

もっとバルーチキリムの良さが日本に広まるといいなあ。

 

 

 

2018.05.01 Tuesday

「美は乱調にあり」?! 「クルド・バルーチ」と呼ばれる絨毯

 

ぷぎー地方ではいつも、ゴールデンウィークに田植えがはじまります。

 

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きょうは朝早くから近所の里山を歩いてきました。

 

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こちらは田植えはまだこれから。

水を張った田んぼが鏡のよう。

山紫水明〜き(山は紫じゃないけど)

 

引っ越してきた当初はまったく興味がなかった里山。

なにげない季節のいとなみがいとおしく感じられるようになりました。

 

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蜘蛛によるマスターピース!

「くものくも」( 蜘蛛の雲 ) 汗

 

* * *

 

夫がリタイアして家にいることが多くなったので、なかなか絨毯を出して眺める機会がなくなったけれどDocomo_kao18

先日絨毯を日光浴させたついでに何枚か写真を撮りました。

 

今回ご紹介するのは「クルド・バルーチ」と呼ばれる絨毯2枚。

 

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いわゆる「バルーチ絨毯」は、(真正)バルーチ族以外のグループが織ったものも含まれています。

アフガニスタン北西部のティムリーやムシュワニ、チャハール・アイマックなど。

 

これらのグループは、ちゃんとしたトライバルグループなのですが、

それ以外に「クルド・バルーチ」と呼ばれるタイプの絨毯があり、

こちらはそういう名前の部族がいるわけではなさそうです。

不勉強でハッキリしたことは言えませんが「クルド族が織ったバルーチっぽい絨毯」のこと?

 

私にわかることは、以下のとおりです。

 

アンティークのバルーチ絨毯は、総じて糸が細めで、織りもトライバルラグの中では細いほう。

パイルも最初から短めにカットされます。

 

それに比較すると「クルド・バルーチ」と呼ばれる絨毯は、糸は太め、織りはあまり細くなく、パイルも長め。

 

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キリムエンドにこのようなジジムを織り込むことも多いようです。

この他、クルド族はオレンジ色が好き?という印象も。

 

この写真を見れば、糸の太さや織りのざっくり具合がわかりますね。

 

 

ちなみにこれはクルドではないバルーチ絨毯。

縦糸を比較してみてください。

 

そしてクルド族の絨毯やキリムには、やたら色を変えているものが多いのです!

 

「絨毯好きのつどい」1回目でYさんが見せてくださったクルドのキリムは

驚くほどの種類の色を使っていたし、

手仕事クイーンがトライブさんから購入されたクルドの絨毯も

「これでもか!」というほど色んな糸をとっかえひっかえ使って織ったものでした。

 

(注:おなじクルド族でも、セネやビジャーなど工房の絨毯はそんなことはなく

デザイナーが指定したとおりの色と線を守ってキッチリした絨毯を織るので誤解されませんように)

 

 

最初この絨毯を見たとき、赤の部分になんとなく違和感がありました。

全体に「色むら」があるので、化学染料が不均一に褪色したのかも? と感じたのです。

 

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こういうときこそ絨毯の裏側を見るのが大事!

裏側を見れば解ることも多いのです。

 

写真だとわかりにくいかもしれませんが、

赤い糸をじっくり見ていると、トーンの違う赤を3種類ほど使っています。

つまり赤のトーンが違う糸綛(かせ)をとっかえひっかえ使ってパイルを結んでいるのです。

化学染料を疑ったけれど、どうやら天然染料のようですし。

 

「効率」からいえば、いちいち違う綛から毛糸を使えば、余分な手間と時間がかかります。

でもこの絨毯を織った人は「トーンを変えたほうがスキ!」と考えたのでしょう。

 

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この写真だと、赤のトーンの違いがよくわかりますね。

 

 

ウールの毛質も他の多くのバルーチ絨毯とは違います。

ちょっとゴワっとしているものの、パイルが長めなのもあって、手触りはわりとスベスベしています。

 

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やたらと色を変えたがる他にも、織り模様をわざと崩すことも好きみたい。

右側の絨毯の「ボーダー(外枠の模様)」の赤い部分を目で追ってみてください。

 

あっ、フィールド内部に「茶色のワンちゃん」がいます!

 

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さて次はこちらのボテ絨毯!

オレンジや茜、インディゴはよく残っているけれど、

ボテの背景の薄茶色は鉄媒染を使ったのでしょうか、朽ちてすり減っています。

 

ボテがキャラクターの顔のようにも見えてきます。

ウルトラマンの「シェー!」(←さすが還暦を迎える人の言葉だ・・・

 

ボテも、ひとつとしておなじ形はないし、

インディゴの糸の入れ方も、無作為すぎて泣けてきます、、、(モチロン「うれし泣き」)

 

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ところで絨毯って、どっちから織りはじめているかわかりますか?

 

絨毯を撫でて「抵抗が少ない方向」を感じとってください。

パイルが下に向かうように絨毯をおけば、その絨毯は下から織りはじめているのです。

 

そういうわけで、この写真では下から上に織り進めているのですが、

ボーダーからフィールドに移ってすぐ、かわいい小花模様が織り込まれていますね。

 

うん、ここまでは整然とした感じなのですが、

その後は、気の向くまま思うまま、のびのびと織っていったようです。

 

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フィールドの端っこの小さな花なのか精霊なのか、、、もカワイイ。

 

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「セブン&アイ・ホールディングス」のロゴを思わせるようなキャラクター?

 

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うーむ、この動物はなんだろう、、、

ヤギか、はたまたラクダさえイメージさせるような、、、

 

* * *

 

この絨毯を織った人は、どんな人だろう?

どんなことを考えながら織ったんだろう?

 

そんなことを想像できるのが、トライバルラグのおもしろさの一つです。きらきら

 

 

2018.04.28 Saturday

日光浴〜!

 

きょうはゴールデンウィーク初日で絶好の行楽日和ですね。

 

でも「毎日が休日〜」の私は、あえて人ごみの中に出かけることもないと

愛するラグたちの日光浴のサーバントを務めることにいたしましたw

 

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なんとも生活感あふれる画像でスミマセン〜汗

ベランダ床に見える水色は、除湿シート。

あちこちに白い除湿シートも見えます。

 

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右手に見える木材は保管している絨毯の下に敷く「すのこ」

絨毯の日光浴の際には、スノコや除湿シートも乾かします。

 

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洗濯物干し場には、バッグフェイスや小さめのラグたちを目一杯。

 

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あまりにも天気が良いので写真がハレーション!

 

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古いバルーチの命は、艶やかなウールと深い色です。

 

みなさま、よい休日をお過ごしくださいませ〜Docomo80

 

 

2018.04.01 Sunday

熊谷榧さんのバルーチ・鞍掛袋

 

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今年は絶好のお花見日和にめぐまれて、桜が存分に楽しめました。

花びらのじゅうたんもきれい。

 

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3月21日まで東京国立近代美術館で開かれていた

「没後40年 熊谷守一 生きるよろこび」がとても良かったので

きのうは池袋西郊の熊谷守一美術館に行ってきた。

 

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画家亡き後、自宅跡に次女・熊谷榧(カヤ)さんが私設美術館として1985年に設立し、2007年に豊島区立となる。

敷地80坪弱のこじんまりとした美術館だが、ここそこに温かさがあふれていた。

 

 

1880年(明治13年)岐阜県に生まれる。

裕福な実業家だった父は、初代岐阜市長から衆議院議員を務めたが、

守一は妾の家で育てられたりと複雑な家庭環境で、

幼い頃から人間のエゴや欲や醜いことに関しては人一倍敏感だったようだ。

 

父の仕事を通していろんなものが見えました。

生糸の仲買人は百姓をごまかして買い叩き、番頭は台秤をごまかして仲買人から安く買う。

それが番頭の忠義心であり、手腕だったわけです。そうやって人の裏をかき、人を押しのけて、

したり顔のやりとりを見ているうちに、商売のこつをのみ込んでいく代りに、

わたしはどうしたら争いのない生き方ができるだろうという考えにとりつかれていったのかもしれません。

(95歳 1975年)

(以下の引用は、『熊谷守一画文集 ひとりたのしむ』求龍堂1998年 より)

 

1900年、20歳のとき東京美術学校入学。同級生に青木繁がいる。

二年後に父が急死して家運が傾き莫大な借金が残る。

「たとえ乞食をしても絵かきになろう」と考えるが、「売るため」の作品が描けず、長く困窮がつづいた。

貧しい暮らしの中で三人の子を亡くしました。

次男の陽が四歳で死んだときは、陽がこの世に残す何もないことを思って、陽の死顔を描きはじめましたが、

描いているうちに”絵”を描いている自分に気がつき、嫌になって止めました。

「陽の死んだ日」です。早描きで、三十分ぐらいで描きました。 (93歳 1973年)

 

やがてコレクターの木村定三氏をはじめとして、作品が徐々に認められるようになっていったが、

欲のない、超俗の精神はそのままだった。

 

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美術館の塀に彫られた蟻の絵とサインの写し。

晩年は家の庭で日がな一日、小さな生きものや草花を観察して過ごしていた。

 

地面に頬杖つきながら、蟻の歩き方を幾年も見ていたんですが、

蟻は左の二番目の足から歩き出すんです。(96歳 1976年)

 

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自宅の庭にひそんでいる熊谷守一

 

いまは見えなくても、そのときおりおり、芽を出して花を咲かせ、実をつけるいろいろな草木があって、

この植えこみのぐるりの道は、ただ歩くものならものの二分とかからないでもとに戻れる範囲ですが、

草や虫や土や水がめの中のメダカや、いろいろなものを見ながら廻ると、毎日廻ったってあきません。

そのたび面白くて、ずいぶん時間がかかるんです。 (96歳 1976年)

 

近代美術館での回顧展もそうだったが、彼の作品を見ているうちにある種の解放感へと向かう。

初期の作品はアカデミックで暗い色調のものだが、やがてフォービズム的な荒いタッチへと変わり、

やがて赤い輪郭線で仕切られた清澄な作風になる。

 

なんというか、心の澱が取り払われていくような気持ちがするのだ。

 

絵は好きで、それなりに観るのだが、詳しいことはよくわからない。

最近はもっぱら、作品からあふれる「気」が好ましいかどうかだ。

 

熊谷守一の作品は見る者の心を浄化する力があるように思う。

 

自由に生きていいんだ。

アリや蝶々やカマキリのように、

そっと花を咲かせる小さな草花のように、

だって自分もおんなじ小さな生きものだから。

 

* * *

 

とまあ、そんな感じで今回も気持ち良く作品を見おわり、

カウンター付近の絵葉書やカタログなど眺めていますと、、、

 

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おおっ!

なんと熊谷守一美術館にバルーチのサドルバッグがぁ〜!

しかも完品!

裏側を見るとかなり古いもののようだ。

 

思わず受付職員の方に

「この袋、写真撮らせてもらってもよろしいでしょうか?!」

と訊いてしまった。

 

許可を得てパシャリ!

 

* * *

 

じつはこの横はソファーが並べられており、

熊谷守一の次女であり館長でもある榧さんが座っておられたのである。

 

上記を引用させていただいた求龍堂『ひとりたのしむ』の年譜も、榧さんが執筆されており、

一見淡々と書かれているようでいて、行間にじつに豊かな味わいのある文章に舌を巻いていたのであった。

また館内には、榧さんの絵、彫刻、木彫りなどの作品も展示されており、

さすがは熊谷守一の愛娘というしかなかった。

 

雑誌『婦人之友』3月号のインタビュー記事も読んでいたし、

ホントはちょっぴりお話かけしたかったのだったが、

やっぱいきなり話しかけるのも失礼かなと思って我慢していたのだ。

 

* * *

 

そのあと絵はがきを買い、

「せっかく池袋まで来たんだから、雑司が谷霊園にある永井荷風先生の墓に行くか〜」

とそそくさと美術館を後にしたのであった。

 

しかし!

「なぜバルーチのサドルバッグがあるのか、理由を聞いてくればよかった」

と思いはじめ、

「熊谷守一は晩年ほとんど外出しなかったそうだから、

誰かからプレゼントでもらったか、

それとも榧さんはヨーロッパの山スキーなどに出かけておられるから

榧さんの持ち物か、どっちかじゃないかな?」

と気になりはじめた。

 

家に帰ってからだとタイミングを逃してしまう。

そこで雑司が谷の駅を出たところで美術館に電話した。

 

「あの〜、さっき袋の写真を撮らせていただいた者なんですけど、

差し支えなければ、あの袋の来歴を教えていただけませんか?」

 

「少々お待ちください」との後、しばらく経って

「あれは次女の熊谷榧さんの持ち物です。

中東でラクダなどの背にかけて使う袋ということです」

との返事をいただいた。

 

ラクダには小さすぎるのでロバか馬とは思ったけれど

「はい! わかりました!

どうもありがとうございました!」

と電話を切った。

 

そうか〜、熊谷榧さんがあの袋を気に入られたんだ〜。

 

バルーチのシックな色合いと、しっとりしたウールの質感、丁寧な紐飾り。

 

榧さんがバルーチの毛織物を気に入ってくださったと知って、

とても嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

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